No.173:ちょっとした問題


 そして明日菜ちゃんの家でも……ちょっとした問題が持ち上がっていた。


「実は……小春が大学には行きたくない、って言い始めてまして……」


「えっ?」


 俺のアパートで、明日菜ちゃんは紅茶を飲みながらそう切り出した。

 

 早いもので、小春ちゃんはもう高校3年生だ。

 当然進路の話になる。


「ひょっとして、成績が良くないとか?」


「いいえ。学部をより好みしなければ、明青大の推薦はもらえる成績ではあるんです。ただ……デザインの勉強を本格的にやりたいらしくて、専門学校へ行きたいって言ってるんです」


「へぇ……そうなんだね」


「実は……きっかけはハッキリしてるんですよ」


「きっかけ?」


「はい。ちょうど1年ぐらい前になると思うんですけど……瑛太さんが家に来てくれたときがありましたよね。あの大きなマグロを頂いたとき」


「あー……うん、あったね。大間おおまのマグロをたくさんご馳走になった」


「はい。あの時瑛太さん、小春のスケッチを褒めてくれたじゃないですか」


「うん、覚えてるよ。今にも飛び出てきそうなクマのぬいぐるみのスケッチとか。本当に凄いって思ったよ」


「小春、そのことが凄く嬉しかったみたいなんですよ」


「え? そうだったの?」


「はい。家ではお父さんもお母さんも『絵ばっかり書いてないで、勉強もしなさい』っていう空気が割と強かったんですね。でも瑛太さんに褒められて……『絵を書いてても、いいんだ』って、思うようになったと思うんです」


 俺は少なからず驚かされた。

 俺が放った何気ない一言が、小春ちゃんの中の何かを動かしたようだった。


「それからしばらく、小春は家具のスケッチをたくさん書くようになったんですけど……ある日それを私に見せて『お姉ちゃん、これ覚えてる?』って訊いてきたんです」


「それは、その家具を覚えてるかってこと?」


「はい。もちろん私はそんなの覚えがなかったんですけど……以前家族旅行でヨーロッパへ行った時に、展示されてた家具らしいんですね」


「え? どういうこと?」

 俺はすぐには意味が理解できなかった。


「そうなりますよね。私も『どういうこと?』って訊いたんですけど……私が中学二年のときだから小春がまだ小学生だった時、家族でイタリアとフランスへ旅行に行ったんです。それは半分お父さんの仕事も兼ねて、現地の家具メーカーの視察だったんですね」


 なるほど、中小企業の経営者であれば、家族同伴の出張ということも珍しくはないだろう。


「確かにその時いろんな家具メーカーのショールームに連れていかれて、私は苦痛だったんですけど……小春は昔から家具を見るのが好きで、その時に見て気に入った家具をいまだに記憶しているらしいんですよ」


「ちょ、ちょっと待って。いま小春ちゃんは高三だから……7年くらい前のことになるよね? その頃の記憶を元に、家具のスケッチを書き上げたってこと?」


「そうなんです。それもかなり細部まで覚えていて……あたかも写真を見ながら書いたようなスケッチなんです」


「もしかして……小春ちゃんって、天才なんじゃないの?」

 俺は興奮気味に言った。


「天才は言いすぎかもしれませんけど……美術の才能はあると思います」


 そうだったんだ。

 それぐらいのレベルに達しているのであれば、その道に進みたいと思うのは自然かもしれない。


「私もそんなに好きなことがハッキリしているのだったら、別に大学にこだわらなくても……とは思うんです。でも家の両親が……」


「ああ……まあご両親としたら、大学くらいは出てほしいって思うだろうね」


「はい。明青大には芸術系の学部がないので、美大とか他の大学でもいいから考えたら? って両親は説得してるんですけど……小春は『時間とお金の無駄だし、集中してデザインの勉強がしたい』って言うんですね。ただ……」


「ただ?」


「本音の部分で、あの子勉強が嫌いなんですよ。だから大学で自分の興味以外のことを勉強するのがイヤっていうのがかなり強いんじゃないかって思うんです」


「ああ、そっか。それはわからないでもないなぁ……確かにご両親の気持ちもわかるけど」


 せっかく娘を明青大の中等部から進学させて、高3になって『大学に行きたくない』って言われたら……ご両親の落胆は理解できる。


「まあでも実際その道に進むのは、小春ちゃん自身だからなぁ……っていっても俺は完全に部外者だから、なんとも言えないけど」


「そうですよね……なんだかすいません。ご心配をおかけするだけになっちゃいました」


「そんなことないよ。でも……小春ちゃんのやりたいことがそれだけクリアだったら、そっちの道に進んだほうが本人は後悔しないんじゃないかな。いろいろ事情があるかもしれないけどね」


「はい、私もそう思います」


 あの小春ちゃんが、自分の進路を自分で決めようとしている。

 俺も就活を頑張らないといけないな。

 そう気を引き締めた。

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