第32話 追想〜ルヴァンとセシル〜

やっと解放されると思った。

彼女の手で俺は死ねるのだと。

死など怖くはない。

それよりもこの世界に生き続けるほうがよほど怖い…

俺のような魔者は『特級』とされているらしい。

並大抵の武器では傷一つ付けられない、しぶとく恐ろしい魔者。

不名誉な話だった。

自ら望んでそうなったわけじゃない。

だけど仕方がないのだ。

なるべく正体を晒さないように生活した。

どうしても変身を抑えられない満月の夜は森の奥の洞窟に篭った。

誰のことも傷つけちゃいない。

誰にも迷惑をかけたくない。

そのつもりでも、通りがかった人間にこの姿を見られることもあった。

その度に騒ぎが起こった。

何をする前から彼らは命乞いをして、大声で叫びながら逃げていく。

本当に自分は悪役でしかないのだと、その度思い知らされるのだった。


彼女が放ったのは銀の弾丸。

ああ、流石メイだ。

魔者には銀がよく効く。

自分で傷つけたときは効果が無かったが、他でもない赤ずきんの放つ銀の弾丸なら、確実に死ねるに違いない。

俺は安心して身を委ねた。


なのに、死ねなかった。

気が付いたら、彼女も倒れていた。

何ということだろう。

俺を殺して、自分も死のうとしたのだ。

重い身体を起こしながら、慌てて彼女のもとへ行き呼吸を確認する。

よく見れば、弾丸は彼女の身体から弾かれそばの地面に落ちていた。

そうか。

彼女は英雄だから、聖別された素材である銀では傷つけられなかったのだ。

今はきっと気絶しているだけ。

それじゃあ自分は?

…心臓のあたりが痛い。

だがまだ少し動けそうだ。

彼女をせめてこんな森の奥ではなく、誰かが見つけてくれるよう入口のあたりに運ぼう。

村とは反対の方角がいい…村人に見つかったら厄介だ。

それから死ぬのでも遅くないだろう。


彼女を運んで…しかしやはり意識が遠のく気配はなかった。

俺はまた死ねないのか。

でもきっと、彼女は俺が死んだと思っている。

何としてもここで生を終えたい…

その時、最近聞いた話を思い出した。

銀の森。

魔者を殺す聖なる空気に満ちる森が、ここからそう遠くないところにあるという。

そうだ、そこを死に場所にしよう。


かれこれ一日くらいは移動し続けていた気がする。

陽が出ても人の姿には戻らず、傷口を抑えることもなく走り続けた。

そしてまた夜が更ける頃__________段々と傷が化膿してきた。

これは目的地に着く前に危ないかもしれない。

その時はそれでいい。

と、そろそろ限界が来て地面に降り立つ。

(…あそこだ)

遠くにぼんやりと白く光る森が見える。

他のそれとは異質な…あれこそきっと銀の森だ。

しかしその前に小さな街が見える。

流石に街の中を通るわけにはいかない。

どうしたものか…

いや、こんな夜だ。

人のいない隙を狙って走っていけば、案外見つからないかもしれない。

そう思って街の入り口に立った時。

「死に損ないが、アタシのシマに何の用?」

見つかった。

見た目こそ細身の人間の青年だが、並々ならぬ気迫の…彼も魔者だろうか。

何か分からないが、彼は怒っているようだ。

そうか。

ここは彼の縄張りなのか。

なるべく穏便に済ませたい。

事情を話せばわかってくれるだろうか。

と言ってもこの姿では会話すら出来ないのだが…

そのとき、視界がぐらりと傾くのを感じた。

痛い。

そうか。今になって効いてきたんだ。

(ああ、良かった。俺は、ここで…)


