No.91: やったのか?


 食器を洗い終えると、瑛太はベッドの方へ来てくれた。

 そしてウチのすぐ横に座った。


「薬は飲んだのか?」


「うん。さっき飲んだから、まだ飲むのは早いかな」


 瑛太と二人っきり。

 緊張するけど、満ち足りた時間。

 二人とも、言葉少なだった。


「俺、そろそろ帰ったほうがいいか?」


「やだっ」


 ウチの口から、反射的にそんな言葉が出ていた。


「あ、ごめん……瑛太、忙しいの?」


「いや、今日はヴィチーノお休みだろ? 忙しくはないぞ」


「……じゃあもう少し、いてくれる?」


 瑛太は少し驚いた表情を浮かべると、その奥二重の目をクシャッと崩して優しく笑った。


「わかった」


 ……ウチ、どうしちゃったんだろ。

 やっぱり熱がある。


 また二人の間に沈黙が流れた。

 瑛太はスマホを取り出して、何かを見始めた。


「ねえ、なにか喋ってよ」

 ウチは無言に耐えられなくなって、そう言った。


「そうだな……民法改正についてとか、どうだ?」


「やめてよ」


 二人共、笑った。

 それから少しだけ、たわいもない話をした。

 3人の1年生のこと。

 大学や授業のこと。

 ヴィチーノでのバイトのこと。

 瑛太のやさしい声が、とても心地よかった。


 どれぐらい、そうしていただろう。

 知らないうちに、ウチは意識を手放していた。

 夜起きたときには、瑛太は部屋からいなくなっていた。


        ◆◆◆


「まったく……どうしたんだ? 綾音らしくもない……」


 隣でスヤスヤと寝息を立てて、眠りについた綾音の寝顔を見て俺はひとりごちる。

 後輩思いのしっかり者で俺にはからかい気味に冗談を言ってくるいつもの綾音は、そこにはいなかった。

 

『もう少し、いてくれる?』


 顔を赤らめ、上目遣いにそう言った。

 そんな恥ずかしそうにしている綾音を、俺は初めて見た。

 まあ熱があるんだから、寂しいんだろうな。


 でも……その胸は反則だ。

 熱いからだろう。

 パジャマの一番上のボタンを外していた。

 そのおかげで、綾音の巨乳がかなり際どいところまで見えてしまっていた。

 水色のレースのブラも……。

 ボタンをとめてくれと言ったら、断られた。

 なんなんだ、一体……。

 まあ眼福ではあったが。


 あらためて綾音の寝顔を見る。

 こうしてみると、綾音だって顔立ちの整った超美人だ。

 それにこうして無警戒な寝顔を見ると、いつもよりも幼く見える。

 

「少しは警戒心を持てよな」


 俺のことを100%信用してくれているんだろう。

 それはそれで嬉しいんだが……。

 

 俺は簡単に後片付けをした。

 そして電気を消して、綾音の部屋を出る。

 こういうときオートロックは便利だな。

 そんな変なことに感心していた。 

 

        ◆◆◆ 


 翌日、大学で1コマ目の授業を終えたあと学食へ向かう。

 そこには綾音の姿があった。


「綾音、もう熱はいいのか?」


「あ、瑛太。うん、熱はもう大丈夫。まだちょっとふらつくけどね」


「そうか。無理すんなよ」


「うん。昨日はありがとうね。あのお粥と豆腐ステーキが効いたかも」


「そうか? ならよかったよ」


「それと……なんかごめんね。ウチちょっと普通じゃなかったかも」


 昨日の自分を思い出したのか、綾音の顔が真っ赤に染まった。


「ははっ、確かにな。熱があったせいだろ。可愛かったぞ」


「なっ……」


「たまにはああやって、人に甘えたらどうだ?」


「もう!」


 綾音は耳から煙が出てきそうな勢いで、ファイルノートで俺の腕をペシペシ叩いてきた。


「なにやってんだ? おまえら」


「誠治、助けろ」

 

 いいタイミングで誠治が入ってきた。

 俺は誠治の背中に回る。


「もう! 瑛太が意地悪なんだよ!」


「おまえら昨日、何があった? さては……やったのか?」


「やってねえ!」「やってないわよ!」


「あ、綾音さんだ! もう熱は下がりましたか?」

「綾音さん、ごめんなさい。エリたちも昨日お見舞いに行きたかったんですけど……」

「綾音先輩、もう大丈夫なんスか?」


 結局俺まで顔を赤くする羽目になったが、あとからやって来た1年生3人にはなんとか気づかれずに済んだ。

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