No.175:それぞれの進路


「とりあえず、一安心……なんですか?」 


「ん? まあそうだね」


「そうですか……それじゃあ、おめでとうございます、ですね」


「え? ああ、ありがと」


 試験も終わった8月のある日。

 俺のアパートで向かい側に座っている明日菜ちゃんがそう尋ねた。


「でもその『カワセ電気資材』って会社……従業員1,200人の会社って、もの凄くおっきな会社なんですね。社長さんは従業員の顔、全員覚えられるんでしょうか」


「いや、無理でしょ」


「ですよね」


 明日菜ちゃんはパスタをフォークで絡めながら、無邪気にそういった。

 今日のランチは、スープパスタにサラダ、それと明日菜ちゃんが持ってきてくれたマフィンだ。


「そんなこといったら、誠治が内々定取ったところなんか、もっと大企業だよ」


「ああ、まあそうですよね。知名度は高いかもしれません」


 就活でいろいろと苦労していた誠治だが、最後の最後で当たりくじを引いてきた。

 大手のビール・飲料メーカーから、内々定を取ったのだ。

 ビールのシェアはトップではないが、全国の誰もが知る有名企業だ。

 第一志望の業界から内々定をもらった誠治は、ものすごく喜んでいた。

 この件といいバリ島の懸賞の件といい、誠治はここぞというところで持っている。


 綾音も5-6社から内々定をもらったようだが、結局大手ゼネコンに絞っているようだ。

 こちらも東証一部上場の、知名度の高い大企業だ。


「ウチの場合、お父さんの会社がマンションの分譲とか賃貸とかをやっているからね。同じような業種で勉強したほうが、いざっていうときに北海道に帰ってそのまま働くこともできるでしょ? まあそんな日が来ないことを祈るけどね」


 ヴィチーノでバイト中に、綾音はそう教えてくれた。

 なるほど、彼女なりにいろいろと考えているんだな。


「でも……海外部門のある会社じゃなくて、少しだけ残念でしたね」


「ああ、でもそれは仕方ないよ。力及ばずってとこかな」


 明日菜ちゃんは俺がなぜ英語を勉強しているか、その理由を知っている。

 俺がバリ島の体験で、どんな事をやりたいと思うようになったかも話してある。


「まあひょっとしたら、将来的に海外との直取引が始まるかもしれないし。その時のために英語の勉強は続けていくことにするよ」


 まあそういう可能性は、低いことは俺も分かっているが……。

 明日菜ちゃんの手が止まり、テーブルの端の方を見つめている。

 

「明日菜ちゃん?」


「へっ? あ、ごめんなさい。なんでもないです」

 明日菜ちゃんはサラダのミニトマトをフォークで刺して、口に運んだ。


 その次の週、俺はお盆の期間を利用して長野に帰省した。

 今年は俺たちの就活もあるので、恒例の長野ツアーは計画しなかった。

 まあ結果として3人ともお盆前に内々定を取れたのだが、それは結果論だ。

 俺は2泊3日の予定で、長距離バスの予約をしておいた。


 実家の家族に、俺は内々定の報告をした。


「カワセ電気資材っていったら、大手優良企業じゃないか。それはよかったな」

 親父はとても喜んでくれた。


「ああ。たまたま最初に会ってくれた人が長野の人でさ。大川田中学の卒業生だった」


「そうなのか? となりの中学じゃないか」


「そうそう。それにお袋のパート先の道の駅にも、何度か行ったことあるって」 


「そうだったの」


 親父もお袋もびっくりしている。


「しかし瑛太がもう就職かぁ。早いもんだな」

 なぜか兄貴がしみじみと語る。


「まあ俺もそう思うよ」


「今のうちに遊んどけよ。社会人になったら、本当に時間がなくなるぞ」


「遊びたいけど、先立つものがないよ」


 それに卒論だって大変だ。

 遊んでいる暇もないかもしれない。


 俺が実家についた当日、美桜からLimeのメッセージがきた。

 吉川と星野も実家に戻っているので、また4人で会わないかというお誘いだ。

 俺は特に予定もなかったので、早速翌日会うことにした。


        ◆◆◆


「いやでも僕たちが来年から就職なんてさ。本当に早いよね」


「そうそう。もう学生じゃなくなっちゃうんだよね……なんだか寂しいなぁ」


「でも働けばお給料がもらえるじゃない。自由になるお金が増えるのは、ちょっと嬉しいかも」


「まあ俺の場合、奨学金の返済が始まるけどな」


 俺たち4人は長野市街の居酒屋の個室に集合した。

 俺と吉川と星野はビール、美桜はカシスサワーで乾杯した。

 話題はもちろん就活のことである。


 4人全員、既に内々定をもらっていた。

 吉川は日本最大手、いや世界最大手の自動車メーカーに。

 星野は大手のお菓子・食品メーカーに。

 タレントを使ったCMを頻繁に見かける、誰もが知る会社だ。

 そして美桜は日本で売上トップグループの財閥系総合商社に。

 

 3人とも名だたる大企業から、内々定をゲットしていた。


「3人とも凄いよな。日本を代表する超有名企業じゃないか」


「カワセ電気資材だって、優良企業じゃないか。たしか業界シェアトップだろ?」


「でも全員いい会社に決まったね。私たちラッキーだったかも」


「わたしの場合一般職だけどね」


 美桜はそう言って、微妙な笑顔を浮かべた。

 美桜もいろいろな企業を回ったが、大手企業の一般職を中心に就活したらしい。


「でもなぁ……結局仲代は、彼女作っちゃったか」


「そうそう。私達、楽しみにしてたのになぁ……美桜との復縁」


「私も楽しみにしてたのになぁ……」


「み、美桜まで……」


 美桜は鼻の頭にシワを寄せ、いたずらっぽくそう言った。

 あきらかに冗談だってわかる表情だ。


「でも私からしたら、時間の問題だったけどね。瑛太君と明日菜ちゃんが付き合うの」


「そうかぁ……でもまあ、あれだけの超絶美少女だからねぇ」


「そんなに可愛いの?」

 明日菜ちゃんに会ったことがない吉川が、口を挟む。


「もう可愛いなんてもんじゃないよ。明日菜ちゃんだよね? 高校の時にモデル事務所から声かけられてたのって」


 よく覚えてるな……。 

 俺は星野の記憶力に感心する。


「美桜、こうなったらさ。来年会社の中で、エリートの彼氏見つけちゃいなよ。仲代君なんかより、ずっと将来有望だよ」


「星野……はっきり言うんだな。まあそうかもしれんが」


「ふふっ……でもそんな都合よく、出会いなんかないって」


「ある! あるんだよ! ていうか作るんだよ、出会いは!」


 何故か星野が力説している。

 その横で吉川は苦笑していた。

 あははは、と屈託なく笑う美桜の首元には、今日はシルバーの四葉のクローバーはなかった。

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