No.176:「あっ!」
お盆明けに東京へ戻った俺は、そのまま夏休みを継続していた。
俺たち就活組は、もうほとんど就活は終焉を迎えているような状況だった。
3人ともそれぞれの会社で、10月の内定式を待つだけとなった。
たまに3人で集まって、今後のゼミのこととか卒論のことについて話し合ったりした。
明日菜ちゃんも俺のアパートの遊びに来て、食事をしたり一緒に映画を見たり、その他のことをしたり……。
いろいろと充実した毎日だった。
9月に入っても、東京はまだまだ暑い。
俺は久しぶりに、床屋へ行くことにした。
千円カットでもいいのだが、俺は近所の床屋が気に入っている。
学割が使えて、シャンプーや顔剃りまでやってくれる。
多少割高でも、気分がリフレッシュできるのだ。
その日は大学の授業がない平日の午後だったが、あいにく満席だった。
近所のお年寄りの固定客がいるので、ここの床屋は変な時間帯が混んでいたりする。
俺は待合スペースのソファーに座った。
何気なくテーブルの上を眺めると、雑誌やら漫画やらが置いてある。
漫画を手に取ろうとしたが、その隣りにあった雑誌が目に入る。
『日本ビジネス』
その雑誌は、大手新聞社が発刊している経済雑誌だ。
就活生も読んだほうがいいと、いろんな就活サイトで勧められている雑誌でもある。
その雑誌の表紙に書かれていた記事の見出しの一つが、俺の目をひいた。
『社長インタビュー: アジアに活路! フューチャーインポート株式会社』
俺は思わず、その雑誌を手にとった。
さすがにこの見出しは、看過できない。
俺は目次を見て、該当のページを開く。
そして……
「あっ!」
俺は思わず、声を上げていた。
声が大きすぎたらしい。
カット中の店主と、そのお客さんが俺の方を向いた。
「す、すいません……」
俺は雑誌のそのページを開いたまま謝った。
開いた雑誌に、ふたたび目を落とす。
A4サイズのページの半分に、その社長の顔写真が大きく掲載されている。
『フューチャーインポート株式会社 代表取締役 南野真一郎氏』
笑顔で何かを語りかけているような表情。
写真のイケメン社長は、明日菜ちゃんのお父さんだった。
◆◆◆
アパートに戻った俺は、椅子に座り一人呆然としていた。
テーブルの上には、日本ビジネスの記事のページが開いたままだった。
床屋を出た俺は、すぐに近くの本屋へ駆け込んだ。
そして日本ビジネスを1冊購入すると、急いでアパートに戻り何度も当該記事を読み込んだ。
その記事は、インタビュー形式になっていた。
『フューチャーインポート社は、これまではヨーロッパからの輸入を主体にやられてきましたね』
『はい。もともと弊社は私の父親が創業した際、主にヨーロッパの高級家具を輸入することから始まりました。現在もそれは続いておりまして、高級家具を取り扱う販売店様に卸したり、あるいは個人のお得意様に直接お売りするケースもあります』
『今では家具だけではなく、いろんな品目を取り扱われているようですが』
『ええ。私の代になってから高級家具だけではなく、雑貨や食品なども手広く手掛けるようになりました。雑貨品などはお洒落なデザインも多く、特に女性を中心に受け入れられているように思いますね。食品は主に高級スーパーに卸しています。また家具についてもデザインが優れた量産型の、比較的お手頃な価格帯の物もいくつか取り扱うようになりました』
『ところで、これからはアジアにも注力していくということですが……その理由はなんですか?』
『最大の理由は、消費者の趣向の多様化ですね。一昔前までは、欧米の雑貨や家具 = おしゃれで格好いいという風潮がありましたが、それが今では通用しなくなりました。今では幅広い年齢層で、アジア市場への興味が急拡大しているんです』
『具体的にいいますと?』
『例えば竹や木材を主な材料につかわれているテーブルやスツール、ラタン製の小物や雑貨、東南アジアのテイストのクッションやラグなどが、特に20代30代の女性に人気があるんです。自然由来の製品を部屋の中に配置することで、癒やし効果みたいなものも得られるようですね。やはり同じアジア人として、オリエンタルな風合いに落ち着きを感じるのでしょう。でも世の中にストレスを感じている女性がそれだけ多いというのは、また別の問題があるような気もしますが(笑)』
