第4話 改善プログラムその1(チラシ配り)
「すいません。先ほどご連絡した瀬崎と言いますが、松原さんはいらっしゃいますか?」
「松原・・・あ、副店長ですね。少々お待ちください」
松原さん、副店長なのか。
「お待たせしました。松原は事務所にいますので、ご案内します」
「よろしくお願いします」
俺は緊張していないようになるべく装いながら、事務所まで案内してもらった。
本日、俺の仕事は休み。
さっそく緒方医師から渡された「改善プログラム」から、やりやすそうなものを選び連絡した。こういうのは早い方がいい。
選んだのは「家電量販店のチラシ配り」。これまた家から一駅、歩いてでも来れる距離で、俺もお客さんとして年に何回か足を運んでいる、この辺りではそこそこ大きめの店だ。
家電の仕事は以前ちょっとだけやったことはあるし、何とかなるだろう。
「はじめまして。副店長の松原といいます。瀬崎さん、どうぞおかけになってください」
「はじめまして。本日はよろしくお願いします」
挨拶をし、断るのもなんなので、勧められた椅子に遠慮なく座る。
「さて早速ですが、本日は緒方先生の紹介でチラシ配りを2時間ほど手伝っていただけると言う事で、間違いないですか?」
「はい、間違いないです」
松原副店長は、少々複雑な「ありがたいけど、いいのかな?」といった表情で再度確認する。・・・というか、多分そう思ってるんだろうなぁ。
「こちらとしてはありがたいのですが、アルバイトと言う形ではないので給与はお出しできません。失礼ですが、大丈夫ですか?」
まぁ、学生の職場体験ならともかく、いい年のおっさんがいきなりボランティアすると言ったらこうなるよね。
「大丈夫です。・・・あまり言えませんが、緒方先生絡みで少々ありまして。」
それだけで察したのか、
「ああ。・・・腕のいい良い先生なんですけど、そういうところありますよね」
自分も似たような経験があるのか、同情するような発言をもらう。
なんとなく言ってみたにも関わらず、すんなり理解してもらったことに逆に当惑する。緒方先生、あなたやっぱり、世間からそう思われてるよ・・・
「えっと、具体的な仕事内容を伺ってもいいですか?」
「あ、少々お待ちください」
そう言って松原副店長は席を外すと、事務所から出ていく。「えっと、今日の分って、これだよね?」「OK、ありがと」
程なく、チラシの束と思われるものを持って、事務所に戻ってきた。
「失礼しました。こちらのチラシを、お客様入り口付近の外で配って頂きたいと思います」
「わかりました。もらいますね」
俺は松原副店長からチラシの束を受け取る。
「中身、ちょっと見させてもらっていいですか?」
「どうぞ」
俺はチラシにざっと目を通す。ふむふむ
「お客様へのお薦めはこれでいいですか?在庫とかの関係で他に薦めて欲しいものがあればそれと、それぞれのおすすめポイントを教えてくれますか?」
チラシで一番目のつく、いわゆる目玉商品を指さし、確認する。
聞かれた松原副店長は、何故か驚いた表情で回答してくれる。
「あ、はい。・・・できれば、これとこれも薦めてくれますか?」
目玉とは違う薦めて欲しい二つの商品を指さし、おすすめポイントをざっくりとだが教えてもらった。
「わかりました。と言っても、お客様に聞かれてわからない所は、近くのスタッフさんに尋ねますのでよろしくお願いします」
「もちろんです。・・・えっと、失礼ですが、こういった仕事の経験が?」
あら?本当に俺のことは一切伝えてないんやね。聞かれたら答えても良いって言ってたよなぁ?じゃ、いっか。
「はい。以前にちょっとですが家電製品の販売をやってました。だいぶ昔で最近の製品はわからないので恐縮ですが・・・」
「いえいえ、助かります。お分かりかもしれませんが、この業界常に人材不足なので」
わかります。大きく首を縦に振りそうになるが、こらえる。
「今回のチラシ配りも、本当に「ただチラシを配ればいい」と思ってる若い子が多くて・・・元気に配ってくれるのはいいんですが、初歩的なことをお客様に聞かれてあたふたされると、「う~ん」ってなっちゃうんですよね。」
わかります、ホントそれ。再び大きく首を縦に2回ほど振りそうになるが、これもかろうじてこらえる。
「まぁ今回、瀬崎さんと一緒にチラシを配る担当の子は、バイトですが、ひょっとしたら一部社員よりも家電知識があるんじゃ無いかと思ってます。」
「でも逆に、あまり積極的に動かないタイプの子なんですけどね。」
苦笑いする副店長。短時間とは言え、一緒に仕事をする相手。ここは聞いとかいといけないかな。
「人見知りするタイプの子ですか?」
「う~ん。私の印象ですが、初対面の人とも普通に話せそうですし、人見知りって程でも無いと思うんですが、何でしょうねぇ?」
そう言われましても、何でしょうねぇ?
