第14話 違和感

「ルヴァン、ごめんなさいは?」

「…ごめんなさい」

「コイツねぇ、女性恐怖症なのよ」

「はぁ」

朝起きて早々、店の入口辺りに並ぶ二人の青年に、メイは少々呆気に取られる。

黒髪の青年の方は、昨夜メイを見るなり逃げ出した人物だ。

てっきり彼は英雄協会の手先で、彼女が英雄だと気付いて本部へ報告しに行ったのかと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。

「その…大変ね」

女性が苦手なら、こうしてメイが目の前に立っていること自体苦痛だろう。

メイは軽く会釈して、後ろに下がろうとする。

「ちょっとぉ、それだけ?」

セシルがつまらないといったように口を尖らせる。

「失礼な奴って、ビンタしたっていいのよ?」

「しないわよ…」

昨日会ったばかりの人に突然暴力を振るうほどメイは分別がないわけではない。

「誰にだって恐ろしいものはあるわ。仕方ないでしょう」

「へえぇ、大人ねぇ」

先ほどからセシルの様子は何かおかしい。

面白がるような、茶化すような。

メイは困惑しながらため息をつく。

まあ、彼の人を食ったような態度は今に始まったことではないが。

「…それより料理の仕込みは?素材が置きっぱなしだったけど…腐る前に何とかしたほうが」

「あらそうだったわ。んじゃルヴァン、もう帰っていいわよ。おつかれ」

唐突に放り出されたルヴァンは、それから言葉を発することなく、ふらふらと店を出ていった。

(…何だろう)

その後ろ姿に一瞬メイは奇妙な懐かしさを覚えた。

(まさか。同じ年頃の男の子と関わった記憶なんてないわ)

故郷の村でも、祖母と生活していたときも、一般の人間と仕事以外で触れ合うことなど殆どなかった。

余計なことをすれば大切な人に迷惑がかかる。

友だちと呼べる存在などいなかったはずだ。

(混同してるんだ。森の中から、ただ羨ましがって眺めていただけの記憶と)

違和感を振り払って、キッチンへと向かうセシルの背中を追った。


昼下がり。

メイは店の外に出ていた。

いつ見ても寂れた街だ。

店の程近く、街の中央に位置する広場には噴水があるが…見事に枯れている。

まるで水が噴き出したことなどなかったように。

以前は店が立ち並んでいたのだろう、看板が掲げられた建物が何件かあるが、今や中は埃かぶっていて人の気配などまるで無い。

いつか栄えていた時期を想像するのは容易いが、それがいつどうして、ここまで寂れてしまったのか…

銀の森のせいだろうか。

しかしここは魔者にとっては地獄でも、人にとっては天国であるはずだ。

魔者に襲われることを心配しなくていい生活________

メイにとっては夢見ることすらない光景だった。

(…私には関係ないことだわ。それよりも)

気付けば銀の森の入口まで来ていた。

入ってみようか。

それはセシルに禁止されていた。

いつか来るべき時にまた来ればいい。

今はメイ自身が体力を温存する必要がある。

焦りは最悪の結果しか招かない、と。

(出会って間もないのに母親みたい)

思って、本当の母のことが脳裏を過ぎる。

_____やはり忘れてはいけない。

誰に忘れろと言われても、刻みつけ続けなければならない。

それがのうのうと生き延びてしまった自分に出来る唯一の償い。

ぐっと拳を握りしめる。

と、その時。

不意に気配を感じてメイは振り返った。

「あ…」

ルヴァンが少し離れたところから見つめている。

目が合うと、彼は咄嗟に立ち去ろうとする。

「待って」

思わず呼び止めてしまった。

何故だろう。

今朝感じたような、妙な感覚に再び襲われる。

やはり…どこかで…

焦燥感にも似た思いに突き動かされる。

「あの…ごめんなさい、女が苦手なのに」

メイは自分でもわけのわからない行動に困惑して、伸ばしかけた手を弱々しく下ろす。

何をやっているのだろう。

すると、青年は動きを止めた。

「あれはあいつの…セシルの冗談だ。苦手なわけじゃない」

メイはほっと息をつく。

「そう。…あなたは、セシルの友達?」

「知り合ったのは最近だ。ただ、恩がある」

「へえ…」

少しの間があった。

こうして話してみても、メイにはやはり彼のような青年と話した記憶は辿れない。

そのはずなのに心に引っかかる何かがある。

思い出さなくてはならない何かが__________

細い糸を手繰るように考え込んでいると、やがてルヴァンは口を開いた。

「俺に」

どこか遠くを見ていた視線が、精悍な横顔が、ゆっくりとメイの方に向けられる。

「関わらない方が、いい。きっと…不幸になる」

ざあ、と一際強い風が森の方から吹きつける。

乱れた前髪が彼の目元を覆う。

隙間から覗く鋭い瞳には、何の感情も映し出されていなかった。

あまりに唐突で、あまりに明確な拒絶。

メイが言葉を失っていると、彼は再び背を向ける。

そしてそのまま無音の街の中へと消えていったのだった。


残された少女はぽつんと立ち尽くしながら、先ほどの言葉の意味を考えていた。

(不幸になる、か。そうだ、私はいつだって周りの人間を不幸にしてきた)

何を思い上がっていたのだろう。

_____違和感、何とも知れぬ懐かしさ。

あるはずもない記憶に囚われて、いま自分の置かれている状況を失念していた。

(私の正体に気づいた?だとすれば…いや、そうでなくとも、私のような人間に引き留められるなど不愉快なだけ)

近づくなと先んじて牽制してくれるだけ親切ではないか。

今後は極力関わらないようにしよう。

彼だけでなく、ここで出会った人たちとも。

所詮束の間の日常なのだから。

戒めのようにメイは心の中で呟いた。

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