第24話 薄闇の中で
監獄棟の細い通路は壁にずらりと燭台が取り付けられている。そのすべてにろうそくが灯されていたが、薄暗かった。自分の影が、得体の知れない魔物のようにレンガの壁に揺らめいている。ヒンヤリとした空気の中を歩くたび、堅い足音が響く。
そんな不気味な通路は、アシェルに神話の迷宮を思わせた。一度足を踏み入れたら生きて出られないという伝説の迷路。
鉄製の扉の前で見張りをしているストレングス部隊が一つ礼をして、アシェルに道を譲った。
歌い部屋に入ると、レリーザが小さなテーブルについていた。逃げられぬよう、足に巻きつけられた細い鎖が、壁の金具に結びつけられていた。
「はじめまして、だな」
アシェルの言葉に、レリーザは黙って不敵な笑みを浮かべていた。
テーブルを挟んで向かい合わせに座ると、アシェルは書類を取り出した。
「時間がない。単刀直入に言う。あんたは小鳥事件の犯人の娘、シュディアだろう? 名前は孤児院に入った時に変えたんだな」
「なんのことかしら?」
どうやら、素直に歌う(話す)気はないらしい。
「ストーカーのジェロイは、あんたがシュディアだというのに気づいた」
ジェロイはフェリカとの仲を取り持ってもらうため、レリーザにからんでいたという。レリーザが昔同じ町に住んでいた者だと気づいたとしたら、その時だ。
「ジェロイが俺らに自分の正体をバラすかどうか、気が気じゃなかったはずだ。だが、いつまで待っても捕まる様子はない。だから、ジェロイは何も言っていないとわかった。一安心したのはいいけど、出てきてから後々脅されたりしたら厄介だと思った。そもそも、秘密を握っている奴がいるってだけで気持ちのいいもんじゃないからな。それで馬車を襲って殺した。違うか?」
一人の娘が馬車を襲うなどむずかしいだろうが、ケラス・オルニスの力を使えばそう難しいことではない。
レリーザは、小馬鹿にした笑みを浮かべるだけだ。
「サイラスが女教皇の塔に行ったときはビビっただろうよ。自分の正体がばれると思ったんだろう。まあ、あっさり殺されて資料を奪われたりしないところ、サイラスもストレングス部隊だってことだよな」
「……何を言っているのか分からないわね」
(ふむ)
どうやら相手は、このままだんまりを決め込むつもりのようだ。
だが、なんとかして『小鳥事件で逃げ切った奴がケブダーであり、レリーザの目的は父を裏切って逃げた者への復讐』という予想が真実かどうか確認しなくては。
アシェルの予想が正しければ、レリーザはケブダーに恨みを持っているはずだ。それを突ついてやれば、何かを引き出せるかもしれない。
「そういえば、お前の主人はケブダーなんだろう?」
「……」
レリーザは無言で睨みつけてくる。
アシェルは、手持ちの書類をめくる。
ケブダーは、棚か何かの良いデザインを思いついたのをきっかけにのし上がったという。
「すごいよなあ、もとは一介(いっかい)の木工職人だろう? それが今やこの辺で知らない者のいない大金持ちだ。あやかりたいね」
「ハハハッ」
レリーザは笑い声を上げた。
「すごい? あの男がすごい?」
今はまでの余裕ある態度が、おもしろいくらいに崩れた。
「あいつは、お父さんを殺したのよ! そして、私の父が考えたデザインを盗んだ! あのデザインは、私の父の物!」
動揺させることは成功したが、ここでまた冷静になられたら困る。
アシェルは挑発を続けた。
「へー、あのケブダーが、デザインを盗んだなんて聞いたことないなぁ。お前の勘違いじゃないのか?」
「子供って、大人が思っているほど物事をよくわかっているのよ」
レリーザは荒く呼吸を繰り返す。
観念したのか、それとも心の奥ではどこかに誰かに聞いて欲しいと願っていたのか、今までの人を食った態度が嘘のように、素直に語り始めた。
「お父さんが夜中に、友達と二人で何か話し合っていたのは知ってたわ。内容は難しくてよくわからなかったけれど、声の感じや、雰囲気で悪いことを企んでいるのはわかった」
その様子を想像するのは簡単だ。
レリーザがいる隣の部屋で、大人達が声を落としてなにやら『むずかしい』話をしている。
大人二人は、ベッドの中にいるレリーザが眠っていると疑っていなかったのだろう。だが、暗い寝室で、毛布にくるまりながら、レリーザの目はしっかりと開いていた。おそらくは細く開いたドアから、糸のような明かりがさしこむ闇の中で、眼を鈍く光らせて。
「それで、お前の父親はケレト――小鳥事件の被害者だ――の屋敷に忍びこみ、主を殺して捕まったんだろう?」
「違う!」
レリーザの手の平が、バンと机を叩いた。
明るい茶色の目から、涙が流れ落ちる。唇が震えていた。
「ケレトさんを殺したのは、ケブダーよ! お父さんは誰も殺さないという約束で仲間に加わったのに」
やはり、小鳥事件で逃げ切った方の犯人はケブダーその人だったわけだ。
レリーザは少しずつ冷静さを取り戻し、声を弱めていった。最後には、絞り出すような低い声になる。
「それどころか、ストレングス部隊がやってくると、ケブダーはお父さんに致命傷を負わせた。死体に驚いて追ってきたストレングス部隊の足を止めて、何より奪った物を独り占めするために」