「・・・まぁ、わかりました。あ、着替えとかはしなくていいですか?」
松原副店長は、改めて俺の全身を眺めて答える。
「大丈夫です。一応うちのスタッフとわかるように、そこのハンガーにかかっているジャケットを羽織ってください」
言われた通りジャケットを羽織る。準備は万端だ。
「では、一緒にチラシを配る子を紹介しますね。ついてきてください」
「わかりました」
「武田さん、今ちょっといいかな?」
「副店長?はい」
松原副店長が二十歳くらいの女性に話しかける。
「今日、チラシ配りの応援で来てもらった瀬崎さん。悪いけど、2時間だけ仕事を教えてもらっていいかな?」
「瀬崎です。よろしくお願いします」
俺は頭を下げる。
「・・・私が教える、ですか?」
寝耳に水なのか、当惑した様子で聞き返す武田さん。うん、気持ちはわかる。
「お願いします。自分が教えようと思ってたんだけど、急ぎでやらないといけない案件があって」
(それは聞いてないですよ?・・・言わないけど)
「まぁ、副店長がそう言うなら。えっと、瀬崎さんですね。武田と言います。若輩者で申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を下げる女性に、改めてこちらも頭を下げる。
「慣れない所のチラシ配りは1時間でも大変かも知れません。適度に休んでください。では、よろしくお願いします」
そう言うと松原副店長は事務所に戻っていった。なかなかできる人だな。
「さて、チラシ配りの内容ですが、・・・なんと言いますか、言葉の通りですね。今持っているチラシを道行くお客様にお渡ししてください」
さっきもそう思ったけど、人に教えるのはあまり慣れていない様子の武田さん。
「声かけとか積極的にやった方がいいですか?呼び込みフレーズとかあれば」
「それは・・・実際にやってみますね」
我ながらめんどくさい質問をしたと思ったが、武田さんはめんどくさがると言うより「実際にやった方がわかりやすいだろう」と言った感じでチラシを配っていく。
「いらっしゃいませ!こちら本日のチラシになります!」
笑顔で配っていく武田さん。ふむ、オーソドックスな感じか。
「・・・こういった感じで、いいですか?」
「わかりました。やってみます」
俺はかつての経験を思い出しつつ、チラシ配りを始める。
「いらっしゃいませーー!こちら!本日のチラシです!どうぞ!!!」
わざと若干大きめの声を上げる。びっくりする武田さん。
やや遠くにいた年配の男性も少し驚くが、こちらに向かって声をかけてくれる。
「にいさん、意気がいいねぇ。チラシいい?」
「はい、どうぞ!」
元気よくチラシを渡す。
「へぇ・・・今日のお薦め商品はこれ?」
このお客様、常連だな?俺は副店長に言われたものをお薦めする。
「こちらももちろんいいですが、こちらとこちらもお薦めですよ!」
「へぇ?どの辺がお薦めなの?」
「それはですね。・・・少々お待ちください」
お客様に断り、武田さんの方へ向かう。
「すみません、武田さん。お客様にこれとこれの商品のお薦めポイント聞かれたんですが、教えてくれませんか?」
「え?えっと、」
武田さんは「それは答えられますけど」と言った感じ。
だが、俺とお客を見やりつつ、戸惑いながらもこう言った。
「・・・お客様を待たせちゃうので、私が代わります。瀬崎さんも良ければ聞いておいてください」
「すみません。お願いします」
俺と一緒にお客様の元へ行き、お薦め商品とポイントを淀みなく説明する武田さん。なるほど。
「いやー、よーわかった!お姉さんは説明上手いなぁ!!」
「いえ、そんなこと」
彼女の小さな謙遜の声は聞こえないのか、お客様は機嫌よく店内に入っていった。
「助かりました。ありがとうございます」
「いえ。・・・えっと、あんな感じですけど、次から行けそうですか?」
お、責任感も高い。
「はい。あ、ちょっとわからないところがあるんですけど、いいですか?」
「私がわかる事なら」
俺は武田さんに わざと お客様に聞かれそうだけどやや専門的な部分を質問する。
彼女はびっくりしたようだが、真摯に答えてくれ、