『そう言えば近年、アジアのエスニック料理なんかも人気がありますよね』
『はい。カレーなんかは昔から人気ですが、最近ではタイ料理やベトナム料理、マレーシアやシンガポール、インドネシアの料理も人気ですね。私も好きで、よくフォーやパッタイ、ナシゴレンなんかも食べに行きますよ』
『そういったアジア食材も、今後手掛けて行く予定ですか?』
『ええ。そういった人気の食材や調味料、菓子類なども面白いものがあれば是非日本へ紹介していきたいと思っています』
『アジアマーケットに精通している担当者の、腕の見せどころですね』
『いやーお恥ずかしい話、そこがネックなんですよ(笑)。今まで海外部門は、私と海外営業部長の二人でやってきましたからね。優秀な人材の育成が急務なんです』
『社長自ら商品の選択等もされていた、ということですか?』
『もちろんです。ヨーロッパに関しては私は長年やってきたので、それなりに精通している自負もあるのですが、アジアに関しては本当にこれからなんですよ』
『新しい人材を採用されるご予定とかは?』
『できればそうしたんですけどね。残念ながら弊社のような従業員70名程度の中小企業ですと、優秀な人材の採用は難しいんです。私も海外営業部長も中年のオッサンですから(笑)、本当は若い担当者にその感性に任せてやってもらえるといいんですけどね。逆に言うと、いい人材が集まるような待遇を先に社内整備しなければいけないと考えています。給与水準や休暇取得、福利厚生など一つ一つ整備していかないといけません。なかなか難しいですが、まずはここからですね』
インタビューの内容は、こんな感じだった。
俺は記事の内容を、何回も反芻する。
フューチャーインポート社は、ヨーロッパの家具や雑貨を中心に輸入卸・販売をしていたが、これからはアジアマーケットにも注力していく。
取り扱うアイテムは家具や小物雑貨、それに食品や菓子類。
そして……できれば若い担当者の感性に任せたい。
もしこんな求人票が存在していたとしたら。
それは俺がやってみたいと思っていた仕事を、具現化したような内容だ。
もちろん経験のない新卒に、仕事を任せるようなことはないかもしれない。
あるいは給料がめちゃめちゃ低いかもしれない。
とんでもないブラック企業かもしれない。
でも……少なくとも俺は興味がある。
めちゃくちゃ興味がある。
話だけでも、是が非でも聞きたい。
そして話を聞いた上で、俺がどうしたいか、先方がどうしたいか。
話し合えばいいだけのことじゃないか?
俺は居ても立ってもいられなかった。
脳ミソをフル回転させる。
せっかく社長の真一郎さんを知っているのだから、直接話を聞いたほうがいいだろう。
でも俺は真一郎さんの連絡先を知らない。
明日菜ちゃんに聞くべきか?
いや……会社に直接連絡をとろう。
スマホで時間を確認する。
16:04と表示されていた。
今日は平日、業務時間内だ。
ネットでフューチャーインポート社を検索すると、すぐに見つかった。
本社は東京都立川市。
042から始まる、代表の電話番号もすぐに分かった。
俺はそのまま電話をかけた。
「お電話ありがとうございます。フューチャーインポート総務部、石川が承ります」
感じの良い女性が電話口に出た。
「お世話になります。わたくし明青大学法学部4年の仲代と申します。そちらの南野社長と個人的に面識のある者なのですが……南野社長にお取次ぎいただくことは可能でしょうか」
俺は緊張しながら、一気にそう吐き出した。
あいにく社長は外出中だった。
俺は自分の携帯番号とフルネームを伝え、折返しお電話を頂きたいと丁重にお願いした。
電話を切ったあとも、俺はまだ緊張していた。
手汗がひどく、スマホが持つ手が気持ち悪い。
俺は喉がカラカラに乾いていることに、今更ながら気がついた。
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