第2話 英雄の血筋

「……きん、赤ずきん…目を覚ましてくれ」

「無駄だよ。見つけた時にはもう虫の息だった」

「だが彼女も『英雄』だ!聖別された銀で傷を負うはずがない」

「自分で心の臓を撃ち抜いたんだろ?それじゃ流石に…」

耳元で繰り広げられる喧しいやり取りに、宙に浮いていたメイの意識がゆっくりと引き戻されていく。

_____ああ、全身が鉛のように重い。

瞼も重くて…だけどどうやら目を開けた方がよさそうだ。

ここが地獄か天国ではないのなら。

「誰……」

メイは掠れた声で問う。

眩しい。

木の匂いがする。

何か柔らかいものの上に寝かされている。

ベッドだ。

こんなものの上に眠るのはいつぶりだろう。

そして彼女を心配そうに覗いているのは、鮮やかな金糸の髪の美女と、縮れた赤毛にそばかす顔の青年…

「まさか。…すげぇなァ、『英雄』ってのは」

「だから言ったろう、常人とは違うんだ我々は」

青年が気だるげにこちらへ向ける視線からは何の感情も読み取れない。

一方、隣で捲し立てる美女は誇らしげだ。

(英雄?何を言っているんだろう)

英雄。

それは遥か昔、魔者を打ち倒した力ある者たち、そしてその子孫のたちを指す言葉だ。

『魔女』として生まれてこのかた村の人々に恐れられ続けてきた彼女とはまるで無縁の単語である。

「わかりましたからアッシュさん、それよりその子、引いてますよ」

青年が止めると女性はようやくこちらへ視線を移した。

「ああすまない、姫を置いてけぼりにしてしまった。気分はどうだい、赤ずきん」

そう言って躊躇いもなくベッドの縁に腰掛けると、ガラスのような碧色の瞳がメイの顔をまじまじと見つめる。

メイは思わず目を逸らした。

女性はふふ、と笑う。

「怖がらせてしまったかな。私はアシュレイ・グラスロッド。英雄、シンデレラの血を受け継ぐ者だ。そして『英雄協会』から君を迎えに来た使者でもある。メイ…いや、アルメイジェンヌ・ルースロッド」

その言葉にメイはびくりとする。

「どうして、その名前を」

それはとうの昔に封印した彼女の本名。

知るものはごく僅か…遠い昔誰かに話したことがあったような気もするが、とにかくそれきりだ。

本名を明かせばその正体も自ずと知れる。

だから必死に隠してきたのに。

「君の名前は有名だよ。秘匿された英雄『赤ずきん』、ルースロッド一族の最後の一人。その名を英雄協会は大事に鍵をかけて保管していた。私はずっと待っていたんだ…君をこの手で迎えに行くのを」

「待って。私は英雄なんかじゃない。森の魔者を呼び寄せる、忌まわしい魔女の一族で」

「それこそ作り話だよ。可哀想に、そんな虚言を信じ込まされてきたんだね。英雄に対して何たる侮辱!…しかしこれも、村の因習が生んだ悪夢だろう。誰のせいでもない」

アシュレイはひと息に話すと、白く細い手を伸ばして少女の顎を持ち上げる。

「美しい。本当に罪深いね、村人も、オオカミも…」

気障な台詞のようだが、メイはすぐに、その瞳を見られているのだとわかった。

赤ずきんの象徴たる宝石のように赤い瞳を。

「やめて」

メイは思わず手を振り払い顔を背ける。

今まで散々苦しめられてきた。

今夜ようやく解放されると思った。

故郷の村で銀の弾丸を手に入れて、運良くオオカミを見つけて、ようやく…

「怖がらないで、メイ」

アシュレイは怯える野良猫に語りかけるように、静かに言葉を紡ぐ。

「大丈夫、私たちが来たからにはもう苦しい思いなんか絶対にさせない。おいで…共に失われた幸せを掴みに行こう」

その響きは甘美で、ぼろぼろに弱った心を丸ごと掬い上げるようだった。

しかしメイはかぶりを振る。

(今さらだわ。私の物語は終わっているのだから。オオカミを殺した今、これ以上生き続ける意味なんて…)

「赤ずきん。オオカミはね、生きているよ」

アシュレイはきっぱりと言った。

はっ、と目を見開く。

今、何て言った?

「私たちが駆けつけたとき、君が倒れていた森の入口にオオカミの姿はなかった。手は尽くしたんだが…足跡さえ見つからなかった」

「まさか、そんな」

心臓が早鐘を打つ。

失敗した?

_____弾丸は命中した。

彼女は確かにそれを確認した。

それでは…

(銀の弾丸が、通用しなかった?)

恐ろしい可能性が頭を過ぎる。

顔を強張らせるメイに、アシュレイは畳み掛けるように続ける。

「だからこそ君の力が必要なんだよ。今度こそ本当に呪いを終わらせるために。失敗はさせない。私がいるからにはね」

「…手がかりは…あるの?」

「あるさ。それに君も知らない魔者の弱点なんかも知っている。…どう?協力してくれる気になった?」

メイは気を失いそうになるのを何とか堪える。

どのみち、自分に他に生きる道はない。

得体の知れない「協会」とやらの手を借りるのは不安しかないが…事は一刻を争う。

必ず仕留めなくてはならない。

これ以上悲劇を拡げてはいけない。

「分かった」

メイは固く頷く。

アシュレイはぱっと顔を輝かせる。

(どうか…何も悪いことが起きませんように)

祈るような思いで目を瞑った。



「死に損ないが、アタシのシマに何の用?」

月が少し欠け始めてきた夜。

金髪に青い瞳、バーテンダーのような出立ちの青年が、寂れた広場の入り口に立っている。

向かい合わせに立つのは_____巨大な黒い狼。

荒く呼吸を繰り返しながら、月光と同じ色の瞳が青年をじっと見据えている。

片手で握るように抑える胸のあたりには血のこびりついた跡があった。

「無様なものね。ここにアンタのような野蛮な獣に喰わせるエサは無いわよ」

刺さるような沈黙が続く。

その時、巨体がぐらりと傾いた。

「え、ちょっと」

ズン、と地響きのような音を立てて、狼は倒れた。

青年は頭を掻く。

「ったく…この借りは高く付くわよ?」

にやりと引いた口の端からは、白い牙を覗かせていた。

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