「私がわかる範囲だとこんな感じですが、これでいいですか?」
若干不安そうな表情で言葉をくくる。悪いことしちゃったかなぁ。
「大丈夫です!ありがとうございます」
俺の大丈夫そうな態度にホッとした表情を見せる。
「それでは、チラシ配りお願いします。また何かあれば呼んでください」
「わかりました!」
こうして俺と武田さんは、チラシ配りを再開した。
――――――――――――
(武田視点)
「武田さん、今ちょっといいかな?」
「副店長?はい」
作業準備中に呼ばれ、私は副店長の方を見る。
その隣には初めて見る、30代くらいの男性の人もいた。
「今日、チラシ配りの応援で来てもらった瀬崎さん。悪いけど、2時間だけ仕事を教えてもらっていいかな?」
「瀬崎です。よろしくお願いします」
副店長の隣で頭を下げる男性。
「・・・私が教える、ですか?」
寝耳に水なので当惑して聞き返してしまう。
「お願いします。自分が教えようと思ってたんだけど、急ぎでやらないといけない案件があって」
(ホントかなぁ?まぁ別にいいけど)
「まぁ、副店長がそう言うなら。えっと、瀬崎さんですね。武田と言います。若輩者で申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
年上と言う事もあってちゃんと頭を下げるが、相手も改めて頭を下げてくれる。
「慣れない所のチラシ配りは1時間でも大変かも知れません。適度に休んでください。では、よろしくお願いします」
そう言うと松原副店長は事務所に戻っていった。そっか、休憩も意識しないとだな。
「さて、チラシ配りの内容ですが、・・・なんと言いますか、言葉の通りですね。今持っているチラシを道行くお客様にお渡ししてください」
(いきなり教えろって言われても、難しいなぁ・・・)
「声かけとか積極的にやった方がいいですか?呼び込みフレーズとかあれば」
「それは・・・実際にやってみますね」
説明するより「実際にやった方がわかりやすいだろう」。私はいつも通りにチラシ配りをやり始める。
「いらっしゃいませ!こちら本日のチラシになります!」
新人さんの前での業務だ。笑顔を意識して何枚か配る。
「・・・こういった感じで、いいですか?」
「わかりました。やってみます」
そう言うや、瀬崎さんはチラシ配りを始めた。
「いらっしゃいませーー!こちら!本日のチラシです!どうぞ!!!」
いきなり大きな声だ。びっくり。
やや遠くにいた年配の男性の方も少し驚いたようだけど、瀬崎さんに向かって声をかけてくれる。
「にいさん、意気がいいねぇ。チラシいい?」
「はい、どうぞ!」
元気よくお客様にチラシを渡している。
あ、あのお客様、よく見たら常連の方だ。
ここからは内容までは聞こえないが、常連の方と問題なく会話しているよう。
が、しばらくして瀬崎さんはお客様に断りを入れると、私の方に来て言った。
「すみません、武田さん。お客様にこれとこれの商品のお薦めポイント聞かれたんですが、教えてくれませんか?」
「え?えっと、」
ああ、初めてだから仕方ないよね。んでも、お客様お待たせしちゃうのは、
「・・・お客様を待たせちゃうので、私が代わります。瀬崎さんも良ければ聞いておいてください」
「すみません。お願いします」
私はお客様の元へ行き、お薦め商品とポイントをお伝えした。
「いやー、よーわかった!お姉さんは説明上手いなぁ!!」
「いえ、そんなこと」
お客様は機嫌よく店内に入っていく。・・・良かった。
「助かりました。ありがとうございます」
「いえ。・・・えっと、あんな感じですけど、次から行けそうですか?」
あんな感じって・・・駄目だな、説明が。
「はい。あ、ちょっとわからないところがあるんですけど、いいですか?」
「私がわかる事なら」
瀬崎さんの質問はやや専門的な部分で、ちょっと驚いた。
でも聞かれてもおかしくない内容だ。私はわかる範囲でなるべく答える。
「私がわかる範囲だとこんな感じですが、これでいいですか?」
「大丈夫です!ありがとうございます」
瀬崎さんの返答に、私はホッとした。
