第23話 屋上

 一階にむかう階段の途中で、ファーラは立ち止まった。

(なにが隊長特権よ)

 ケラス・オルニスに似た紋章を使っている以上、予告状を送った者が強盗をたくらんでいる可能性が高い。もしここで犯人のたくらみを暴くことができなければ、パーティーの出席者に大きな被害が出るかもしれない。

 望む望まないではなく、レリーザから情報を聞き出さなければならないのだ。どんな手を使ってでも。それこそ拷問だろうと、

(特権どころか汚れ仕事じゃありませんか)

 アシェルは嫌な仕事を他人に押し付けたりはしない。むしろ、他の者が傷つかないよう、あえて自分が貧乏くじを引くタイプの人間だ。

「ほら、ファーラさん、どうしたんです?」

 サイラスがのんきに聞いてくる。

 暇つぶしについてくる気になったらしく、プーがその後ろで尻尾を振っていた。

「いえ、何でもありませんわ」

 ファーラは向き直るとまた歩き始めた。


 とりあえず、今詰所に集められている目撃情報によると、問題の馬車は港の方へ消えていったそうだ。サイラス達は、最後に馬車が目撃された通りにむかった。

 この辺りはトラス河の港が近い。サイラスが今立っている道では両脇に並ぶアパートや店が見えるだけだが、もう少し高い所に登れば、対岸がかすむほど幅広い河や船が見えるはずだ。

 もうそろそろ日が沈む時間帯で、町はずれなら人通りが少なくなってくる頃だ。しかし港に近いここは、いまだに荷物を運ぶ馬車や荷運び人で行き交っていた。

 道の両端には街灯が並び、火が入れられるのを待っている。

「一応、サイラスが眠っている時も、一階組の何人かが馬車の行方を聞いていたんですけど……」

 彼らの報告を聞こうと、ファーラは辺りを見回した。

 その姿を見つけ、聞き込み中の一階組が一人駆け寄ってきた。

「ファーラさん、ダメです。この辺は馬車の通りが激しくて。ここから先、馬車がどこにむかったのかは分かりません」

 サイラスが襲われた現場では、当然馬車を見た者は大勢いる。だが、例の馬車は騒ぎのあった場所から離れ、かんぜんに他の馬車とまぎれてしまったようだ。

 サイラスがうんざりした顔で通りを眺めていた。

「確かに。この通りだけで何台馬車が通るんだろう」

「ははは、聞き込みをした人にも同じようなことを言われましたよ。『何台通ってると思ってるんだ』って」

「でしょうね」

 サイラスは苦笑した。

「ご苦労様。聞き込み交代するわ」

 ファーラが言うと、一階組は礼をすると去っていった。

「確かに、手がかりは幌(ほろ)の色と一頭立てってことぐらいですしね。見つけることは難しいかも」

 そのリエソンの言葉に、サイラスも困った顔をする。

「もう馬車が去ったあとじゃあ、プーに臭いをかいでもらうことはできないし……」

「プー」

 すまなそうに鳴いたプーの頭を、サイラスがなでて慰める。

 矢は襲われた通りから回収されているのだが、長く使っていたフェリカのブラシと違い、犯人が少し触っただけなので臭いは薄そうだ。

「そうだ。ここ、港に近いですよね。港の監視をするストレングス部隊が見ていませんかね」

「確かに監視員はいるけど、船の航行を見守るのが仕事ですから、そもそも街の方を向いていないと思いますわ」

 ファーラは苦笑した。

 リエソンは通り過ぎる馬車を眺めながら言う。

「幌の天井に穴は空いているけど、地面に立っていたら見上げても見づらいですし。そもそも、そんなところを気にする人いないですしね」

「上からずっと街を見下ろしていた暇な人が、この辺りにいればいいんですけど」

 ファーラが空を見上げる。

(上からずっと街を見下ろしてた人……)

 サイラスはパチンと手を叩いた。

「ああ! そうだよ、そう!」

 食堂のサガナおばさんから聞いた話が、サイラスの頭を駆け抜けていった。

 戻って来ない夫を偲(しの)んで、海を見続けてた夫人と、それを見守っていた隊長の話を。

『もっとも、その女の人が夕方に海を見つめる儀式は今も続いているみたいだけど』

 今も、とサガナさんは話を締めくくっていた。

「サイラス、何、どうしたの?」

 サイラスは、一つの建物をびしっと指さした。

「ほら、あそこの黄色いアパート。そこに目撃者がいるはずなんです!」


 そこに吹く風は、地上よりも澄んで冷たい気がした。屋上は乗り越えられそうな低い柵で、申し訳程度に囲まれていた。その柵にくくりつけられた棒に、洗濯物を干すロープが張ってある。

 隅に置かれた鉢植えの横に、女性が立っていた。

 ファーラたちに気づいて振り返った女性は、ほっそりしていて、今でも充分美しく見えた。白に近い金色の髪が風になびいている。

「そろそろ風も冷たくなります。そろそろ部屋に戻った方がいいんじゃありませんか?」

 ファーラは微笑んだ。

「ストレングス部隊の人がここに来るのは久しぶりだわ。隊長さんは元気?」

「ええ、おかげさまで」

 アシェルがこの女性の様子を見に来ていたことは、さっきサイラスから聞いている。

 彼女が自殺する心配がないほどアシェルが見守っていたということも。つくづく彼はお人よしだと思う。

「『おかげさま』はこっちよ。あの時は心配かけたわ。安心して、もう死ぬ気はないし、傷も少しは癒えました。この日課だけは止められそうにないけど」

 近づいてきたプーに気づき、彼女はしゃがみこんで頭をなでた。

「結構気持ちがいいものよ、夕暮れの風に吹かれるのも」

 ここにアシェルがいればよかった。この笑顔を見れば、ちょっとは喜んだのではないだろうか。

「それで、今日はどんなご用かしら」

 サイラスが一歩前に踏み出した。

「実は、少し聞きたいことがあって。馬車を探しているんです」

「ああ。そういえば、どこかで事件があったそうね」

 どうやら弓矢の乱射事件のことは知っているらしい。

「その事件で使われた馬車を探しているんです。幌の天井に穴が開いているんですけど」

「ああ、それなら見たわよ。あんな幌で、雨が降ったらどうするのかしらって思ったわ」

 女性は、視線を彼方へむけた。

 柵越しに見下ろすと、手前にミニチュアのような街並みが広がっていた。その奥には森にむかう道が伸び、木々に埋もれて消えていく。

 さらにその奥には、トラス河が茶色いリボンのように広がっている。水面は波に夕日が反射して、光の粉がまき散らされたように輝いていた。

 地上に近い部分の空が、朱(あけ)に染まり、ねぐらに帰る鳥の影がちらほら見えた。

 女性は森の方を指差した。

「あっちのほうに行ったわ」

「ええと。あっちの方で馬車が止まりそうな場所は……」

 サイラスがポケットから地図を取り出して広げ、ファーラとリエソンがのぞきこんだ。プーも見ようとしてジャンプをしているが、残念ながら届いていない。

 森の辺り書かれているのは、農場のマークが一つだけ。

「トナーク牧場……」

 リエソンが呟く。

「とりあえず、行く場所は決まりましたわね」

「情報、ありがとうございます! 行きましょう、ファーラさん」

 サイラスは小走りに屋上から去っていく。プーが慌てて後を追う。

「それでは、失礼します」

 代表してリエソンが頭を下げた。

「隊長によろしく!」

 去りかけたファーラに、女性が声をかけてきた。

「分りました」

 ファーラは少し振り返って、微笑んだ。

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