第5話 旅路にて Ⅱ

三日目の夜。

その日メイたちは、この国でも一番の賑わいを誇る交易都市・トレへ来ていた。

ここから街道沿いに進めば、協会本部のあるヘルトスの街が見えてくる。

しかし旅路に無理は禁物だということで、今日はこのあたりに宿を取ることにした。

アッシュが自らの身分を明かせばどの宿も好意的に受け入れ、結果三人はそれぞれ別の部屋を充てがわれることとなった。

メイは内心舌を巻く。

マーカスも同様の様子だったが、アッシュだけは当たり前のように涼しい表情をしていた。

夕飯を済ませて各々の部屋に戻る。

(ようやく少し落ち着いた)

ベッドに横たわり、古びた木の天井を見上げながらメイはぼうっと考える。

これからどうするのだろう。

流されるままにここまで来てしまった。

使命、復讐、村人、オオカミ、撃ち損ねた銀の弾丸_____

心臓のあたりに手をやる。

どくどくと鼓動が聞こえる。

まだしっかりと動いている。

私だけでも、あそこで死んでいれば。

一瞬過ぎった考えを慌てて掻き消す。

『あたしがそれを成し遂げられなくても…メイ、あんたならきっと大丈夫』

母の言葉が蘇る。

いや今まで片時も忘れたことなどない。

使命から逃れることは許されない。

呪いから目を背けることは許されない。

固く目を閉じた_____その時だった。

「赤ずきん、ちょっといいかい」

ドアの向こうから青年の声が聞こえた。

メイははっとして起き上がる。

「……何?」

「話がしたいんだ。出てきてくれるか?」

いつもより真面目さを帯びた声色だった。

メイはベッドから降りて、上着だけ羽織るとドアを開く。

「外へ出よう。ここじゃ誰が聞いてるかわからねえ、満足に話もできないだろ?」

にひ、と彼は笑みを浮かべた。


南の空に浮かぶ月は欠け、心なしか光も弱まっているようだった。

メイはそれにどこかほっとする。

月が欠ければ魔者は十分な力を発揮できない。

彼女も気を張り詰めずに済む……

「月が気になるのか」

宿屋を出て、人目につかない茂みへと歩みを進めながら、マーカスは聞いた。

「…いいえ。別に」

メイは空から目を外す。

「そうか。オレは気になるぜ。オレの大切な家族が奪われたのは満月の夜だったからな」

ざっ、と風が吹きつける。

立ち並ぶ大木の葉が揺れる。

「そう…」

メイは目を伏せた。

悲しいことだが、この国ではよくある話だ。

「オレはな、英雄が嫌いなんだ。アイツらすげえ力持ってんじゃん。英雄の前じゃオレはまるで無力だって思い知らされる」

彼は声を低くして話す。

メイは思わずその横顔を見上げる。

月明かりだけの闇の中では、表情がよく窺えなかった。

「どうしてそんなこと、私に…」

「アンタの話だからだよ」

その時だ。

強く腕を掴まれる感覚。

ぐらりと視界が傾く。

次の瞬間、メイは地面に組み伏せられていた。

目の前の青年マーカスによって。

「アンタが英雄だと?オレは認めない。ずっと逃げ続けていたくせに、今さら戻ってきてオオカミを倒すだの呪いを消すだの抜かしやがって。お安い正義を掲げたところで死んだオレの家族は戻らない。十年前に喰われちまった妹も、親父も、お袋も!お前の自己満足にオレらを巻き込むな。その身に刻まれた呪いは消えない。決して!」

彼のことをメイは知らない。

知らないが、今の話でよくわかった。

(十年前。母さんが死んだ年。あの惨劇の犠牲者…)

マーカスの瞳は黒々とした闇を映していた。

その中には怯えるメイの姿があった。

彼は懐からナイフを取り出す。

そこに込められているのは彼の意思だけではない。

オオカミによって命を奪われた、幾多の人の無念…

「死ねッ!」

ここから逃れることはできなかった。

それをメイ自身が許さなかった。

胸元に刃が突き刺さる_____

「そこまでだ」

風が起こった。

メイの上にもうひとつ別の影がかかった。

「アッシュ…さん」

マーカスの手はアッシュに握られていた。

そしてそのまま、あらぬ方法に捻じられた。

「いッ………」

「お前が刺客だったとはな。私の目は節穴だったというわけだ。自分が情けないよ」

碧の瞳は氷のように冷たかった。

そのまま優雅な動作で、力の抜けたマーカスの手からナイフを拾い上げる。

アッシュはその威圧にぶるぶると震えていた。

「す…すみません、アッシュさん。でもこいつは…この魔女は…」

「黙れ外道。魔女ではない、英雄だ。お前のような過去に囚われた哀れな影も、呪いの破壊によって等しく救済せんとする聖女だよ。何故それが分からない?」

取り上げたナイフをくるくる回して、アッシュはそれをマーカスの胸へと突き付ける。

「はっ…結局アンタらも敵だったってことか。正義面してやってることは変わらない。ただ静かに暮らしたいだけのオレらを苦しめる、悪……魔……」

心臓に深々と、突き刺さった。

メイは目を見開いた。

「気の毒だよ。本当に。…怖い思いをさせたね、赤ずきん。怪我はないかい?」

アッシュは動かなくなった青年をよそに、優しい笑みを浮かべてメイへ向き直る。

一点の曇りもない、正義を信じてやまない、ガラスの瞳で。

「あな……たは……」

メイは後ずさった。

彼女は助けてくれたのだ。

それに感謝しなければならない。

だけど。

アシュレイ・グラスロッドは人殺しをしたことに一滴の罪悪感も覚えていない。

英雄として英雄を守るという至極当然のことをしたと思っている。

それがありありと感じ取られた。

それがどうしようもなく恐ろしかった。

「ごめんなさい。…私は、英雄にはなれない」

メイは後ろを向かずに走り出した。

「赤ずきん!」

アッシュはもう、彼女をメイとは呼ばない。

メイは赤ずきんに付属する名前でしかない。

(ごめんなさいアッシュ、ごめんなさい、マーカス…)

哀れな青年マーカス。

自分が赤ずきんであったために、こんな悲劇に見舞われてしまった。

(やはり誰の力も借りるべきじゃなかった。ひとりで立ち向かうべきだった。私は呪われた子だ)

彼の吐いた呪いの言葉と断末魔はきっと忘れることができないだろう。


宿に、母の形見の赤い頭巾を置いてきてしまった。

もう彼女の存在を証明するものはない。

街道を目的地とは反対方向に走り出す。

戻らなきゃ、ウィザの村へ。

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