「それでは、チラシ配りお願いします。また何かあれば呼んでください」
「わかりました!」
私と瀬崎さんはチラシ配りを再開した。
――――――――――――
俺と武田さんは、まぁ順調にチラシを配っていく。
気づけば1時間が経過していた。
(ああ、ちょっと疲れてきたな・・・)
やったことが無いとたかが1時間と思うかも知れないが、チラシ配りは案外疲れる。まして、お客さんとしては来たことがあっても、従業員としては初めての場所だ。・・・厳密には従業員とは言えないが。
松原副店長も良いと言ってたし、ここは素直に休憩を取ろう。
「すみません武田さん。ちょっと休憩してもいいですか?」
聞いた武田さんは小首をかしげると、腕時計を見て言った。
「あ、もう1時間経つんですね。もちろんいいですよ。・・・休憩場所、わかりますか?」
俺はつい「あっ」と声に出し、罰が悪いながらも素直に言った。
「・・・聞いていませんでした。教えてもらってもいいですか?」
彼女は少し思案し、こう返す。
「・・・そうですね。瀬崎さんが悪いとかじゃないんですけど、私も教えるのに慣れてないので疲れました。案内場所にご案内するついでに、私も少し休みますね」
「それくらい許されますよね?」と暗に示しているようにも見えた。実際そうだろうが、気づかないように返答する。
「ありがとうございます」
「では行きましょうか。あ、チラシはそこのカゴに一緒に置いていてください」
カゴにチラシを置き、彼女と一緒に休憩場所に向かった。
休憩場所はお客様から見えない、いわゆるバックヤードの一角にあった。
従業員用と思われる自動販売機が一台あり、近くに従業員用のロッカーと4人分の椅子と机があった。おそらく食事などもここで取っているのだろう。
武田さんはさっそく自動販売機で飲み物を買おうとするが、ふと止まり、こちらを見て言った。
「えっと、何か飲みますか?」
先輩として奢ると言う事だろう。できた子だ。俺は苦笑して答える。
「いえいえ、お気になさらず。私は自身の都合で、こちらにご厄介になっているんですから。そういう訳なので、むしろ自分が奢りましょうか?」
彼女は俺の返答にあっけにとられると、半眼交じりに言葉を返した。
「瀬崎さんって、意地が悪いって言われません?」
苦笑して返す。
「結構、言われます」
俺と武田さんはそれぞれ自分の飲み物を買うと、椅子に掛けて飲み始める。さ~って、何を話したもんか。
「あ、そうだ。武田さん、ちょっといいですか?」
「なんですか?」
ちょっと身構えた感じで返答する武田さん。ふむ、これは、
「チラシのお薦め、二つは副店長さんから聞いたんですけど、他にあります?せっかくなのでもうちょい知りたいんで。」
世間話的に別のことを聞かれると思ってたのだろう。一瞬ポカンとした様子を見せるが、返答してくれる。
「・・・そうですねぇ。黒白、ジャンルで特に知りたいのはありますか?」
「うーん。・・・武田さんが好きなジャンルはどれですか?」
やや変化球な質問に、彼女は「そういうことか」と合点の言った表情を見せる。
「得意と言う事ならやっぱり美容系ですが、・・・好きと言う事なら黒、オーディオとかですね。」
「女性なのに変わってますよね」と小さく聞こえた気がするが、聞かない風に装う。
「自分も以前ちょっとですが、オーディオかじってたんですよ。でも最近のは知らないんで、お薦め教えてもらっていいですか?」
「!そういうことなら!」
この反応で予想は確信に変わった。
このバイトの彼女、武田さんはいわゆる「家電オタク」だ。
でもそのことを、自身が女性だからと言う事もあってだろうか、周囲に知られたくないようだ。だから積極的になれないと見た。
オタク特有の熱い説明を聞く。気づけば5分ほど過ぎていた。
「このチラシでの私のお薦めは以上です!何か聞きたいことはありますか?」
こうなったらいっそ。俺は今薦められたオーディオの一つを指し、聞いた。
「これ、自分がいた5年前?にも似た機種があったんですよ。XXXって機種なんですけどね。その機種と音質的には変わってるのでしょうか?」
