No.75:俺は幸せ者だな


 週末の日曜日。

 恒例のお好み焼きデーだ。

 いつもの時間に、明日菜ちゃんはやってきた。

 白と紺のボーダーニットのミニスカートに、薄手な水色のタイトセーター。

 今日もスタイルの良さが際立っていて、白のストッキングに包まれた形のいい足が眩しい。


「瑛太さん、こんにちは。はい、これどうぞ」


 綺麗にラッピングされた赤い箱を、明日菜ちゃんは差し出した。


「自信作ですよ。味わって食べてくださいね」


「ありがとう、明日菜ちゃん。よく味わっていただくよ」


 俺はキッチンに回って、お好み焼きのタネづくりを進める。


「それから今日の差し入れは、これです」


 小さな袋に入っていたのは、チーズと……


「これは、明太子だね」


「はい。『明太チーズ』のお好み焼きは美味しいって聞いたので。あとこれはいつものスコーンです」


 そういって大きめの袋も渡してくれた。

 小ぶりだが10個以上のスコーンが、いつも入っている。

 俺は毎朝それを消費していて、とても助かっている。


「スコーンとかパンとか、いつもありがとね。凄く助かってる」


「よかったです。今日のはですね、アーモンドプードルを入れてみました。風味が良くなってると思います」


「そうなんだね。楽しみだよ」


 俺は明日菜ちゃんから受け取った明太子とチーズを、お好み焼きのタネに混ぜる。

 最近明日菜ちゃんは、プレートや箸を出すのを手伝ってくれる。

 

 ホットプレートで焼き始めた。

 片面が焼けたので、ひっくり返して蓋をして蒸す。


「瑛太さん、今年はチョコ何個もらったんですか?」


「えっ?」


「当てましょうか?」


「えっ?」


「これを入れて、3個ですね」


「えっと……正解だよ……」


「ふふっ、よかったです。想定内でした」

 明日菜ちゃんは悪戯っぽく笑った。


「俺もびっくりだよ。なにしろ去年はゼロだったからね」


「えーっ? そうだったんですか? 意外です」

 明日菜ちゃんが大げさに驚いている。


「まあ受験もあったし、彼女もいなかったらそんなもんじゃないかな」


「そういうもんなんですかね……」


 ホットプレートの蓋の隙間から、湯気が出ている。


「瑛太さん」


 明日菜ちゃんの顔つきが、真剣になった。


「ん? なにかな」


「あの……来年渡す時は、『本命チョコです』って言えるように頑張りますからね」


「明日菜ちゃん……」


 俺はちょっと驚いた。

 そして……何故か可笑しくなって吹き出してしまった。


「な、なんですか! 笑うところじゃないですよね!」


「いや、ごめんごめん。なんだか……可愛いなって思って」


「も、もう! 相変わらず瑛太さんは意地悪です」

 明日菜ちゃんは顔を真っ赤にして反論してくる。


「でも明日菜ちゃん、頑張ることじゃないと思うよ。前にも言ったと思うけど……俺の問題でもあるわけだからね」


「でもきっと、頑張らないといけなくなってくると思うんです」


「そうなの?」


「はい。色々あるんです」


「色々?」


「はい。色々です」


 ちょうどそこで、お好み焼きができあがった。

 焼きたてのお好み焼きを、プレートに取り分ける。

 いただきますをして、二人で食べ始めた。


「あ、美味しいです」


「本当だ。たしかにヴィチーノの明太子クリームパスタにもチーズが入ってるから、この取り合わせは美味しいわけだよね」


「あ、そう言えばそうですね」


 お好み焼きにも、新たな発見が多い。

 これも明日菜ちゃんと、ほとんど毎週末作って食べているからだろう。


「あ、明青の学部、決まったんですよ。私は政経に行くことになりました」


「おー凄いね。やっぱり明日菜ちゃん、頭いいんだ」


「そういうわけではないんですけど……で、エリは商学部を希望していたんですが、第2希望の法学部になっちゃいました」


「えー、それは残念だね。商学部と法学部だったら、偏差値は殆ど変わらないはずだけど」


「はい。たまたま今年は商学部の希望者が多かったんだと思います。エリ自身、どっちでもいいって言ってましたし」


「そっか。それならよかったよ」


「それで、いよいよ水曜日から自動車教習所が始まるんですよ」


「高校の方は、もう行かなくていいの?」


「はい。自主通学期間に入りましたから、行っても行かなくてもいいんです」


「そっか。綾音も札幌で免許取るらしいからね」


「はい、もう北海道に帰られてしまったんですよね。ちょっと寂しいです」


「俺も免許取りたいんだけどね。なかなか先立つものが乏しくて……」


「大丈夫ですよ。私が乗せてあげますから。ドライブデート、行きましょうね」


 どうやら明日菜ちゃんは、俺を乗せてくれる気満々らしい。

 まあそれはそれでありがたいが、男としてはどうなんだろうな……。


「ところで瑛太さんは、長野には帰らないんですか?」


「ああ、来月一週間ぐらい帰ろうと思ってるよ。お正月に帰らなかったから、まあ春休みには一度戻らないと、って思ってる」


「そうなんですね」


 そのときに、教習所へ行く費用の負担を親に頼んでみようか……。

 いずれにしても、免許はもう少し先だな。

 それから……ヴィチーノのバイトの頻度も増やそう。

 春休み期間は、ランチの時間帯も入れるしな。

 明日菜ちゃんとお好み焼きを食べながら、いろいろと思考を巡らせていた。


 しばらくしてから、明日菜ちゃんは帰っていった。

 俺はお好み焼きの後片付けをした後、椅子に座った。

 テーブルの上には、明日菜ちゃんが持ってきてくれたチョコレートが置いてある。


 赤い箱を開けると、丸いトリュフが何個も入っていた。

 それを一つつまんで、口に運ぶ。

 甘い香りと洋酒の風味が、口いっぱいに広がった。

 これは……オレンジリキュールだな。

 明日菜ちゃんらしい、お洒落なアレンジだ。


 俺はこの間口にした、美桜からもらったチョコレートを思い出す。

 小さなハートに型抜きされた、ホワイトチョコとのマーブルだった。

 素朴な味のチョコレートは、2年前の記憶を呼び起こす。

 甘くてほろ苦い味だった。


「いずれにしても、俺は幸せ者だな」


 そう自分に言い聞かせた。

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