第一章 赤ずきんと銀の森

第1話 呪われた子

青白い月の光が、夜の森を冴え冴えと照らす。

少女は足早に歩いていた。

誰かに見つかる前に、一刻も早く____

「そこのお前、フードを取れ」

遅かった。

「フードを取れと言ってるんだ」

後ろから来た人影に肩を掴まれ、顔を持ち上げられる。

「そ、その目は…!」

瞳を見た男が後退りする。

後ろに控えていた別の男らも恐怖に慄いた。

「赤ずきんだ、忌まわしい魔女が帰ってきた」

「おお、神は我々にどれほどの罰を与えれば気が済むのか」

「捕らえろ!災いが来るぞ!」



むかしむかし森の奥、血のように赤い衣を纏う老婆が住んでいました。

彼女は大変優秀な魔女だったので、近隣の村の人々に慕われておりましたが、村の長に玉のように可愛く才能ある娘が生まれると、彼女を酷く妬むようになりました。

そして娘が花盛りの十五を迎えたある日、魔女の持つ中でもっとも強い毒薬を贈ったのです。

村長の娘はあっという間に死んでしまいました。

村人たちは大変嘆き悲しみました。

魔女は村長と勇敢な若者たちによって退治されましたが、その忌まわしい血はそこで途絶えることがありませんでした。


魔女の子孫はやがて『赤ずきん』と呼ばれるようになり、手下たる魔者の『オオカミ』を従えて、復讐の時を待ちながら潜んでおりました。


それから百年も経ったある日のこと。

魔女の手下のオオカミは、主人の横暴さに耐えかねて、とうとう彼女と村の人々を喰い殺してしまおうと決めました。

オオカミは赤ずきんを巧妙に誘き出し、腹の中に飲み込んでしまいました。

そのまま人里へと降りて行こうとすると、そこを狩人が通りかかりました。

狩人は勇敢にもオオカミに立ち向かいました。

そうしてオオカミを撃ち殺すと、お腹の中から赤ずきんが飛び出してきました。

「よくやってくれたね、狩人さん。あれは出来の悪い奴隷だった。おまえの勇敢さに免じて、しばらくのあいだ、村の平穏は約束しよう。だがおまえの血が途絶えた時、あのオオカミは再び甦って、村を滅ぼしてしまうだろう」

狩人は狼狽えましたが、やがて意を決して言いました。

「ならば私の血は決して途絶えさせず、あなた方を見守り続けると誓いましょう。決して村が滅ぼされることのないように」

そうして契約は交わされ、村には束の間の平穏が訪れました。


しかし狩人はいつか姿を消し、忌まわしい血はやはり途絶えることがありませんでした。

赤ずきんとオオカミは今でも森に潜みながら、いつか村を滅ぼす日を夢見ているのです_________



「いや……っ」

無数の大きな手が少女に伸びてくる。

恐怖、高揚、嫌悪、様々な昏い感情の混じった『声』が糸のように絡み付いてくる。

助けて。

助けて。

(お母さん……)

お母さんはもういない。

勇敢な母も、優しい祖母も、みな死んでしまった。

オオカミに喰われて、村人に憎まれて…

少女も赤ずきんとして無惨な死を迎えるのだろうと直感していた。

それが呪いだ。

赤ずきんの血に刻まれた消えない呪いだ。

『メイ』

その時、どこからか声が聞こえた。

(誰?)

思わず身じろぎして視線を動かすと、男たちも釣られたようにそちらを見る。

『…ろ、メイ』

と、突如地面が揺れる。

目の前に、黒くて大きな何かが立ちはだかる。

禍々しい瘴気を隠しもせず、地響きのような低い唸り声を上げながら、鋭い牙を剥く……

「ひ、ひぃっ」

少女を捕えていた男の一人が情けない声を上げて彼女の腕を離す。

「おい、離すなよお前」

「ば、ば、バケモノ…」

オオカミだった。

「グオオオオオッ!!!!」

空気を震わせるような咆哮が上がると、男たちは何やら口々に叫びながら蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

メイをひとり残して。

「…やはり…やはり魔女はオオカミを従えていたんだ」

一人の男の声が少女の耳に入った。

少女はそれで我に返る。

そうだ。

(私が終わらせるんだ。私たちを縛る下らない呪いを…この手で)

メイは何かを握った片手を強く握り締める。

そして震えるもう一方の手でマントの中に手を入れる。

そこには小銃が仕込んである。

魔の者を殺す銀の弾が仕込んである、唯一残った母の形見だ。

「グル…………」

オオカミはそこでようやく振り返った。

金色に光る瞳が銃口を捉える。

しかしそこから動く気配はない。

ただ澱んだ目で赤ずきんを見据えている……

______パァン、と乾いた銃声が響いた。


すべては終わった。

不幸な呪いの連鎖も、赤ずきんの役割も。

…いや、最後にひとつ大切な役目が残っている。

(母さん…もう、いいよね)

メイは銃口を自分に向けた。

銀の弾丸は、いかなる邪悪をも撃ち抜く……….

最も強く最も厄介な呪い。

それは赤ずきんの存在そのもの。

赤ずきんはゆっくりと瞼を閉じた。



物語はここで幕を閉じる。

そのはずだったのだ。

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