第9話 ジルバの街

セシル・ロージスは、ジルバの街の小さな酒場『青薔薇』のマスターだ。

そして遥か昔より人間の生き血を啜って永らえてきた魔者、『吸血鬼』でもある。

とはいえ彼はとうに人の味には飽きていた。

七百年ほどの長くはないが短くもない人生(魔生?)の中で味わってきた血は数知れず。

だけどどれも似たり寄ったり、美食家の彼を満足させるモノなど、とうとう見つからなかった。

それより最近は『酒』のほうに凝っている。

摂取すると素敵な気分になれる魅惑の飲み物だ。

人間という生き物は短い生の中でよくもこう次々と面白いものを考えつく。

だからセシルは人間のことがわりと好きだ。

知性のない魔者は嫌い。

奴らは何も生み出さず最低限の美学すら持たない。

そして彼はやがて、退屈しのぎにいよいよその手で酒場を開くことにしたのだ。

魔者を寄せ付けないこの静かな『銀の森』に接するジルバの街で。


の、はずなのに。

「アタシってほんと、お人好しよねぇ」

日の暮れかけた酒場のカウンターにぼんやり頬杖をつきながら、金髪に蒼い瞳の美青年…セシルはぼんやりと呟く。

その前に座るのは、黒髪に鋭さのある金の瞳を持つ青年。

彼は唐突なセシルの独り言の意味を測りかねるようにじっと見つめていた。

「なに他人事みたいな顔してんのよ。アンタの世話について言ってんのよ」

「それは…悪い」

青年は剣呑な顔つきに似合わず素直に謝罪した。

そのまま目の前に置かれたコーヒーを一口啜る。

苦味に耐えるように顔を顰めながら。

「…張り合いないわね。拍子抜けだわ。その人相の悪さはどこから来るのやら」

呆れたようにセシルはため息をついた。

人相の悪い青年は彼の拾いモノだ。

拾うつもりは毛頭なかったのだが、行く場所もないというので渋々引き取った、というのが彼の談。

「この顔は生まれつきだ。不快にさせてるなら申し訳ない」

「あーもう!だから!すぐに謝らないの!アタシが悪いみたいじゃない」

セシルは苛立ったようにカウンターを指で叩く。

「悪…いや、ええと…」

青年は瞳を揺らして言い淀んだ。

謝りすぎるのも逆に機嫌を損ねてしまうらしい。

しかしじゃあどうすべきか。

彼には上手い言い回しなどまるで思い浮かばない。

喧嘩をするような相手も、冗談を言い合うような相手も、これまで一人たりとも知らなかった。

そうやってしばらく狼狽えていたので、セシルはやがて可笑しくなったらしい。

「いいわよもう。ったく、変なヤツ」

ふふ、と吹き出した。

表情がコロコロと変わる。

それはいつも無表情な青年とは大違いだった。

何だか別の生き物を見ているようだと密かに思う。


「…こんな場所に」

少し経って、青年は口を開いた。

「酒場を開いていて、その…怖くはないのか。聖気が満ちてるし、狩人も来るだろ」

「森の聖なる空気はアタシには無意味って、前にも言ったでしょ?そしてそれは『アンタ』も同じ」

「…そう、だな」

青年は一瞬傷ついたような表情をする。

セシルは構わず続ける。

「狩人と言ったってここはまだ無名だから来る数も少ないし、死んでる魔者を拾いに来るだけの怠惰な奴らよ。敵じゃないわ」

さらりとした物言いに、青年は素直に尊敬の眼差しを向ける。

「強いな」

「そお?もっと褒めてくれていいわよ」

セシルはご機嫌に笑みを深めた。


やがて夜が訪れる。

月が南の空に上がる前_____

闇の気配が一層濃くなりはじめた頃。

ジルバの街の小さな酒場は、ようやく開店のベルを鳴らす。


そこに迫る小さな影には気づかぬまま。

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