No.138:香織さん


「こんにちは。詩織の姉の香織かおりです」


 詩織さんの隣の席の女性が、素敵な笑顔でそう挨拶してくれた。

 詩織さんに似ていると言えば似ているが、詩織さんほど背が高くない。

 それにどちらかというと、ぽっちゃり系の可愛らしい女子だ。

 年齢的には多分アラサーだろう。


 散々店内を騒がせた俺たちだったが、香織さんが店員さんに頼んで俺たちを同じテーブルに移動させてもらった。

 せっかくだから、一緒にお昼を食べようということになった。


「それにしても瑛太君と誠治君にバリ島で会うとはね……全く恐ろしい偶然だよ」


「本当ですね。俺もびっくりです」


 俺たちはバリ島へ来た経緯を説明した。

 誠治が懸賞に当たったこと。

 インターパシフィック・バリ・リゾートに3泊していること。

 ホテルの食事は高いから、外で食べようとここへ来たこと。

 順を追って説明した。


「インターパシフィックだったら、日本語デスクにヤニーちゃんいなかった?」

 話を聞いていた香織さんが、俺たちに訊いてきた。


「はい、この店もヤニーさんから聞いたんですよ。お知り合いでしたか?」


「知り合いも何も、ほとんど親友よ! そっかー、本当にすごい偶然だね。あとで連絡とってみよっと」


 香織さんとヤニーさんが親友……なんとも狭い世界だ。


「お二人とも、旅行で来られたんですよね?」


「いや、私は旅行で来たんだけど、姉はこっちに住んでるんだ」


「えっ?」


 俺の質問に、詩織さんから意外な答えが帰ってきた。


 大手商社に勤める社会人1年目の詩織さんは、それはそれは多忙な毎日だったらしい。

 休暇を打診しても、なかなか予定が合わなくて有給休暇を消化できなかった。

 ところが2月に入ると、年度末を見越した人事部から「有給をとりなさい」と怒られたらしい。

 取らせてくれなかったのはそっちだろうと怒りを覚えながらも、詩織さんは1週間、土日を含めて9連休の有給休暇を取得。

 せっかくなので姉の住んでいるバリ島へ4泊、帰りにシンガポールで2泊してから帰国する予定だそうだ。


「香織さんはこっちに住まわれているんですね。羨ましいですよ」


「うーん……それはそれで、いろいろと大変なのよ」


 誠治に訊かれて、香織さんは自身の話をいろいろと聞かせてくれた。

 その話はなかなか他では聞かれないような、紆余曲折に満ちたストーリーだった。




 大学卒業後、大手広告代理店に勤めていた香織さんは、仕事上の付き合いでひとりのインドネシア人の青年と出会った。

 8つ上の男性で、仕事のできるとても素敵な人だったらしい。

 しかも話によると、インドネシア現地の財閥系企業グループの社長子息とのこと。

 かなりのお金持ちであることは明らかだった。

 二人は恋に落ちて、香織さんはプロポーズされた。

 家族の反対もあったが、それでも香織さんは真剣に結婚を考えていた。


「僕の家族に会ってほしい」


 そう言われて、彼の実家があるジャカルタへ一緒に向かった。

 ジャカルタの家はメイドさんが何人もいるような、とんでもない豪邸だったらしい。


「素敵なお話ですね。その方が今のご主人なんですね」


「ところが、そうじゃないのよ」


 俺は話の腰を折ってしまった。

 香織さんは続ける。


 彼の実家に入ると、最初にご両親に挨拶された。

 そしてもうひとり、自分よりも少し年上の綺麗な女性がいた。

 最初はお姉さんかな、と思ったらしい。


 すると彼の口から衝撃の一言が。


「妻です」


「は?」


 その男性は既婚者だった。

 そして香織さんには、第二夫人になってほしいというプロポーズだった。


 確かにこの国では、一夫多妻が法律で認められている。

 しかし香織さんは、我慢ならなかった。

 なによりもそのことを今まで隠していたその男性の不誠実さに、香織さんは爆発した。


 香織さんはその場で、男性にビンタを食らわせた。

 そしてすぐさま単身空港へ引き返した。


 傷心の香織さんは、そのまま日本へ帰る気にもならなかった。

 せっかくだから以前から興味があったバリ島へ行ってみよう。

 それが最初にバリ島へ来たきっかけだった。


 香織さんはバリ島に、みごとにハマってしまった。

 綺麗な海、食べ物、文化、明るいローカルの人達、ゆったりと流れる空気……全てに魅了されたらしい。


 帰国後香織さんは、とにかく時間を見つけてはバリ島へ足を運ぶようになった。

 そのうちに観光客があまりいかないようなレアなところへも行くようになった。

 ホテルも高級ホテルではなく、安くてそれでも安全なところを探してコストを抑えたらしい。

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