第30話 旅立ち

旅は密やかに幕を開ける____

はずだった。

「やあ、早いね」

銀の森の入口でメイとルヴァンを迎えたのは、ぴんぴんとした様子の協会所属の英雄、アシュレイ・グラスロッドだった。

メイははっとして咄嗟にルヴァンを庇うように前に出る。

「…久しぶり、メイ。彼とは友人なのかい」

「もう知っているでしょう?」

「そうだね。信じ難かったけど…信じるしかなさそうだ」

言葉の威勢の良さは相変わらずだが、表情はどこか諦めたような疲れたような様子にも取れる。

「メイ」

ルヴァンは宥めるように呼びかけた。

「その人は大丈夫だ。昨日の夜、俺を結界から出してくれた」

「え?」

面食らってアッシュの方を見ると彼女も少々驚いたように目を開いている。

「おや、君が庇ってくれるとは。じゃあ決断は間違っていなかったのかな。正直後悔していたんだが」

「…すまない。手荒な真似をした。焦りで気が立っていて」

「謝罪までするのか。はは、参ったな」

アッシュは乾いた笑いをあげると、ひと呼吸置いてメイを正面から見据える。

「力を持つ者にはそれを律する責任がある。英雄が役割を放棄するのは重罪だし、魔者と結託したとなれば終身刑に値する。世界の脅威となる危険がある以上、英雄協会が君たちを見過ごすわけにはいかない」

二人は思わず固唾を飲む。

やはり戦うしかないのか____

しかし次に彼女が発した言葉は意外なものだった。

「というのは英雄の建前。だが残念ながらメイ、君はいま英雄じゃない。指名手配中の魔者だ。つまり協会にとっては面倒な魔者が二匹逃げただけの状況だよ」

「…それって」

「勘違いしないでくれ、君たちを見逃すとは言っていない。特に青年、君は何代にも渡ってウィザの村を蹂躙してきた許されざる人狼の血筋だ。ここで捕らえておくのが得策か…」

言いながらアッシュは下げていた左手で静かに森の方を示す。

『話している間に、逃げろ』

まるでそう言うように。

「…メイ、行こう」

「えっ、ちょっと」

咄嗟にルヴァンはメイの手を引いて駆け出す。

まるで人のものとは思えない俊敏な動きで。

「ああ、またしても逃した!お前たち、早く本部へ行って動きを伝えてくれ。彼らは私が追う!」

アッシュの大声を背後に聞きながら、メイもようやく、彼女が好意で自分たちを逃してくれたのだと悟った。

(アッシュ…どうして…?)

メイにはアッシュの考えが分からなかった。

彼女の連れの青年が命を奪われたその夜。

彼女の目は冷徹だった。

きっとその瞳でメイのことも射抜くに違いないと信じてやまなかった。

その時、風に乗ってきた何かがメイの背中に張り付く。

「ルヴァン、ごめん、少し待って」

「ああ」

立ち止まり剥ぎ取ったところで、仰天した。

(…赤頭巾!宿に置いてきたと思っていたのに)

もうとっくに諦めていた。

これが無くとも彼女は赤ずきんなのだと割り切っていた。

何故今さらここに。

いや、考えるまでもないだろう。

(アッシュが返してくれたんだ)

強く握り締める。

状態はあの時と変わらないまま。

古びてはいても傷はついていない。

大切に保管してくれていたのだろう。

彼女の考えは分からないが、それは旅立つメイへのエールのようにも受け取れた。

「…大丈夫か?」

ルヴァンに尋ねられてメイは頷く。

今度こそ。

頭巾を被るとあの時の感覚が蘇る。

だけどもうあの時の、運命や他人のせいにしかできなかったひ弱な少女とは違うのだ。


その頃、酒場『青薔薇』。

「帰ったんじゃなかったの?アンタ。懲りないわねぇ」

「それはこちらの台詞ですよ。吸血鬼ロージス卿」

「やめてよ。爵位は継いでないんだから」

少し青ざめた様子の女性、ユキ・ヴァイスロッドは店の入り口に立ち____

セシルの喉元に短剣を突きつけていた。

「協会の命により引き返してきたのです。私は正式な手続きを踏んでここへ立ち入っています。酒場『青薔薇』のマスターは人間に危害を加える特級魔者。さらに裏切り者の英雄と他の特級魔者を匿った。異論は?」

「無いわね。…あーあ、こんなことなら酒場の名前だけでも変えときゃ良かった」

「無駄な足掻きです。貴方の過去の悪行もいずれ暴かれることでしょう。安心なさい、命を奪うことはしません。ただここでこちらに逆らえば、先に逃げた彼らがどうなるか…」

「脅迫するわけ?天下の英雄サマが」

「先に裏切ったのはそちらでしょう。どちらにせよ彼らも捕縛することに変わりはありませんが、貴方の態度次第では情状酌量をしてやってもいいということです」

「はぁ、段々口悪くなってきたわね」

皮肉混じりにため息を吐きながら、流石のセシルも逃げ場がないことを悟っていた。

彼女ひとり撒いたところで、店の周りには幾人もの人間の気配があるのだ。

協会か、狩人か…恐らくどちらもだろう。

(ごめんね。メイ、ルヴァン、常連のみんな。ちょっとの間留守にするわ)

心の中で呟いて、両手を空に上げる。

「ご自由にどーぞ。優しくしてね?」

「…善処します」


それぞれの道を歩き始める。

誰も己が運命の行く末を知らぬまま。

陽の下に放り出された少年少女。

歯車は否応なしに廻り始める。

英雄と魔者、善と悪、光と影____

時に自らの存在の定義すら歪めながら。


これはおとぎ話の英雄、その血筋がまだ絶えてはいなかった頃。

英雄と悪役の子孫たちを巡る、まだ誰も知らない物語。

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