第12話 酒場『青薔薇』にて

金髪に青い瞳の青年は自らをセシル・ロージスと名乗った。

彼は特級の魔者『吸血鬼』で、そこそこ名のある貴族の家に生まれたらしいが、家督は早々に放り出し、さらに今は人間の血液よりも酒の方を好みこうして酒場を開いたという。

何とも奇妙な経歴に、しかしメイはあまり動じずに話を聞いていた。

というか、オオカミの話を聞きに来たのにどうして彼の身の上話を聞かされているのだろう。

セシルに案内されて着いた酒場の中、端のカウンター席に座りながら、メイは内心少し苛立っていた。

「アンタ、さっきからあんまり怖がったりとかしないのね。ま、面倒くさいからそれでいいんだけど」

「別に…あなたに私を襲う気はないんでしょう。私はオオカミの話が聞ければそれでいい」

「ああそうだったわね」

セシルは今やっと思い出したように言った。

白々しいものだ、とメイは思う。

「まずだけど。オオカミがその力を発揮するのは満月の夜ね。完全なる月は魔者に力を与える…逆に言えば、それ以外の日に殺しても意味がないのよ。どんなにバラバラにされても満月の光を浴びれば必ず復活するから。その力が最高に高まった夜に、完膚なきまでに叩きのめす。奴を殺すにはそれしか方法はないわ」

「じゃあ、もし満月以外にあいつが暴れても、指を咥えて見ているしかないってこと?」

「そうなるわねぇ。けどどんなに凶悪な魔者だって、不完全な状態で人間サマを相手にしたりしないでしょ。…アンタは知らないだろうけど、人間って敵としては厄介な相手なのよ。一人ならどうってことないけど、アイツらちょっとからかったら集団で仕返ししてくるじゃない」

まるで身に覚えがあるようにセシルは遠い目をした。

「まとにかく、こればかりは焦ったってどうにもならないってこと。こっちも満月の夜までは大人しく待ってることね」

「それでも…いつまでも黙って身を潜めているとは思えないけれど」

「どうかしらね。それは本人に聞いてみないと」

セシルは白い指先で前髪を弄ぶ。

「…知り合いだったりするの?」

「あら、よく聞けるわねそんなこと。もしそうだったとしてどうするの?アタシも仲間として処刑するつもり?」

メイは首を振る。

「あなたが誰と付き合おうと私には関係ない。邪魔しないでくれるならそれでいい。…ただ」

ゆっくりと、辿々しく少女は話し始める。

「時々思う。もしあいつの…オオカミの言葉が分かったらって。勿論決意は変わらない、あいつは殺さなきゃいけない。けど、すべてを終わらせるその前に、一言でも話ができれば…何か…『私たち』との間に横たわる、わだかまりのようなものが少しでも解けるんじゃないかって。…甘い考えね、忘れて」

言い切ってから気恥ずかしくなったようにカウンターに突っ伏す。

出会ったばかりの人、いや魔者に何を話しているのだろう。

「…そう」

セシルは一言だけ返す。

何か物思いに耽るように。

その響きが妙に優しかったのは気のせいだろうか。


次の日から、メイは酒場の店員として働くことになった。

本意ではなかったが、オオカミの出現まで待ち伏せなくてはいけないのと、単純に暮らしていくだけの金がないのだ。

それに情報を受け取った借りを返さなくてはいけないという気持ちもあった。

提示された給金はなかなかの額だった。

「店員って……何をすればいいの?」

「ニコニコ愛想よく振る舞ってればいいのよ」

「それが出来ないんだけど」

前途多難だ。

と言っても、酒場に来る客は少ない。

昼間は店を閉めているし、夜になっても森帰りの狩人がちらほらと訪れるだけだ。

銀の森は存在自体があまり知られていないようで、多くて三から四組ほど。

それも何だか覇気のない腑抜けた人間ばかりで、つい数日前にメイが出会った狩人たちとはまるで雰囲気が異なっていた。

「怠惰な奴らなのよ。出来るだけラクして獲物を狩って生活の足しにしたいって奴ばかりだからね。ほら、銀の森は小物なら入っただけであの世行きでしょ。何の苦労もしないで狩りができるいい餌場ってわけ」

それを聞きながら、メイの心を不安が過ぎる。

「オオカミも…その魔者を餌に、力を蓄えているんでしょう」

セシルは首を傾げる。

「どうかしらね。あいつ、ちゃちな魔者なんか喰わないと思うけど」

「それじゃあ、やっぱり人間を襲って…」

「言ったでしょ?知性あって武器も使って、さらに何かあれば団結して仕返ししてくるような人間を相手にするのにはなかなか体力がいるの。いくら特級とはいえ、満月の夜以外でそんなに派手な動きはできないわ」

こんな問答が毎日のように繰り返される。

焦る気持ちを抑えることはなかなか難しかった。


そんな生活も五日目に差しかかった頃_____

『青薔薇』が開店して早々に、木製のドアの開く音がした。

「メイ、相手してあげて」

「いらっしゃいませ」

この挨拶も板についてきた。

着替えたばかりの制服姿のままドアの方へ向かうと、そこには少し乱れた黒髪に鋭い金色の瞳の青年がいた。

中年の男性客ばかりのこの酒場に、彼は珍しいほど若く見えた。

歳もメイと変わらないくらいだろうか。

目つきが悪いので剣呑なように見えるが、しかしメイにはどこか憂いを帯びた表情に思えた。

「お好きな席へどうぞ」

さっと視線を逸らして空いてる席を指す。

しかし、青年はその場から動かなかった。

まるでメイから目が離せないかのように。

「…あの、何か?」

「……あ……」

青年は驚いたように目を見開いて、よろよろと後ずさる。

そして慌てて踵を返すと、先ほど入ってきたばかりのドアを押しやって出ていってしまった。

「は……?」

メイは呆気に取られる。

気付けばセシルはグラスを拭く手を止めて、面白そうに入口の方を見ていた。

「なるほどね」

「…私、そんなに怖い?」

「さぁね。アンタが赤ずきんって気付いたんじゃない?その瞳の色で」

「それじゃあ、まさか今のって協会の」

「アハハ、そうだったら面白いわねぇ」

慌てるメイをよそにセシルは何だか面白がっているようだった。

「追いかけるべき?…でも…」

「焦らなくても戻ってくるわよ。じゃなかったら、アタシが首根っこ捕まえてきてあげる」

セシルはおかしそうに微笑んだ。

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