No.178:増田部長


「おはようございます。仲代君だね」


「おはようございます、増田部長。お忙しいところお時間を頂き、ありがとうございます」


 翌日俺は同じ応接室で、増田海外営業部長と向かい合っていた。

 増田部長は40代前半の、メガネをかけた真面目そうな方だ。

 いかにも仕事ができる男、という雰囲気を醸し出している。


「いやあ、連日立川まで来てもらっちゃって悪かったね。昨日の夕方は、どうしても都合がつかなくて」


「いえ、私もお話を伺えるのが楽しみでした」


「そうそう、社長から聞いたんだけど……仲代君、明日菜ちゃんの彼氏なんだって?」


「えっ? あ、はい、まあ……」


 俺は意表を突かれた。


「この間社長の家に久しぶりにお邪魔したんだけどさ。明日菜ちゃん、えらい別嬪さんになっててびっくりしたよ。でももう大学3年生だもんな。ついこの間まで中学生だったのになぁ」 


「昔からご存知なんですね」


「ああ、そうだね。私もこの会社に入って、8年目だから……小春ちゃんなんか、ランドセル背負ってた頃から知ってるよ」


「そうなんですね」

 想像すると、なんだか可愛い。


「ごめんごめん、仕事の話をしないとね。一通り社長から話は聞いたよ。でもカワセ電気資材から内々定もらってるんだよね? もったいないんじゃない?」


「どうなんでしょうか……その辺はよくわからないです」


「まあ私も大手とか言われている商社からの転職組だけどね」


「はい、社長から伺ってます」


 話を聞くと増田部長は美桜が内々定をもらっている、あの日本で売上トップグループの財閥系総合商社で10年以上働いていたらしい。

 ずっと海外畑を歩いていて、最初の海外赴任地がアメリカ、2度目の海外はオーストラリア。

 同期トップではないにせよ、そこそこエリートコースに近い位置にいたらしい。


 オーストラリア赴任時は、石炭や鉄鉱石、アルミニウムの取引責任者だった。

 全ては順調だったが……好事魔多しとは、このことだ。

 増田部長の部署が、先物取引で大きな発注ミスをしてしまったらしい。

 気がつくのが遅れてしまい……結局会社に数十億円規模の損害を与えてしまった。


 もちろん増田部長一人のせいではなく、組織的にその上席にまで責任は及ぶ。

 結局増田部長、増田部長の上司、そして拠点長の3人が、段階的に更迭された。


 日本へ戻された増田部長は、いきなり国内の地方営業所へ配置転換となった。

 事実上の左遷である。


 もともと海外志向が強くて総合商社へ入社した増田部長は、飼い殺しのような毎日に辟易していた。

 今までの社内の慣例を見ても、敗者復活の道はなさそうだった。


 そんなときに声をかけてくれたのが、明青大時代のテニスサークルの先輩だった南野社長だった。


「ということは、晴香さん……社長の奥さんのことも、ご存知なんですね」


「ああ、もちろん。私は社長の3つ下で、社長が大学4年の時の1年生だったんだ。ちなみに晴香さんは私より二つ上の先輩だ。当時からサークル内で、あの二人は完全なバカップルだったよ」

 そう言って増田部長は、少し悪い笑みを浮かべた。


「まあ私の話はいいとして、仕事の内容だね。実際アジアマーケットに関して、日本マーケットで売れそうなものの選定、発注、輸送手配を早急に進めていかないといけない。ところが私一人ではなかなか手が足りなくて、今すぐにでも人手が必要なのは確かなんだ。それに若い人の目で見て、その感性である程度商品選択を任せたいと思ってる。あとうちの部には営業事務の女性が1名いて、4月からもう1名増員予定でいるんだ。だから彼女たちの意見も参考にしながら一緒にやっていきたいと思っている」

 増田部長は、真剣な表情でそう語った。


「もう一つは、うちの商品をOEMで作ってくれる提携工場を見つけること。これについては私と社長が中心になってやっていく予定だけど、実務的な部分についてはある程度担当してほしいと思っている」 


「あの……たとえば新卒の新人が、いきなりそういう業務をこなせるものなのでしょうか」


「もちろん最初は私と一緒に行動してもらうよ。もう既にアジアのいくつかの国には、現地の輸出業者とコネクションを持っているので、彼らが紹介してくれるものから商品をピックアップするのが現実的だろうね。ただねぇ……中には日本のことを深く理解していない人もいるので、『なんだこれ?』っていうような商品を紹介されることもあるんだ。だから若い人の目で、しっかり選んでもらえると有り難いと思ってる」


「海外出張も、あるということですか?」


「もちろんだよ。1ヶ月の程度の研修を終えたら、私と一緒にアジア数カ国を回ってもらうことになる。そこで各国の輸出業者を紹介するので、そこからは彼らとオンラインで連絡を取りながら私と一緒に商品選定に入ってもらう予定だ。大変かもしれないけど、私も社長もしっかりサポートするよ」