一瞬で固まる武田さん。そして申し訳なさそうに返答する。
「・・・すいません、その機種について知らなくて・・・勉強不足でした。」
慌てて、弁解する。
「いえいえ、自分こそ意地悪してすみません。5年前の機種なんて、専門スタッフでも全員知っているとは限らないレベルです。かくいう私も現役時代、知らないものも多かったですからね。」
亀の甲より年の功?まぁ、「年寄りの冷や水」承知で言ってみますか。
「わからなければ調べればいいんですよ。要は「わからないものもある」って認識を持ってれば、自分の知識を披露するのは良い事なんです。」
おっさんなんで可愛くないと思いつつも、つい舌を出して続ける。
「・・・まぁ、好きな話になると饒舌になりすぎるのは、販売員として気をつけないといけなかったですがね。」
自分の話を聞いて思う所があったと思いたい。やや恥ずかしそうな様子を見せつつ、時計を見て彼女は話を締める。
「それは、気をつけますね。・・・そろそろ、チラシ配りに戻りましょうか。」
「そうですね。」
俺と武田さんは仕事場に戻り、チラシ配りを再開する。
その後のチラシ配りも滞りなく過ぎた。
手持ちのチラシもほぼなくなったころ、所定の2時間が経過した。
「瀬崎さん、そろそろ」
「ですね。最後ちょっと配りまくってきます!」
俺は場からやや離れた道行く人々にも、ラストとばかり積極的に渡していく。
どうせなら全部配り終えたいよね。
気合と若干のごり押しで手持ちを配り終えると、唖然とする武田さんのところに戻る。
「お疲れ様でした!短い時間でしたが、ありがとうございました」
思う所があったのだろう。武田さんはこちらをまっすぐ見て、真摯に返答してくれた。
「こちらこそ、ありがとうございました。良かったらまた、お客さんとしてでも来てください」
「その時は武田さんが、商品案内してくれます?」
彼女は何と答えるだろう。
「そうですね。・・・私で良ければ」
その答えは、ちょっと嬉しいものだった。最後にねぎらいの言葉をかけてくれる。
「改めて、瀬崎さん、今日はお疲れ様でした」
「武田さんもお疲れ様でした。改めて今日はありがとうございました。失礼します」
こうして、ひょんな事態から始まった「チラシ配り」は終えられた。
俺は松原副店長に業務?、ではないけど、チラシ配りの終了とお礼を伝えに、事務所のドアを叩いた。
「すいません、瀬崎ですが、松原副店長いらっしゃいますか?」
「はい。どうぞ」
ドアを開けると、デスクワークをしている松原副店長がいた。
「時間になりましたので、上がらせてもらいます。今日はどうもありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。・・・どうです?緒方先生へちゃんとした報告はできそうですか?」
あ、そうだったなぁ。・・・苦笑して答える。
「どうでしょう?まぁでも、悪い報告にはならないと思います」
周りに誰もいないことを再度確認すると、松原さんに小声で告げる。
「今日教えてくれた武田さん、松原さんの言う通り、かなりいい感じのオタクですね」
「なのでついこの業界の経験者として、少しでも刺激になればと思い、ちょっとだけ話してきました。・・・変なことは言ってないと思いますので、ご了承ください」
ポカンとする松原さん。まぁ、部外者がいきなりこんなの駄目だけど、やっちまったものはお伝えしないと。
「・・・いえ、経験者の瀬崎さんにもそう見えたのなら良い事です。ご好意、ありがとうございます」
思う所はあるだろうが、やはりこの方はできる方だ。
・・・まぁ、そう思ってやった所もあるんだけど。こういうとこなんだよなぁ・・・
「こちらこそ失礼しました。改めて、今日はお世話になりました。あ、このジャケット、どちらにお返しすれば?」
「あ、私に返してもらえれば」
副店長に借りていたジャケットを返す。
「それではありがとうございました。失礼いたします!」
「こちらこそ、ありがとうございました。」
改めてお礼を言い、俺は事務所を出た。
―――――――――
(松原視点)
(う~ん、一応、武田さんの様子を見に行った方がいいかな?)
