第32話 それぞれの夜~アシェル~
きしんだ音とともに、鉄格子が開いた。アシェルはゆっくりと牢獄の中に歩み入る。
すでに体を洗い、傷の手当ても済ませてある。新しい制服は着なれた物より少し硬く感じた。
囚人の手の届かぬよう、天井近くに吊るされたランプの光は弱く、目がなれるまでひどく暗く思えた。当然暖炉などあるわけがなく、空気はうすら寒い。
牢獄の中にあるベッドに、一人の少女が座っている。
壁につけられたU字の金具と、足首にはめられた足かせが、鎖で繋がれている。
「目が覚めたか、レリーザ」
多少ぼんやりしていたが、レリーザの目には一応の生気があった。
「驚いたよ、いきなり仮死状態になるんだから」
あのとき、倒れたレリーザは意識を失ってはいても、しっかりと呼吸をしていた。
考えてみれば、計画通りケブダー邸が襲われるまでの間だけ、自分自身の口を封じていれば良いのだ。何も死ぬ必要はない、というか、死んでしまったら成就した復讐を味わうことができなくなる。毒薬でなく仮死薬を選ぶのは当然だった。
「あら残念ね、あなたもあの鳥に喰われて死ぬと思ったのに」
実際「死ぬかも」と思ったことは正直に言わなくてもいいだろう。
「悪かったな、しぶとくなくちゃ隊長なんて務まらないよ」
「それで? ケブダーは死んだの?」
レリーザは身を乗り出した。すがりつくような視線だった。
「残念だけどな、生きてるよ」
「なんで!」
まるでそれがアシェルの落ち度だというように、こっちをにらみつけてきた。
「安心しろよ。都のストレングス部隊が動くことになった。ケブダーが葬った悪事も、日の下に暴かれるだろうよ」
「それが何よ!」
レリーザはひどい頭痛を抑えているか、耳をふさぐかするように、両手の指を髪の中に突っ込み、うつむいた。
「あいつは、自分が犯した罪をすべて父に押し付けたのよ! それで父からうばった物でのうのうと暮らしている。だからすべて壊してやりたかったのに!」
それは間違っている、少なくともレリーザが殺そうとした客たちは『小鳥事件』となにも関係がないはずだ、とかなんとか、それらしいことを言うのは簡単だった。
だけど、どういうわけか言う気にはなれなかった。
ランプがちらちらと揺れて、二人の影を壁に踊らせた。
「はっ!」
レリーザは吐き捨てるように息を漏らした。
アシェルの沈黙を、侮蔑(ぶべつ)かあきれの表れと受け取ったのだろう。
「どうせ、馬鹿なことをしたって言いたいんでしょう。こんなことをしたら絞首台だものね。父のことも、事件のことも全て忘れていれば、こんなことにはならなかったのにって」
「いや」
アシェルはあっさりと首を振った。
「幸い、俺は大切な者を殺された事はないし、殺したいほど憎い奴もいないから、想像になるが……あんたは自分の利益にならない事はしないタイプだ。そんなあんたが軽率なことをしたんだ。そうせずにはいられなかったんだろうよ。シュディア」
アシェルは、レリーザの本名を呼んだ。
レリーザは、両手で自分の口を覆った。涙が頬を流れ落ちる。
「ああ、そうだ。それから、ケラス・オルニスが襲った都のストレングス部隊の二人組な。無事に目を覚ましたらしい。順調に回復中、だってさ。少しは罪が軽くなるだろうよ」
アシェルの言葉に、レリーザは何も応えなかった。
「そういえば、一つ気になることがあるんだが」
レリーザはだんまりのままだが、アシェルはかまわず話し続けた。
「なんでわざわざジェロイを殺したんだ? あんたの狙いはケブダーの館を襲うことだったんだろ? ジェロイはあのとき、あんたの正体を言わなかった。それは自分に捜査の手が伸びてこないことで気づいたはずだ」
レリーザは唇をかみしめ、涙の流れるままにしている。
「あいつが都で自白したところで誕生パーティーには間に合わないだろうし。のちのち脅されるのを嫌ったのかと思っていたのだが、その様子じゃ恨みさえ晴らせれば別にいいって感じだし」
アシェルの言葉に、初めてレリーザはくすりと笑った。
「だって、あいつはフェリカにつきまとっていたんでしょう? ああいう奴は何度捕まえたって懲りないわよ」
「まさか、フェリカのためだとでも言うつもりか?」
「それにいくら恨みを晴らしたいといっても、そのあと脅されるのはいやよ。まあ、両方ね」
レリーザの唇が孤を描いた。今までのどこか自嘲(じちょう)気味の笑みと違う、柔らかく暖かいものだった。
「私がアスターの町に越してきたとき、初めて知り合ったのがフェリカだったの」
フェリカが泣いていたとき、レリーザは懸命に慰めていたと捜査会議でファーラが言っていた。
孤児院の内と外では世界が違うだろう。おそらく、一人ぼっちの何も分からない町で、支えになってくれたのがフェリカだったのだ。
肩をすくめて、アシェルは囚人に背をむけた。
「ねえ」
呼び止められ、足を止める。
「フェリカにごめんねって言ってくれない? 恋人を殺しちゃったから。許してくれると思えないけど、信じてくれるとも思えないけど、本当に、そんなことするはずじゃなかったのよ」
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