第17話 セシルの不調 Ⅰ
昼になってもセシルが一向に寝室から出てこない。
夜行性なのは元からだが、それでも料理の仕込みなどで早めの起床を心がけている殊勝な吸血鬼がセシル・ロージスである。
ちなみに彼は、日光には弱いが死ぬほどではない。
彼らとて旧時代のままではなく長い年月と世代を経て耐性をつけてきたのだ。
数十分程度なら外で活動もできる。
そんな一見怖いものなしのようにも思える彼が、これほど姿を見せないのは明らかに異常事態だった。
メイは二階にあるセシルの部屋の前で、本日五度目のノックをする。
「…大丈夫?」
普段ならこんなことを聞こうものなら、即座に「アタシを誰だと思ってんの」などと威勢のいい回答が返ってくる。
しかし今日は何度問いかけをしても、良くて言葉にならない呻き声くらいしか聞こえてこなかった。
彼がこれほどまでの不調を示すとは…
メイも色々と原因を考えてはみた。
例えば数日前は新月の夜だった。
魔者は月の光のない日に力を発揮することはできない。
確かにその日も普段より覇気のないようには見えたが…
(ここまでではなかった。普通に起きて活動していたし)
あと考えられるのは、病気の可能性。
最強に見える彼とて、生き物なのだから風邪くらい引くこともあるだろう。
だが、もしそうだとして…
(魔物に効く薬ってあるのかしら)
メイは無理に起こそうとするのをやめて、店の外に出ることにした。
歩きながら幼い頃の断片的な記憶を辿る。
母や祖母は生前、よく『薬』を作っていた。
魔女であったという祖先から受け継がれた知識だろう。
勿論村の人たちには秘匿していたが、陰では密かに行商人と取引をして、遠くの村へ売りに行ってもらったりもしていたらしい。
メイも簡単なものだが、いくつか調合法を教えてもらった記憶がある。
いつかひとりで生きていくことがあったときに困らないように。
(聖気に満ちているって噂の銀の森になら、きっと薬草くらいあるはず)
拙い知識で、しかも魔者相手に一体どれほどのものが作れるのか…
自信はなかったが、弱気なことも言っていられなかった。
森の入口に立つ。
「よし」
メイは意を決したように境界線を跨いだ。
いまは魔者も眠る真っ昼間、立ち入っても問題はないだろう。
セシルが聞いたら怒りそうなものだが。
(…オオカミの手掛かり探しの意味合いもあるし)
心の中で言い訳をしながら草を掻き分けていく。
やはりこの森は、何かが違う。
流れる空気の清浄さを肌でひしひしと感じた。
居心地が良いかと言われれば決して違う。
ぼーっとするような、力が抜けていくような…そう、例えるなら夢の中で歩いているような感覚だ。
周囲を見渡せば、見知らぬ花や雑草が目に入る。
メイの知っているようなものはここに何ひとつとして見当たらない。
(これは思ったよりも苦行かもしれない)
覚えているのとまったく同じものでなくてもいい。
同じような効果が期待できる薬草が見つかれば…
そう思うのに、奥に進むにつれて少女の足取りは重くなっていった。
やはり奇妙な森だ。
この森に闇の気配などひとかけらもないのに、足元には得体の知れぬ闇が張り付いているようだ。
先に進むことが躊躇われる。
まるで聖域に立ち入れることを恐れる人々のように。
早く薬草を探さなければ_____
森に入ってから一時間ほど経って、流石に焦りを感じ始めていたその時、ふと気配を感じた。
覚えのあるこの感じ。
「…何故、ここに?」
ルヴァンが草むらから姿を現した。
訝しむような、困惑したような表情を浮かべている。
メイは気まずさを覚えた。
『関わるな』_____そう言われたばかりなのに、その矢先にこうも出くわしてしまうとは。
「別にいいでしょう。少し用があって」
「この森は危険だとセシルに言われなかったか?」
彼は遮るように続ける。
「魔者だけじゃない、強い魔力を持った人間にとってもここは危ないんだ。魔力を…生気を吸われる。君のような人間には特に、刺激が強いはずだ」
淡々と、しかし案じているような口ぶりにメイは首を傾げた。
「…だとしても、あなたには関係のないことでしょう?どうして心配するの。関わるなって言ったくせに」
思わず語気を強めて言うと、ルヴァンは気まずそうに視線を落とした。
「それは…」
沈黙があった。
どうにもよく掴めない人だ、とメイは思う。
しかし困ったような横顔は、何か企みがあるようにも思えない。
むしろ反省した子犬のように小さく見える。
自分よりも背の高い青年に対しておかしな話だが。
(…仕方ない、か)
メイは観念して、説明を試みることにした。
「セシルの、具合が悪そうなの。だから薬になるものをと思って探しにきた」
するとルヴァンは顔を上げる。
「…そんなことか。それなら俺が取ってくる」
思いもかけぬ提案にメイは目をぱちくりさせる。
「悪いわ。この森は危険なのでしょう」
「俺は問題ない。それに、セシルには俺も恩がある。この森には多少詳しいし、特徴さえ分かれば探せる、と思う」
「でも…」
断りかけて、メイは思い直す。
肉体的にも精神的にも参りかけていたのは確かだ。
「…お願いするわ。でも報酬になるものは何も持ってないの。お金なら、少しでよければあるけど」
青年は首を振る。
「いらない。役に立てるならそれで十分だ」
ただの善人のような言葉に、メイはますます彼が分からなくなってきた。
メイは一足先に酒場へと戻った。
セシルは相変わらず起きてこない。
そして半時間と経たないうちに、ルヴァンは頼んでいた成分の入った薬草を綺麗に揃えてきた。
あの広い森で、すごい嗅覚だとメイは密かに感心した。
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