瀬崎さんが事務所を出た後、今日突然、業務を教えるように言ったアルバイト学生、武田さんの様子を見に行くことにする
瀬崎さんに言ったように、彼女の知識がかなりのものと思っているのは噓ではない。成長してもらいたい思いで、無理のない程度でそれとなく、今回のようにいろいろな業務をやってもらっている。
素直に貴重な人材の一人と思っているが、彼女は社会人どころかまだ学生だ。細かに様子を見ておく必要があると思っている。
そうして事務所を出た時、その声が聞こえた。
「あれ?・・・瀬崎さん? 瀬崎さんじゃないですか!?」
「え?・・・あ、お久しぶりです」
「やっぱりそうだ!お久しぶりです!!」
声のした方を見ると、うちにたまに来る有名メーカーの営業の方と、先程事務所を出たばかりの瀬崎さんが会話をしていた。
思わず立ち止まり、聞き耳を立てる。
「いや~、何年ぶりですか?お元気そうで何よりです。その節はお世話になりました!!」
「いえそんな、私は何もしていませんよ」
「またまたそんな謙遜を。あれ?以前の会社は辞められたと聞いていたんですが、こちらのお店で働かられてたんですか?」
瀬崎さんが苦笑いで答える。
「こちらのお店に来たのは、まぁ私用です。会社で働いてはいますが、全く別の業界ですよ」
「はぁ、そうなんですか。ちなみに今の会社名を伺っても?」
瀬崎さんが会社名を言う。聞いたことはある気はするが、どのような会社かはわからなかった。
「ああ、近くにある会社なんですね。でもすみません、業務内容まで知らなくて」
「業界が違うので仕方ないですよ。かくいう私も、最初は知りませんでしたし」
気にした素振りを見せない瀬崎さん。
「でも、久しぶりにお会いできてよかったです。新しい所でも頑張ってください!」
「こちらこそ、覚えてくれていてありがとうございます。それでは、失礼しますね」
「いえいえ、わたしこそお呼び立てしてすみません。それでは」
挨拶をして瀬崎さんはお店の外へ。営業さんがうちで担当している場所へ向かい、作業を始める。
私は、営業さんに声をかける。
「すみません。少々よろしいですか?」
「はい。あ、松原副店長さん、お世話になってます。なにかありましたか?」
営業さんは手を止めて答えてくれる。
「えっと、仕事のことじゃなくて恐縮ですが、先程話されていた瀬崎さん、お知り合いなんですか?」
何故かきょとんとした表情になる営業さん。
「あれ、松原さんはご存じないんですね?知り合いと言いますか、5年ほど前にうちの会社が大変お世話になった方です」
メーカーさんがお世話になった??
「・・・すみません。5年前はまだこの業界入りたてでして。差し支えなければ、どうお世話になったのか教えて頂いていいですか?」
個人の話だからか、営業さんはちょっと考えたそぶりを見せる。
「まぁ、この辺では結構有名なので大丈夫かな?うちのミリオンセラー商品はご存じですよね?」
「はい。私が新人の頃、「業界唯一のミリオンセラー商品」と言う事で教えてもらいました。」
「そのミリオンヒット販売に、・・・少なくともこのエリアで一番貢献した販売員が瀬崎さんです」
「え!?」
つい素っ頓狂な声を上げてしまう。
「失礼しました。そんなにたくさん売り上げたんですか?」
「・・・いえ、それがですね。もちろん瀬崎さんも売って頂きましたが、もっと売り上げている方はたくさんいました」
どういうことだ?
「当時たくさん販売頂いた方々に、私始め営業が売れた秘訣を聞いてみたんです。」
「そしたら、面白いことが分かったんですよ。「ネットを通じてあるいは直接教えてもらった販売アドバイスが、的確で売り易かった」、「提案されたディスプレイ効果が良かった」「在庫管理と言った販売フォローが助かった」など理由はいくつかありましたが、多くの販売員さんが共通の人を挙げたんですよ。」
「・・・それが、瀬崎さん?」
営業さんが力強くうなづく。身震いした。
「もちろん、販売員さん一人一人が真剣に売って頂いたのは大きいです。ただ、瀬崎さんと言う一個人がそれを十二分に引き出した。その結果がミリオンヒットにつながったと言う関係者は多いです。私もそう思ってます」
そして営業さんは、残念そうに続ける。
「・・・ですがそれからしばらくして、その瀬崎さんが会社を辞めたと風の噂で聞いて驚きました。「上司との確執」とか「ヘッドハンティングされたんじゃ?」といった噂が当時流れましたね。私は真相は知りませんが」
「ただ、瀬崎さんが辞めた後も悪く言う人はほとんどいないですね。私の知る限りですが。そう言って意味でも結構有名ですよ、あの方は」
こんな感じでいいですか?みたいに締めくくられ、私はお礼を言う。
「・・・教えてくれてありがとうございます。凄い方だったんですね。」
「そうなんですよ。個人的にちょっと尊敬しています。ご本人はそんなに思ってないみたいですけどね」
「良い話が聞けました。お手を止めてしまってすみません。」
「いえいえ。私も尊敬できる人を紹介できて、ちょっと楽しかったです。今後ともよろしくお願いしますね」
「こちらこそよろしくお願いします。では失礼します」
私は作業を止めてしまったお詫びと、質問に答えてくれたお礼をする。
そしてその足で当初の予定通り、うちの学生アルバイトの様子を見に行った。
― 自身を今しがた身震いさせた。その人がアドバイスしたという人物を ―
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