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私の心を覆った暗雲は、5年生となった私と、絵を濡らし、私は、紙と涙を滲ます羽目になった。私は、ここに来て、絵以外の事に目を向けてしまった。今まで、ただ闇雲に絵と向き合ってきた。ただ闇雲に筆を振って来た。しかし、私は、他ならぬ私自身の手によって、絵を描くことを辞めざるを得なかったのである。

当初、簡単に思え、何人も踏み潰し乗り越えて来た、勉強、それが、出来なくなってきたのである。今、読者諸君は、「お前はそんな人間だったか?その程度で絵を辞めるほど、やわな人間では、無いだろうに。」と笑ったであろう。私も、そう思っていた。しかし、私は、テストの結果が返ってきたとある日、その目も当てられない点数を見て、一瞬、確かに、自分で禁じた思考をしてしまったのだ。思考をして、暫くするまで、私は所謂、普通の状態でいた。しかし、それに気づいた時、乙女が羞恥に顔を赤らめるように、みるみる自分の犯した重大なミスに気がついたのだ。その時には、最早自分は赤いペンを持ち、テストの直しをしていた。その思考は、禁じていたはずだ。その思考をしてはいけなかった。もう手遅れになってしまったのだ。自分で決めた、自分の法律だ。この俺が、「普通、こんな点数で平気で居られるのは、おかしいのでは無いか?」などと思ってしまうなんて。

私は、絵を描くことを辞めた。何を描いても、無価値な、無個性な、単なる落書きにしか見えなくなっていた。私は、絵を描くことも、勉強をすることもできなくなった。

「俺に価値はあるのか?」

ふと、そんな疑問が頭に浮かんだ。考えたくもない。そんなことを考えても、何の得にもならない事は分かっていた。しかし、考えてしまう。

「俺に価値はあるのか?」

価値。価値とはなんだ?誰が決めるのだ?私は、私自身の絵に、価値など見い出せなくなった。無論、そんな絵を描く、自分にも。しかし、他の人が、誰かが認めてくれるかもしれない。

そんな少しの期待を抱き、私は、わざとらしく、自分の机で絵を描いた。数ヶ月ぶりに描くが、やはり価値は見い出せない。しかし、誰かが、そこに価値を見出すかもしれない。すると、計画通り、クラスメイトの友澤という、背の低い、その癖声だけは異様に高い、皮肉屋の1人の男が、初めてキャットフードを見る猫のように近づいてきた。「何描いてるの?」コミニュケーション能力もなく(正確には、絵を描き過ぎて、父母以外の人と喋る機会が少なく、その力を養うことが出来なかった)、人と喋る事を煩わしいとさえ思う私であったが、この時ばかりは非常に救われた気持ちであった。「絵だよ。」「なんの?」「チョーク。」黒板に置かれたチョークの無機質さを描いていた。「ふうん。まあそういうのもいいんじゃない?」私は、友澤のこの言葉に、ひどく苛立った。別に貶された訳でもなく、価値がないと言われた訳でもない。私を苛立たせたのは、「そういうのも」という言葉であった。価値について、少なくとも私は、「希少な物につく」と認識していた(それが正しいと、普通だと、盲目的に信じていた!)。それが、「そういうのも」だと。つまり、他のもっと下手なこのテの絵と、もっと美しいこのテの絵と、一緒くたにされたことに、苛立ったのであった。完全に、絵を描くことを辞めようと決意した。

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