No.141:訊いていいか?


 腹を満たした俺たちは車に戻って、その足でケチャックダンスの会場へ向かう。

 会場はウルワツ寺院というところで、車で20分ぐらい走ったところだ。


 ウルワツ寺院の駐車場で車を降りて、俺たちは会場へ移動する。

 入り口で入場料を支払うと、サロンといわれる腰巻き用の布を貸してくれた。

 これを腰に巻いて寺院に入らないといけないらしい。


 少し歩くと……驚いた。

 まわりに猿がたくさんいるのだ。


「この猿たち、いろんなものを取っていくから気をつけてね」


 香織さんが教えてくれた。

 この猿たち、観光客のメガネとかネックレスとかを盗んでいくらしい。

 ただこのエリアでは猿は神聖な生き物らしく、追い払うようなことはしないようだ。


 しばらく歩くと、予想もしないような景色が待っていた。

 ウルワツ寺院は海岸沿いの断崖絶壁の上に建てられている。

 そこからの見下ろす海が絶景なのだ。

 太陽も大分傾いてきていて、海の向こうの曇り空から陽の光が差し込んできている。

 とても幻想的だ。


「絶景ですね」


「でしょ? ここからの眺めは一見の価値ありなのよ」

 誠治の言葉に、香織さんは少し自慢げに答えてくれた。


 そのまま俺たちは、ケチャックダンスの会場へ入る。

 会場は全席自由席だ。

 俺たちは特等席とまではいかないが、正面のいい位置に陣取ることができた。


 しばらくすると海の夕焼けをバックに、上半身裸の男性たちが入場してきた。

 数が多い。おそらく30人ぐらいはいるだろうか。

 全員両手をあげ、独特なリズムを発声しながら入ってくる。

 その一段は円陣となり、「ケチャケチャ」という独特な音を奏で始める。

 楽器は一切使われず、全て声と歌だけで演じられる。


 物語は古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』を題材とした舞踏劇らしい。

 ストーリーは簡単に言えば、魔王に誘拐された王子の妻を、白い猿が奪還するというもの。

 登場人物が入れ代わり立ち代わり現れ、男性たちの声と歌声で物語が進んでいく。


 圧巻は地面に焚かれた火の輪を、白い猿が蹴り上げながら走り回るシーンだ。

 観客も歓声を上げ、一番盛り上がる。

 ヤケドとかしないんだろうか……心配になってしまう。


 約一時間の公演は、最後にメインキャストが整列して終了した。

 会場からは万雷の拍手が沸き起こった。


        ◆◆◆ 


「迫力があったな」

「ああ。海をバックに、なんだか神聖な儀式というような感じがしたな」

「そうだね。それにあの独特のリズムは、今でも耳について離れないよ」


 香織さんが運転する帰りの車の中。

 誠治と俺、それに詩織さんもケチャックダンスの余韻に浸っていた。


「まあでも神事というよりは、最近は観光客向けのショーって感じだけどね。ケチャックダンスは他のところでもやってるけど、あそこはロケーションがいいし興行としてはドル箱だと思うわ」


 観光客向けのショー、か。

 そういえば……白い猿は客席の方から登場してきて、客と一緒にセルフィー撮ってたっけ。

 まあエンターテイメント性が必要ということなんだろう。


「じゃあ明日はウブドの方へドライブするわよ。午前中に迎えに行くからね」


 ホテルに着く寸前で、香織さんはそう言った。

 どうやら明日も一日、俺たちを詩織さんと一緒に観光へ連れて行ってくれるようだ。

 本当に有り難い。


 ホテルのエントランスに到着した。

 俺たちは香織さんと詩織さんにお礼を言って、車を降りた。

 フロントの横を通って部屋へ戻ろうとすると……。


「新藤さま、仲代さま」


 女性の声がした。

 日本語デスクのヤニーさんだ。


「おかえりなさいませ」


「こんばんは、ヤニーさん。実はさっきまで、香織さんと一緒だったんですよ」


「はい、香織から連絡ありました! 香織のお友達だったんですね。びっくりしましたー」

 ヤニーさんも、興奮気味だ。


「お友達ではないんですけど……東京で俺たちがアルバイトしているレストランに、香織さんの妹さんも以前一緒に働いていたんです。とてもお世話になったんですよ」

 俺は日本語でゆっくりと説明した。


「はい、香織からも聞きました。本当に偶然ですね」


「香織さんとも、仲良しなんですか?」


「はい。もともと香織がバリに来たばかりの時、私が香織にインドネシア語を教えていたんですね。それで私も香織から、日本語を教えてもらってました」


「ああ、なるほど。そういうことなんですね」


 俺たちは屋台村へ行ったことや、ケチャックダンスの話で盛り上がっていた。

 しばらく話し込んでいたが、他の日本人客がやってきて俺たちの後に並んだ。

 どうやらヤニーさんに、用事があるようだ。


「じゃあヤニーさん、俺たち部屋に戻りますね」


「あ、はい。それではおやすみなさい。スラマッ マラム」


 俺たちは長い廊下を歩いて、部屋に戻る。

 部屋の中に入って、新しいシーツに交換されたそれぞれのベッドの上に俺たちは寝っ転がった。


「いやー、充実した一日だったな。あの屋台村よかったな。オレ、ああいうところに行きたかったんだよ」


「ああ、食べ物も美味かったし。ちょっと辛かったけど」


「衛生的に大丈夫かな? 腹こわさないといいけど」


「確かにそこは心配だ」


 俺も誠治も朝方プールで泳いだりしたので、結構疲れていた。

 そのままベッドの上で横になっていたら、眠ってしまいそうだった。


 少し早いが、交代でシャワーを浴びて寝ることにした。

 二人とも歯を磨いて、それぞれのベッドで横になる。


 沈黙が訪れる。

 このまま眠ってしまおう……そう思っていた。

 だた……俺は旅行中に、誠治に一つだけ訊いてみたいことがあった。

 

「なあ誠治。エリちゃんと綾音と、なにがあったのか訊いていいか?」

 

 気がつくと俺の口から、そんな言葉がこぼれていた。

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