第21話 邂逅 Ⅱ

悪夢を見ていた。

メイは走っていた。

青白い月の光の下、幼いあの日のように。

母を置いて逃げたあの日。

オオカミを追って、村人から逃げ惑ったあの日。


だけどそれだけではなかった気がする。

大切な何かを、忘れている気がする_______


『はやく逃げて』

『逃げろ、メイ』



オオカミと邂逅を果たした翌朝。

メイは辿々しく、しかしどうにか最後までセシルに状況を伝えることができた。

「なるほどね。で、オオカミは逃げちゃったわけ」

セシルは大して驚かないといった様子で言った。

「追いかけるべきだったのはわかってる。でもあいつそれまでは洞窟の中で蹲ってるだけで。逃げたのも人里とは別の方向だった。でも…わからない、私の目をごまかすためだったのかも」

そこでセシルはふふ、と笑った。

「何がおかしいの」

「だって、ね。アンタ達あまりに似たものどうしだから」

「は…?」

貶されているのだろうか。

だとしても否定する資格はないけど、とメイは思う。

どんな理由であろうとメイはオオカミを見逃してしまった。

それは責務を放棄したということだ。

「てかさぁ、そもそも赤ずきんとオオカミって何でそんなに因縁あるんだっけ?」

セシルは気怠げに問いかける。

その話はこれまでにも幾らかしていたはずだ。

しかし確かに改まって話したことはなかったかもしれない________

疼く胸を抑えながら、メイは記憶を辿る。


昔々、魔女だった赤ずきんはオオカミと契約した。

理由は分からない。

村に伝わる逸話のように「自分たちを追いやった村人たちに復讐するため」だとか、単に手下が欲しかっただけだとか、色々噂はあれどどれも根拠はなかった。

確かなのは、オオカミは赤ずきんのおかげで力をつけ、まもなく村を襲うようになったということ。

そしてあろうことか、彼はとうとう主人である赤ずきんさえも喰おうとしたのだ。

たまたま居合わせた村の狩人のおかげで、赤ずきんは一命をとりとめる。

だが生き残っていたオオカミの仲間や子孫は当然彼らを憎み、月の輝く夜のたびに村を襲うようになった。

それでも赤ずきんを救った『狩人』の子孫がいるうちは、大きな被害が発生することはなかった。

いつしか狩人は消息を立った。

血筋が途絶えたのか、はたまた村を捨てたのか…

となれば、残された赤ずきんがどうにかするしかない。

実際いくらかオオカミへの抵抗を試みた者もいた。

しかし長い年月の中で強力な魔法の知識の失われた彼女たちは、ただの少女と変わらなかった。

結果としてますますオオカミの怒りを買うこととなり、襲撃は激化、村人たちからは呪いの子として忌み嫌われるようになった。


「母さんは勇敢だった。赤ずきんは償いのためにオオカミを殺すんだって、いつも言ってた」

メイはうっかり溢れてきそうになる涙を慌てて指で押さえる。

「…アンタの母親を天国に追いやったのは、いま逢ってきたオオカミなの?」

セシルは彼女の気持ちを慮るように静かに訊ねる。

「違う。オオカミは母さんと相討ちになったの。…でも確かにあいつも『オオカミ』だわ。それは間違いない」

話しながらメイはふと思う。

オオカミも、自分の仲間を殺した『赤ずきん』を恨んでいるのではないだろうか。

自分が母を殺したオオカミそのものを仇としているように。

しかし脳裏に灼きつくのはメイから遠ざかっていく黒い背中。

まるで干渉を恐れるかのように__________

「会えば、何かが分かると思った。けど…ますます分からなくなっちゃった」

メイは弱々しく呟く。

「愚かね」

セシルは深々とため息をつく。

「勿論オオカミが、ね。アンタがひとりでそんなにも葛藤してる間にもアイツは洞窟でぬくぬくしてたってことでしょ。甲斐性ナシにも程があるわ。アタシだったら出会い頭にボコボコにしてる」

そうして本当にそのつもりのように袖を捲った。

白く細い彼の腕が、あれほど体格の大きなオオカミをどうにかできるものだろうか。

それと…

(…甲斐性なし?)