次に目が覚めたとき、俺はベッドの上にいた。

「やっとお目覚め?さあ、人の縄張りに土足で踏み込んできた理由を説明してもらおうかしら」

「…あ…」

俺は人の姿をしている。

朝が来たんだ。

目の前の青年は気を失う前に見た人だ。

彼は冷たい目で見下ろしている。

「アタシのこと、甘く見ない方がいいわよ。答え次第では八つ裂きにするから」

俺は目を逸らした。

「…すみません。銀の森に…行きたくて、街を通ろうと…人がいるとは思わなかった」

弱々しく呟くが、青年は顔色を変えない。

「銀の森ね。安い魔者を食って体力回復しようって算段?見たところアンタ特級でしょ。森の聖気なんかじゃ死にっこないものね」

「…え…?」

俺は目を見開く。

そんなことはないはずだ。

聞いていた話と違う。

「銀の森は……魔者を殺す森だと。俺はそこでなら死ねると」

「それはその辺の魔者の話よ。アタシたち御伽噺にまつわる特級には銀の森の魔力吸収に対する十分な耐性がある。…なに、それを知ってて来たんじゃないの?」

その話に頭が真っ白になった。

「…死ねないのか。それじゃあ、俺は…どうすれば…」

このままでは赤ずきんから逃げた危険なオオカミのままだ。

彼女の手を煩わせてしまう。

ああ、やはりあそこから動くべきではなかった。

死んだフリをしてあのままやり過ごせば…

「ちょっと、大丈夫?」

青年が俺の顔を覗き込む。

「……まさか本当に死にに来たの?」

俺は頷いた。

「あの子と約束した。それにもう、沢山なんだ。誰かに迷惑をかけるのも、魔者として恐れられ続けるのも」

少しの沈黙があった。

やがて青年ははぁ、とため息をついた。

「ったく、面倒ね。それじゃしばらくウチにいなさい。ほら…いくら特級とはいえ、銀の森が目と鼻の先のここに居れば、聖気が満ちていつか死ねるかもしれないでしょ?」

彼の提案に俺は驚く。

「でも…俺なんかがここにいたら迷惑じゃ」

「こうやって看病させられてる時点で十分迷惑よ。それに、アンタみたいな危険な魔者を野放しにしておくわけにもいかないしね。しばらく監視しておいてやるって言ってるの」

そう言いながらも、彼の瞳は優しかった。

俺は身体を起こして、頭を下げた。

「…ありがとう。本当に」

青年はくすりと笑った。

「あたしはセシル・ロージス。よろしくね」



オオカミの噂は聞いていた。

ある村の隣の森に数百年と居座り続け、時に村を襲い暴虐の限りを尽くす。

アタシのシマにそんな危険な輩が現れて、正直もうダメかもしれないと思った。

仲間内でもそこそこ体力があるほうとはいえ、人間の血液をここ数十年と摂取していない身では能力を十分に発揮するのは難しい。

きっとこの街にも迷惑がかかるだろう。

_____しかし張り詰めた空気をよそに、オオカミは目の前で呆気なく倒れた。

戦わずして死んでくれたならこれほどありがたい話はない。

だけど、何故か…

地面に突っ伏してぜえぜえと呼吸している獣が、どうしようもなく哀れに思えた。

「…この借りは高くつくわよ」

相手は獣だ。

助けたって恩を仇で返されるかもしれない。

そこは…まぁ、口八丁手八丁でどうにかしましょ。

七百年の間に磨いたはったりの技術でどうにかなるといいけど。


死ぬ思いをしてどうにか、酒場の地下のベッドに乗せる。

元々捨てようと思ってここに置いてたヤツだけど、ギシギシ言ってるし、もうダメかも。

巨体のわりにはそこまで体重は無かったからまだ助かった。

あとは地下の扉に厳重に鍵をかけて、朝を待つ_____

そして朝。

扉を開けて、驚いた。

黒いオオカミは、年端もいかない人間の青年の姿になっていた。

何これ、なんてカエルの王子様?

戸惑いながら、慌てて毛布を被せてやる。

流石に全裸は見苦しい。

やがて青年は目を覚ました。

酷く人相が悪い。

目つきも鋭く、獣らしさは消えていない。

アタシは牽制するように言葉を並べる。

立場の差を分からせてやらなければ、…アタシの命が危ない。

青年は予想以上に従順だった。

ちょっと脅しただけで震える素振りを見せる。

コイツ、もしかして弱い?

そして__________

「もう、沢山なんだ。誰かに迷惑をかけるのも、魔者として恐れられ続けるのも」

哀れなヤツなのかもしれない。


オオカミは恐ろしい魔者だ。

一体誰が決めつけたのだろう。

青年は再び獣の姿になっても、やはり大人しくこちらに対して何かけしかける様子はなかった。

むしろ申し訳なさそうに身体を縮こまらせている。

「もっと堂々としてなさいよ」

言うと、彼は困ったように視線を泳がせる。


彼はこの街に死にに来た。

それは赤ずきんのせいなのか。

それとも何かもっと根深い事情があるのか…

いずれにせよ、このひ弱な青年がこれ以上苦しむことのないように。

らしくもなく願ってしまうのだった。

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銀色の森の向こうで Ivelna @creativelna

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