第7話 追想〜シンデレラ〜
生まれた時から英雄だった。
誰も彼女を批判する者はいなかった。
代わりに誰もが彼女を畏れた。
父上、母上、誰より身近なばあやでさえも、まだ何の力も持たない、非力な少女に過ぎない私を。
赤ずきんが逃げた_____その事実をアシュレイはしばらく呑み込めずにいた。
何故?どうして?
彼女に伸びる魔の手を振り払ったというのに。
何か間違ったことをしたのだろうか?
混乱に陥りそうになる頭をどうにか抑えて、彼女は自らの行動に…その人生に想いを馳せる。
シンデレラのおとぎ話を聞かされて育った。
裕福な家に生まれた少女は父の再婚によって奈落へと突き落とされる。
意地悪な継母と継姉たちによって奴隷同然の扱いを受け、悲嘆に暮れる彼女は、ある舞踏会の日に彼女のもとを訪れた魔法使いによって美しく変身を遂げる。
その輝きを見初めた王子は、零時の鐘とともに行方を晦ました少女を、落としたガラスの靴を手掛かりに必死に追い求め、遂に見つけ出す。
二人はめでたく結ばれ、いつまでも幸せに暮らしたという_____
素敵な話だ。
しかしどうにも都合が良すぎる、とアシュレイは幼いながらに思った。
(魔法使いが訪れたのは偶然だ。それがなければ彼女はかわいそうな召使いのままだった。わたしなら、幸せは自分の手で掴みにいくのに)
そもそも終始受け身のシンデレラが英雄の血筋とされているのが分からない。
運命を変えたのは魔法使いではないか。
(ならば…わたしは魔法使いになろう。いつか、かわいそうな少女の運命を変える手伝いをする、勇敢で聡明な英雄になろう)
その日から、彼女は懸命に努力した。
努力をすればするほど、彼女こそ英雄の名に相応しいと褒めそやされるようになった。
そして同時に_____彼女の周囲には、まるで遠い存在のように距離を置かれるようになっていった。
『英雄協会』の噂は幼い頃から知っていた。
すべての英雄の血筋たる者はもれなくそこに加わり、世界を表から陰から生涯かけて支え続けるという。
英雄は組織など作らずとも、それぞれが単独でものすごく強い。
なのに何故わざわざ寄り集まるのだろうか。
成長するにつれて、その意味は何となく分かってきた。
英雄は強い。故に、互いに対立すれば大変面倒なことになる。
終わらない戦い、溢れるカリスマ性により集まる人々、陣営は分かれ、やがて世界を巻き込む戦争につながっていく_____
こんなことが大袈裟ではなく現実に起こり得るのだ。
そんな悲劇も、すべての英雄がひとつの組織に属して同じ目的に向かって邁進することで極力避けることができる。
そういう流れがあるので、英雄協会は、脱退しようとする英雄に対しては厳しく対処する。
『異端者』とみなし地の果てまで追いかけるとか、彼らも英雄なので殺しはせずとも協会の地下に幽閉されるとか、物騒な噂が後を絶たない。
それもこれも「不要な争いの種が生まれるのを避けるため」であり、協会の方針に敵うものである。
その厳格さに精神を病んでしまう英雄も、アシュレイは多く見てきた。
(何とかしなくては、な…)
彼女にはある野望がある。
いつか協会の統率者となること。
そして英雄協会を、ひいてはこの世界を、もっと居心地の良いものに変えること。
強制されずとも、各々が与えられた『役割』を受け入れ、励むことができるようになること…
そのためにアシュレイは努力に努力を重ねている。
まずは協会にとっての『模範生』となることで自らの地位を確立し、実力を認めさせ、発言力を大きなものとする。
いつか成し遂げる日を思えば苦ではなかった。
しかし時々、自らの心に巣食う影に気づくのだ。
それは街を歩く一般人の親子連れを見るとき、森の中で身を寄せ合う獣の兄弟を見るとき。
_____そんな優しい時間を彼女は知らなかった。
どれほど大勢に囲まれていても、彼女は孤独だった。
(英雄とは孤独な生き物だ)
継母の奴隷だった頃の『シンデレラ』のようなみすぼらしい少女……アシュレイの中にも、彼女が住んでいるような気がした。
『赤ずきん』を知ったのはそんな時だった。
英雄でありながらその存在を認められず、さらに信じられないことには、『呪われた魔女』として村人たちに秘匿されているという。
いま、少女は行方知れず。
だが故郷の村では彼女の宿敵たるオオカミの目撃情報が相次いでおり、少女は使命を果たすために戻ってくるだろうというのが協会の予測だ。
歳はこの前二十歳を迎えたばかりのアシュレイより四つも下だという。
何と哀れな少女だろう。
赤ずきんに対してこの表現は適切ではないかもしれないが、アシュレイは彼女にこそ『シンデレラ』の面影を感じた。
そして、救うべきだと思った。
幼い頃誓ったとおりに。
彼女の魔法使いになろうと思った。
ようやく見つけた少女は傷だらけで、何もかも諦めたような荒んだ目をしていた。
捨てられて雨に濡れる子猫のようだと思った。
(幸せに生きるはずだったこの子を縛る呪いが憎い。必ず打ち壊してみせよう。きっとこれは運命だ。神が私に与えた使命なんだ)
トレの街、夜。
赤ずきんの去ったあと、不届き者の死体のそばにアシュレイは呆然と立ち尽くしていた。
赤ずきんは逃げた。
やり方が間違っていた。
人に慣れない野良猫を、いきなり抱え込んで逃げないように籠の中に入れるなど、最初から無理な話だったのだ。
(だけど…彼女は着の身着のまま逃げ出した)
彼女の象徴たる赤い頭巾を羽織っていなかった。
これを持っていれば、きっとまた必ず彼女に会える。
その時こそ、本当に彼女を闇の底から救い出す機会だ。
「必ず君を見つけて…幸せにしてみせるよ、メイ」
アシュレイは欠け始めた月を見上げて、新たな誓いを立てるように呟いた。
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