さり気なく混ざる間の抜けた単語が妙に引っかかった。

異様な殺気に今さら聞き返すのも憚られたが。


昨晩は寝つけなかった様子のメイをほぼ無理やり二階の寝室へ連れて行ったあと、セシルはカウンターに戻って声を上げる。

「で、さっきの話聞いてた?甲斐性ナシのオオカミさん」

すると、ドアの陰からルヴァンが顔を見せた。

「……悪い…」

乱れた髪に白いシャツ、それも先ほど急いで着てきたようにボタンがところどころ外れかかっている。

「はぁ、どいつもこいつも辛気臭いわね」

セシルは苛立ったように言う。

「メイは寝たわ。アンタもそこに座って、愚かな行動の言い訳をしてくれる?」

ルヴァンは力なくカウンターのイスに腰かけた。

「昨日は…勘が、鈍ってて…人間の気配がしたから反射的に逃げた。声を聞いてやっと、あの子だって気づいた。悪いことをした」

「その時点で戻ってメイと話をすればよかったじゃない」

「あの状態じゃ話はできない。もし出来たとしても…余計苦しめると思う」

「今さらよ。あの子はとっくに迷路の中。アンタを殺すことを躊躇ってるわ」

セシルの視線は射抜くように鋭い。

ルヴァンはますます弱ったように目を伏せた。

「…どうしようもない悪党だって、言っておいてくれないか。ひと月前にもオオカミは…村の奴らを喰い殺したと。それを聞けばきっと迷いはなくなる」

「それ、本当の話?」

「まさか。そんな度胸はないよ。確かに殺してやりたかったけど」

低い声で付け加える。

「あいつらはあの子をいつも苦しめてきた。…でもそれは俺も同じだ」

寂しげな横顔は、つい先ほどまで同じ席に座っていた少女と重なる。

「ったく…申し訳ないと思うなら、自分でどうにかすることね。アタシは死んでも手伝ってやらないから」

突き放した態度を崩さないセシルに、ルヴァンはただ縮こまるばかりだった。



同じ頃、英雄協会本部にて。

「ユキ!」

応接室前の広々とした廊下で、アッシュは短い黒髪の女性の姿を認めて快活に声をかけた。

「…ああ、『シンデレラ』。どうも」

「水臭いな、アッシュでいいって言ってるのに」

アッシュはニッと白い歯を見せる。

ユキは正直、この馴れ馴れしい歳下の上司が苦手だった。

上司といってもそう実力差があるわけではない。

彼女は王家にまつわる血筋のために自然と階級差ができた、それだけの話だ。

少なくともユキはそう思っていた。

「それより朗報だよ、ユキ。私も『赤ずきんお迎え大作戦』に同行できるんだ!」

何という珍妙な作戦名______

それよりいま、何と言った?

ユキは耳を疑った。

「前の用事が思ったより早く片付きそうでね。良かったよ、あの子は私の手でぜひ迎えたいと思っていたから。それに君もひとりでは不安だろう?何せ『オオカミ』もともに潜んでいるという話だ」

「それは…そうですが」

この夢見がちな、力だけは有り余る英雄が作戦に同行することは、ユキにとって少々不安材料となる。

「ジルバの見えない壁の方はどうなった?君のことだから心配はしていないけれど」

「ええ、それは問題ありません。大方解析はできましたし、こちらも協力者を向かわせたので。人手は足りていますが」

念を押すように言ったが、アッシュには効果がないようだ。

「そうか。ならば心強いな。よし、あと数日もないが、私も気合を入れよう。悪しき魔者を退治して、麗しの姫君を救い出そうではないか!」

こうなったアッシュは、もうだれにも止められなかった。

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