第25話 白雪姫と赤ずきん

アッシュが結界内で威嚇の一発を放った頃______

続けざまにもう一発、銃声が響いた。

それはメイの、ユキがオオカミの咆哮に気を取られて拘束を緩めた一瞬に放ったものだった。

弾はユキの頬を掠める。

問題ない、当てるつもりはなかった。

身体が自由になればそれで。

「私は、あなたには従えない」

メイは素早くユキから距離を取ると、銃を構えたまま震える声で言った。

「…それは、協会への反逆行為とみなしてよろしいですね」

ユキはすっと目を細める。

「どう捉えられても構わないわ。でも、私の役割は…英雄として世界に尽くすことじゃない。一族を縛り付ける運命に、私自身に、決着をつけること」

「下らない」

ユキはナイフを回す。

「どうせこういう展開になるだろうと思っていたわ。私もその方がやりやすい。貴女はあの獣と何ら変わらない…ここで朽ちてもらいましょう。腐った林檎のように」

言うと、ユキは口の中で何か呪文のようなものを呟く。

メイは後ずさった。

彼女とまともに戦いたくはない。

この見えない壁の向こう側でアッシュとオオカミが争っているというなら尚更。

上手く撒いて、一刻も早くそちらへ…

(いや…駄目だ。壁はこの人が作ったと言った。だとすれば、どちらにせよこの人を倒さなければ入り込むことすらできない)

彼女が諦めてくれるまでは戦って、またどうにか隙を作ることができれば。

それはきっと難しいだろうことも予想していた。

彼女は強い。

先ほどから感じる__________

アッシュとはまた別の系統の強さ。

たとえ自身が悪と呼ばれようと怯むことのないような、圧倒的な信念。

それにメイに対する個人的な憎悪も見て取れる。

呪文の詠唱が終わったらしい。

メイはその手の中にある小さなナイフが、まるで生き物のように蠢くのを見た。

と思えば、彼女の方に真っ直ぐに向かってくる。

「わっ……」

すんでのところで身を躱す。

ユキは既に次の武器を準備していた。

曲芸師のように、複数の小さなナイフを指の間に挟んで、魔力を含んだそれを放つ。

メイは何度もぎりぎりのところで躱しながら焦りを覚える。

(これじゃ防戦一方だ。でも人間相手に本気で弾丸を撃ち込むわけには)

弾の数も限られている。

鉛があと一発、もう一つはオオカミ用の銀の弾。

ただ結界の中に行きたいだけ。

ただオオカミに会いたいだけ。

それがこんなにも難しい。

「貴女は気づいていないかもしれないけれど」

一方的な攻撃の中で余裕が生まれてきたのか、ユキが静かに口を開く。

「私たちがこの森に入り込めたのは、貴女のおかげなの」

言いながら、手の中の紫色の球体のようなものをメイに投げつける。

「え…?」

発言に気を取られながらも、やはり躱すことができた。

彼女は魔力が強く手数こそ多いが、コントロールの方はいまいちらしい。

ちっ、と舌打ちしながら彼女は続ける。

「懇意にしていた狩人の『親父さん』、彼らは協会の協力者よ」

メイは目を見開く。

その隙を突いて、ユキは今度はナイフを抱いた身体ごと迫ってきた。

その刃の先をメイは何とか手で掴む。

手の中から赤く滴る影と鉄の匂いがしたが、構ってはいられなかった。

「…そう。じゃあ、私はまた迂闊だったのね」

無力感にも似た思いで少女は呟く。

洞窟でオオカミと出会ったあの夜。

わざわざメイに声をかけて入ってきた狩人を疑うべきだった。

普段から通行を許可されている狩人ならばそのようなことはしない。

セシルによって街の中へ入れてもらうための口実。

メイは利用されたのだ。

「悔しいでしょうけれど、呪うなら愚かな自分を呪うことね」

「そうね」

メイは不思議と凪いだ気持ちでユキを見据える。

裏切りなど悲しくはなかった。

自分だってきっと誰かを裏切り続けてきた。

ずっとそうやって生きてきたのだ。

ナイフから手を離して、胸元の銃に再び手をかける。

「だから、ここで終わりにするの」

震える指で引き金を引く。

どうせ、ここまで来たら引き返せない。

それならば最後まで、赤ずきんは赤ずきんの役目を果たさなくては。

最初から自分は英雄ではないのだから。

(ごめんなさい。英雄さん)

祈るように目を閉じる______

「遅い」

次の瞬間。

「あっ……」

痛みを感じたのは、メイの方だった。

刺されていた。

腹のあたりを、深々と。

引き金を引くよりずっと早く。

「だから甘いと言ってるのよ」

ユキは冷えた瞳でメイを見下ろす。

「逃げてばかりの赤ずきん、最後に覚悟を決めようとしたことだけは評価するわ。すべて未遂で終わるけれど」

ナイフを慣れた手つきで引き抜きながら嘲笑する、その声が遠くで聞こえる。

熱い。

苦しい。

どくどくと流れ続ける赤い液体、抑えようとする手も赤く染まっている。

ああ、意識が遠のいていく。

駄目だった。

満月の下のオオカミの姿さえ確認することなく、朽ちていく。

(私は、本当に……無力だ……)

そのまま、意識は暗闇に閉ざされた。


__________…………


「何故…ここに」

すべてはこれで終わるはずだった。

少々手荒な真似はしたが、この後回復魔法でどうにかすればいい。

生きて持ち帰りさえすればお咎めはないだろう。

英雄協会は寛容な組織だった。

きっと『シンデレラ』も上手くやっているはずだ。

その証拠に争うような音はぴたりと止んでいる。

そう、信じていた。

だからこそ。


ユキは今目の前に立ちはだかる影に驚きを隠せなかった。

見間違えるはずもない、二本足で立つ巨大な黒い獣。

息を荒げながらそのぎょろりとした瞳を何かを探すように必死に動かしている。

オオカミだ。

(結界が破られた?それじゃあ、アッシュは…)

最悪の想像が頭を過ぎる。

落ち着け。

ユキはナイフを握り直す。

震えを抑え込もうと無意識に唇を噛む。

「お前に、…お前ごときに、彼女が殺されるなど」

片膝をついて立ち上がる。

燃えるような紫の瞳で、獣を見据える______

「不届き者が、罰を受けなさい!」

「殺してないわよ、そいつ」

術を発動しようとした矢先、唐突に聞こえてきた声にユキは硬直した。

「ごめんね話の腰折って。だけどこっちも大変なのよね」

姿を確かめる間もなく後ろから拘束される。

「なっ…」

「ほらそこよ。連れていきなさい」

次の瞬間、獣は赤ずきんに飛び掛かる。

「や、やめなさい!野蛮な獣が……あっ……」

貧血のような眩暈がした。

ああ違う。

本当に、血を抜かれている。

やっと、やっと尻尾を掴んだ。

やはり彼も……

ユキは伸ばした手が空しく宙を掴んだのを知った。

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