 キリッとした笑顔で、増田部長はそう言った。


「とはいってもね……所詮うちの会社は従業員70数名の中小企業だ。実は昨日、仲代君が内々定をもらっているカワセ電気資材の募集要項を見たんだけど、大卒新人の年収がうちの会社より2割以上高かったよ。それに福利厚生とか家賃補助とかでも、当然うちなんかよりずっとしっかりしている。海外出張だって、うちの会社は距離に関わらずエコノミークラスだ。でもね」


 増田部長は、俺の顔をしっかりと見据える。


「二つだけ約束できることがある。一つ目は社長も言ってたと思うけど、仲代君がやりたいと思っている仕事をうちの会社は提供できると思っている。二つ目は……南野社長はとても従業員思いで、信用に足る人物だ。その点は信じてもらっていい」


「はい、南野社長はとてもいい方だと思います」


「私も長年の付き合いだけどね。社長だからといって驕り高ぶっているところが少しもないし、常にお客さんと従業員のことを第一に考えている。社長は社員全員の顔と名前を覚えているし、社員の誕生日には一人ひとりメールでメッセージを送っているんだ。スタンバックスのドリンクチケットを添付してね」


「それは……嬉しい心遣いですね」


 それから増田部長は、南野社長がいかに従業員思いかというエピソードを話してくれた。

 いつも従業員の給料をもっと上げたいと思いながら、収益上なかなかそれができないことに忸怩たる思いでいること。

 有給休暇の消化率が高いことや、女性は産休や育休がとりやすい環境であること。

 従業員の定着率がとても高く、過去3年間退職者がゼロであること。

 それから……いろいろな面で、従業員には融通をきかせてくれること。


「これはあまり大きな声で言えないんだけど……うちのカミさんが旅行好きでね。子供もいないし、時間ができたらいろんなところに行きたがるんだ」


「……はい」

 何の話だろう?


「それで私が海外出張のとき、航空券とホテルを経費で予約するんだけど……海外のホテルって一部屋あたりの料金体系が大半だから、一人で泊まっても二人で泊まっても料金が変わらないホテルが多いんだ。それでたまに私の出張の日程に併せて、カミさんも格安航空券を手配したりしてるんだ。もちろんそれは自腹だよ」


 増田部長は、苦笑する。


「それで一緒に出張先の国へ行って、私が仕事をしている間にカミさんは観光したり買い物をしたりして、夜は同じホテルに泊まったりしているんだ。カミさんはすごく喜んでいるよ。もちろん会社の連中には内緒にしてるけどね」


「そんなことも、認めてくれてるんですか?」


「ああ。ていうか、そうしてもいいよって社長の方から言ってくれたんだ。会社が経費で負担する分は変わらないしね。まあうちのカミさんは英語に不自由しないし、私の仕事を邪魔することはないことを社長も知っているからだけどね。だから私が海外出張の時には『仕事終わったら有給とって、遊んできたら?』っていうのが、社長のいつもの口癖なんだよ」


「なんだか……もの凄くおおらかな社風なんですね」


「中小企業っていうのは、トップの考え方で社風は全然変わってくる。うちの会社は給与面を除いては、極めてホワイト企業だと思っているよ」


「そうなんですね」

 もの凄く働きやすそうな会社であることが、増田部長の口ぶりから伝わってくる。


「ところで……仲代君は『大手で安定している企業』って、どんな会社だと思ってる?」


「え? そうですね……例えば業界のトップ企業とか、会社の大きさだったりとか。上場企業だったりとか、知名度が高い企業だったりとか……ですかね」


「うん、そうだね。実はうちの会社は、5年後ぐらいを目処に株式の上場を目指しているんだ」


「本当ですか?」


「ああ。さすがに時価総額的に東証一部は難しいけど、東証二部か新興市場への上場を目指している。それを見越して、3年前から従業員持株買い制度を始めたんだ。従業員には給料やボーナスの一部で自社株を購入してもらって、会社の株主になってもらう。そして会社が上場した時に企業価値が上がっていれば株価も跳ね上がるので、従業員のボーナスにもなるしモチベーションにも繋がる」


「そうなんですね」


「上場企業となれば、それなりに知名度が上がって優秀な人材も集めやすくなる。商売上もメリットが大きい。中小企業が上場を目指していく過程の環境で働けるというのは、それはそれで刺激的だと思わないかい? 少なくとも私はそう思っている」


「はい。お話をお伺いする限り、とても魅力的で刺激的だと思います」

 俺は少し興奮気味に、そう言っていた。


「私が話せるのは、そんなところかな。あとは仲代君の方で、ゆっくりと考えてほしい。ああ、ご家族ともちゃんと話してね。心配されると思うから」


「はい……それでは少しお時間を頂いてもよろしいですか?」


「ああ、もちろん。なにか不明な点があったら、いつでも連絡してもらっていいからね」


「はい、ありがとうございます」


 この会社で働きたい。

 直感的に、俺はそう思った。

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