第26話 暗闇の中で

誰かに優しく抱きかかえられている。

忌まわしい気配をすぐ近くに感じる。

相反するふたつの事象が同時に起こってメイを包み込んでいる。

それの意味することは__________


次に目を覚ましたのは、硬いベッドの上だった。

前にもこんなことがあった。

それは忘れもしないひと月前、オオカミを逃した夜、アッシュたち英雄の手によって。

だけどあのときとは状況がまるで変わってしまった。

英雄協会はメイを捕らえにやって来た。

それじゃあ、いまの状況は?

身体を起こすと腹のあたりに痛みが走る。

圧迫感があるのは包帯でも巻かれているのだろうか。

(でも一体誰が?)

隣の小机にはコップ一杯の水と小さな燭台、蝋燭の火が灯っている。

それは辛うじてメイの胸元を照らしていた。

と、額から何かが落ちた。

固く絞られた濡れタオルのようだった。

その時。

身体に稲妻が走るような感覚があった。

四肢が強張り心臓がどくどくと早鐘を打つ。

ああ、今回メイを捕らえたのは協会ではない。

視線だけを闇の中に滑らせる。

そして_________目が合った。

暗闇の中、部屋の隅で光る二つの点と。

「…そこにいるのね。オオカミさん」

メイの呼びかけに、光が微かに揺れた。

漏れ出る瘴気、圧倒的な存在感。

隠しようがなかった。

しかしどうにもおかしい。

何故わざわざこのような場所に連れ込んだのだろう。

赤ずきんを食べるならあの時、ユキに敗北して瀕死だったあの瞬間が絶好の機会だった。

わざわざ宿敵の目覚めを待つ理由はない。

ましてや、とメイは腹のあたりに手をやる。

(こんな手当てや看病をする必要なんて)

戸惑いながら暫しの間見つめ合う。

先に視線を外したのはオオカミの方だった。

メイもつられて目をやると、その先に僅かに開いた扉が見える。

その奥は…よく見えないが、上へと続く階段になっているようだ。

どうやらここは地下らしい。

オオカミはちらりとメイを見やった。

まるで出口を示すような仕草だ。

「どうして?何でそんなに親切なの。私は赤ずきんよ、あなたの敵。ここであなたを殺すかもしれないのに」

震える声をどうにか抑えながら語気を強めると、オオカミはゆっくりと目を閉じる。

すべて覚悟しているという風だった。

(…ああ、やっぱり)

その様子は、メイのここ数日の疑念を確信に変えるのには十分だった。

やはり彼に赤ずきんと戦う意志はないのだ。

力の入らない身体を叱咤して、ようやくベッドから起き上がる。

ありありと伝わってくる気迫に思わず足が震える。

それでも。

次に目を開いたオオカミは、少女が丸腰で目の前に立っているのに驚いたようで素早く身を引く。

ゴンと派手に壁にぶつかる音がした。

その状況がどうにも滑稽だった。

「そっか。…そうだよね。ごめんね」

謝ると、唐突に力が抜ける感じがした。

殺さなければと躍起になっていたのは自分だけ。

思い返せば最初に出会った時も、彼は何の抵抗もしなかった。

ただ赤ずきんが引き金を引くのを待っていた。

数日前だって、ただ逃げるばかりで彼女を襲うことなどなかった。

メイは手探りでオオカミの顔のあたりに触れる。

「…グ、グゥ……」

オオカミは戸惑ったように低い声を漏らす。

(知ってる、この感覚)

その時、ふいに迫る懐かしさがあった。

真っ黒くて大きな獣、しかし怯えたように見つめ返す瞳は小さな子犬のようだ。

「…わんちゃんみたい」

呟いた瞬間、メイはハッとした。

(気のせいじゃない。この感じ、確かに覚えがある)

前にも一度。

いや、もっと…


『はやく逃げて』


唐突に、いつか見た悪夢が蘇る。

幼いメイは走っていた。

満月の輝く夜の森をただひたすらに。

だけどひとりではなかったのだ。


『逃げろ、メイ』


ひと月前のあの日も、同じ声を聞いていた。

あれはきっと妄想なのだと思った。

だけどもし、そうではなかったとしたら?

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