「なんでそう言い切れる」
「高飛びする前に、ケブダーが家(うち)にやってきたからね。父に預けてた荷物を取りに。その時に、ご丁寧にも私に教えてくれたわ」
どうやらケブダーは、サディストの気があるに違いない。
仲間の子供に、自分がどうやって父親をおとしいれて殺したのかをわざわざ報告したのだから。
「それでケブダーを恨んだのか。そのときになぜストレングス部隊に通報しなかった?」
「子供の私のいうことなんて信じてもらえないと思ったからね」
そしてにぃっと唇の端をつりあげる。
「それに、ストレングス部隊が捕まえちゃったら、奴を殺せないじゃない」
子供の時から今まで、それほど深い憎しみを抱えて生きてきたのかと、そら恐ろしいものを感じる。今まで過去にとらわれたままで幸せだったのだろうかと思うが、感傷的になっている場合ではない。
とにかくそこまで聞くと、大体話が見えてきた。
「それからケブダーはその奪った金とデザインを基にのし上がったってわけだ」
レリーザは白いハンカチを取り出して目をぬぐった。
まだ涙は完全に止まってはいないものの、少し余裕を取り戻したようだ。
「私は、孤児院に住みながら、院や教会で手伝いをしていた。そして時間を見つけては、消えたケブダーの事を探していた」
「そして、ケブダーが大富豪になったのを知ったんだな」
「そう。それでメイドとして雇われることに成功した。ほら、よく言うじゃない。被害者は加害者を忘れないけど、加害者は被害者のことなんてすっかり忘れてるって。まさしくそれよ。ケブダーは私のことなんて気づきもしなかった。まあ、事件があったのは私が子供のころだったから、成長して分からなかったってこともあるだろうけど」
フッとレリーザは鼻で笑った。
「それで、ケラス・オルニスとお前との繋がりは? 一人の娘が、なんでそんな犯罪者集団を知ったんだ?」
聞きながら、ここで急にアシェルは不安になってきた。
まだ、ケラス・オルニスが何を企んでいるのかわからない。目的を達成するまで、できる限り情報を知られたく無いはずだ。それなのに、ぺらぺらと素直に話しすぎじゃないか?
「メイドになってからも、たまに孤児院や教会には手伝いに行っていたからね。教会である日、ガラの悪そうな男が懺悔してるの聞いちゃったの。ケラス・オルニスの一員だけど、もう辞めたいって」
「そこで一人の孤児と犯罪者集団の接点ができたわけか」
「もっとも、その男、抜けようとしていたのがばれて後で粛清されたらしいけどね。まあ、反省して神様にすがっても無駄ってことよね」
レリーザの涙は、もう完全に乾いたようだった。
「私は、ケラス・オルニスにこう持ちかけたの。『私が手引きするから、ケブダー邸を襲わないか』って」
「なるほど、利害が一致したってわけか。強盗してカネを奪いたいのと、犯罪復讐したいのと」
十六番地区でバドラが見つけた謎の空き家は、ケラス・オルニスの物だったのだろう。ケブダー邸を襲うため、十七番地区に移ってきた名残だ。
「そんなことしなくても、メイドとして乗り込んだなら、本人に毒でも盛ればいいものを」
そういえば、サイラスもそんなことを言っていたっけ。
「それも考えないでもなかったけどね」
何か、腐乱した死骸のような、ひどく汚らわしいことについて語ってでもいるように、レリーザは顔をしかめた。
「それだけじゃ、足りないなあって思ったの。だって、家族も、土地屋敷も、交友関係も、ケブダーが今持っている一切合財(いっさいがっさい)、お父さんから奪ったものが元手なのよ。なら、それを全部壊さないとフェアじゃないでしょ」
その理屈はまあ分からないでもない。でも、理解できるのと認められるのとはまた別問題だ。
「ケブダーをどうするつもりなんだ。誕生パーティーで何をするつもりだ?」
「ハハハ!」
声を上げてレリーザは笑った。
「あんたバカ? それを今ここで言うと思う?」
「だろうな。でも、こっちも手をこまねいているわけにはいかないんでね」
アシェルは大きく息を吸い込んだ。
「もしも教えてくれないのなら、鉄の処女を紹介することになるが」
頼むから言ってくれ。
祈るようにアシェルは思った。
「冗談じゃないわ」
レリーザは不敵な笑みを浮かべた
「拷問なんてされてたまるもんですか」
レリーザはハンカチで口を押さえた。
かすかに細い喉が動く。
「おい、一体何を飲み込んだ!」
レリーザは、血でも吐きそうな重い咳を一つした。グラリと線の細い体が傾(かし)ぐ。
「おい!」
アシェルが体を支えるより先に、イスから横倒しに転げ落ちる。
「誰か!」
アシェルの呼びかけに答え、外で見張りをしていた隊員が飛び込んでくる。
「医者を!」
指示を出しながら、アシェルはどこかでほっとしていた。
自分が残酷な拷問をしないで済んだことに。
そして、ケラス・オルニスのたくらみを聞き出すことができなかったことに、心臓が硬く冷たくなっていく気がした。
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