No.165:誕生日
翌週の8月25日。
俺の誕生日だ。
前日の24日は明日菜ちゃんの誕生日。
俺たちは付き合って最初の誕生日を、どう祝おうか考えていた。
まったくの偶然だが、25日の夜は俺はヴィチーノのシフトが入っていなかった。
かわりに誠治と綾音はシフトに入っていた。
俺たちが付き合い始めたことは、誠治にも綾音にもLimeで伝えてある。
それだったらと二人からの強い勧めもあって、明日菜ちゃんと二人でヴィチーノで食事をすることにした。
俺は明日菜ちゃんと二人で、ヴィチーノの入り口をくぐる。
奥から誠治が出てきて対応してくれた。
「よー、いらっしゃい、お二人さん」
「こんばんは、誠治さん」
「ようやく付き合い始めたんだな。こっちはいい加減、待ちくたびれたぞ」
「そんなこと言ったって仕方ないだろ」
「とりあえず……二人ともおめでとさん」
誠治の言葉に、明日菜ちゃんは「ありがとうございます」と少しはにかみながら返していた。
席に案内されると、お冷を持ってきてくれたのは綾音だった。
「いらっしゃーい。お二人ともおめでとう」
「おめでとうって……誠治にも言われたんだけど、結婚するわけじゃないんだからな」
「そりゃそうでしょ。でも明日菜ちゃんは嬉しいよね? なに? 瑛太は嬉しくないの?」
「い、いや、そういう訳じゃないけど……」
明日菜ちゃんはニコニコと笑っているが、俺はタジタジである。
二人でメニューを見ながら、注文を決める。
「最後のデザートとコーヒー・紅茶は、ウチと誠治が奢るからね」と綾音が言ってくれた。
俺たちは二人の好意に甘えることにした。
俺が告白したあの日以降。
明日菜ちゃんは日曜日だけでなく、ちょくちょく俺のアパートに来るようになった。
もう恋人同士なので、いつ会ってもいいわけだ。
俺のシフト前の夕方の時間とか、短い時間だが一緒にお茶して喋って……そしてキスをして明日菜ちゃんは帰っていく。
そんな新しい日常が始まった。
俺は明日菜ちゃんに、川遊びのとき綾音に言われたことも既に話してある。
好きだった、と言われたこと。
でも今はそうじゃない、ごめんね、と言われたことも。
まるで俺が振られたようだったと。
明日菜ちゃんはとても驚いていた。
「そういえば、美桜にもLimeで連絡したんだよ」
俺はシーフードグラタンを食べながら、そんな話をした。
「美桜さんに……」
「ああ。おめでとうって言われたよ」
「そうなんですね……私、恨まれてないですかね……」
「そんなことは絶対にないよ。美桜はそんな奴じゃないから」
「ですよね」
明日菜ちゃんは明太子スパを食べながら、少し力なく笑った。
『付き合い始めたことを教えてくれたんだから、別れるときもちゃんと報告してね』
美桜にいたずらっぽくそう言われたことは、黙っておくことにした。
デザートのドルチェと飲み物が運ばれてきた時……
「はい、瑛太さん」
明日菜ちゃんが細長い小箱をテーブルの上に出してきた。
「お誕生日プレゼントです」
「えっ? でも俺、用意してないけど……」
「いいんです。だってここのお支払いをお願いできるんですよね? そっちの方が負担が大きいぐらいですよ」
俺と明日菜ちゃんは、事前に話し合っていた。
付き合った記念にヴィチーノで食事をする。
そのかわりプレゼントは、お互い特に用意しないでおこうと。
ただ付き合って初めてのデートだから支払いは俺にさせてね、と言っていたのだが……。
「本当にいいの?」
「もちろんです。気に入ってもらえるといいんですけど……」
「開けてもいいかな?」
「はい」
箱の形から、中身の予想はついた。
リボンを外して包装紙を剥がし、蓋を開けると趣味の良いネクタイが現れた。
濃紺にイエローゴールドのストライプが斜めに入っている。
ネイビーのスーツでもグレーのスーツでも、どちらにも合う色柄だ。
「ありがとう。嬉しいよ。色もすごく趣味がいいね」
「気に入ってもらえて、よかったです。瑛太さん……女性が男性にネクタイをプレゼントする意味って知ってますか?」
「? いや、わかんないけど」
「もうっ……あとでネットで調べてみて下さいっ」
明日菜ちゃんは少し拗ねた表情をしたが、またすぐにいつもの笑顔に戻った。
◆◆◆
「あー、そっか。ネクタイはこれから必要だもんね」
瑛太と明日菜ちゃんのテーブルにドルチェと飲み物を運んだウチは、少し離れたところで様子をチラ見していた。
明日菜ちゃんがリボンのかかった細長い箱を、瑛太に渡しているところをウチは目撃してしまう。
「長いことかかったけど、結局くっついちまったな。あの二人」
誠治がウチの隣で、そう呟いた。
「そうだねぇ。まあ収まるべき所に収まったって感じかな」
「……綾音はこれで良かったのか?」
「えっ? ああ、もちろん。これで良かったに決まってんじゃん」
強がりじゃない。
ウチは心からそう思ってる。
「そっか。ならいいけどな」
「なに? 何か不満でも?」
「そうじゃねえ。ただ……それならオレは、もう遠慮する必要もなくなったってことだからな」
「へっ?」
誠治の言っている意味を咀嚼するのに、数秒かかってしまった。
思わず誠治の顔を見上げると、少し悪い笑顔を浮かべていた。
「も、もう! ちょっとは遠慮してよね。それに……ウチはそんなにチョロくないんだからっ」
「ああ、そうだな……」
誠治はそう言うと、一歩踏み出してウチとの距離を縮めた。
そして顔をウチの耳元に近づけると……
「好きだぞ、綾音」
「ヒャイッッ……」
耳元でそう呟かれたウチは、血が顔に逆流してくるのが分かった。
「も、もう! 仕事しなさいよ!」
ウチはすぐに誠治から離れて、テーブルから空いた食器を回収に回った。
ウチは何度もお皿を床に落としそうになった。
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