No.127:やっぱ胸かな?
「あーもう、疲れたぁー」
ウチはひとりで小さく伸びをして、大教室を出た。
今日は後期試験の初日。
最初の科目をなんとか乗り切った。
明日も試験があるけど、とりあえず帰って寝たい。
すこし仮眠してから、また勉強だ。
最近勉強だけじゃなく、いろんなことが起こったせいで頭が働かなくなるときがある。
ウチの頭はマルチタスク用に作られていないようだ。
エリちゃんからのカミングアウト。
誠治の思い。
ウチの瑛太への思い。
どれも消化しきれていない。
そもそもなんで誠治はウチなんだろう。
「やっぱ胸かな?」
誠治はあからさまな巨乳好きだ。
こんなのが目当てなの?
ウチは自分の胸を見下ろす。
そこでウチは思い出した。
どうして最初から、ウチは誠治を敬遠していたのか。
それは以前から誠治が「遊び人」という噂を聞いていたからだ。
もし誠治みたいなのと付き合ったら、簡単にヤラれて簡単に浮気される。
そんな未来が容易に想像できた。
だから本能的に、最初から『彼氏対象外』の存在だった。
「でもさ……」
でもそれを言ったら……ウチはなんで瑛太なんだろう。
あのとき、たまたま大教室の後ろで出会って。
お互い地方出身だから親近感を感じて。
その優しさ、気遣い、声、クシャッと笑う笑顔。
そんなところにウチは惹かれた。
「結局理屈じゃないってことなんだろうね……」
ふとあの日の昭和純喫茶の事を思い出した。
エリちゃんは勇気があった。
誠治の思いを知りながら。
ウチの思いを知りながら。
エリちゃんは自分の思いを、誠治にぶつけた。
後悔しないために。
ウチはあのときの誠治の声が、今でも耳に残って離れない。
『オレなんかの気持ちは、どーだっていいんだよ!』
あんなに悲壮感の漂った誠治の声を聞くのは初めてだった。
ずっと誠治にそんな思いをさせていたんだ……。
その事実にウチの胸は苦しくなった。
でもその後、誠治はウチに笑顔で言ってくれた。
瑛太への気持を大事にしろと。
自分に向き合えと。
もし上手く行かなくても、絶対にウチの居場所は作るからと。
ウチから目を逸らさず、少し硬い笑顔で言ってくれた。
その時ウチが感じた感情……。
誠治に対する申し訳無さと。
ウチの事をそこまで思ってくれている感謝と。
ライバルの多い瑛太に対する気持ちと。
これからも居場所はあるんだという安心感と。
いろんな感情がごちゃまぜになって、その気持に名前がつけられない。
「ハァーッ……やっぱ早く帰って寝よ」
「なにため息なんかついてんだ? 幸せが逃げるぞ」
「へっ?」
その声に振り返ると、誠治がいた。
噂をすれば影、だ。
「綾音も今日は終わりなのか?」
「う、うん。誠治も?」
「ああ。瑛太はこの後もう一つ試験があるらしい」
「そうなんだ」
ウチは誠治と並んで歩く。
いままであまり意識してなかったけど、誠治は基本長身のイケメンだ。
今だって、周りを歩いている女子からの視線も感じるくらい。
「そんなに意識されると、こっちもやりづらいんだが……」
「なっ……だ、だって、しょうがないでしょ」
「だから忘れろって」
「そうしたいわよ」
横で誠治のため息が聞こえる。
ウチだって意識したくてしてるわけじゃないのに……。
「安心してくれ。オレは綾音の嫌がることは絶対にしないから。今までだってそうだったろ? オレ、なにか綾音の嫌がる事したことあったか?」
「あるある、絶対ある! ちょっと待っててよ、今思いだすから!」
「無理やり思い出さんでいいわ!」
ウチは記憶を手繰る。
嫌なこと、嫌なこと……
あれ? なんか思いつかない……。
誠治にされて嫌だったこと……ないかもしれない。
思い返すと、誠治はいつだってウチの思いを尊重してくれた。
もともと自分の意見を無理やり押し通すことをするタイプじゃない。
ウチの瑛太に対する思いだって、誠治は……
「あーー、思い出した!」
「なっ、何だ?」
「夏休みに瑛太の実家に行ったとき」
「うん?」
「川に遊びに行ったじゃない?」
「ああ、行ったな」
「あっち向いてホイの、ゲームやったでしょ?」
「ああ……あー、あれか」
「なんでウチだけ、正面から水をかけたのよ」
「正確には綾音と弥生ちゃんだけどな」
「どうぜ自分が見たかったからなんでしょ?」
「それはだな……うん、はい、すいません。見たかったからです」
「も、もう……まあいいんだけどさ……」
「いいのかよ……」
結局嫌だったことを思い出せなかったウチは、照れ隠しで言っただけだった。
「……また今年も皆で長野行けるかな?」
「ああ、行こうぜ! 絶対に行こう。来年になったら就活が始まるだろ? だから難しいかもしれないし。今年は行かないとな」
「そっか……もうそんな時期なんだね」
「ああ……ずっと学生でいられるといいんだけどな」
「本当にそうだね」
社会人かぁ。
社会人になったウチ達は、いったいどうなっているんだろう。
ウチと誠治はとりあえず明日の試験について話をしながら、駅までの道を歩いていった。
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