第21話 帰路にて
係りの人が馬を引き出して来るとすぐに、サイラスはまたがった。リエソンも後に続く。
塔を囲む柵を出ると、道では夕飯の食材を港に買いに来た主婦や、荷車がにぎやかに行きかっている。「またね!」と手を振りあう子供の声が聞こえた。
できるなら詰所まで思いっきり飛ばしたいが、人通りが多くてそれはできない。やきもきしながら道を進む。
「でもよかったよ、手がかりをみつけられて」
サイラスがリエソンに話しかけたとき、一頭だての幌馬車が、サイラスのすぐ隣を通り過ぎようとした。そのとき、キラリと何かが光った気がして、そこに視線が引きつけられる。
幌の真ん中が縦長に切り裂かれ、その隙間の奥で何かが輝いている。目を凝らすと、男が床に片膝をついた姿勢で弓を構えていた。薄暗い馬車の中で、その矢じりが夕暮れの日を反射している。
「うわ!」
剣を抜いて矢を払う余裕は無い。
サイラスをとっさにカバンを盾にする。矢は布性のカバンに刺さって突き抜け、腕をかすめた。
とっさの行動にバランスを崩し、サイラスは馬からすべり落ちる。
体を打ちつけ、肺から息が漏れる。ぐるりと空と石畳が何度か入れ替わった。石と土埃(ぼこり)の臭いがする。
「サイラスさん!」
リエソンの声が聞こえた。
通行人達が悲鳴を上げる。
うつ伏したまま、サイラスは顔をあげた。
もう馬車は後ろ姿しか見えない。
袖が濡れていく感覚で、傷口から流れ始めたのが分かった。その感触に、今さらながら自分が本気で命を狙われていたこと知って背筋が寒くなった。
騎手をなくしたサイラスの馬が、大きくいななきながら跳ねまわっていた。軍馬として訓練されていなければもっとパニックを起こしていたかもしれない。
「おお、あぶねえ!」
野次馬が慌てて馬から距離を取る。
サイラスはようやく立ち上がることができた。道を転がったせいでちょっと目がまわって足元がおぼつかない。
「くっそ~!」
サイラスは思わず毒づいた。
どうやら、敵もこっちの動きを見ていたらしい。サイラスたちが女教皇(ハイプリエスティス)の塔に入ったのを知ったのだろう。自分達の情報を得たと察したのだ。おそらく、サイラスを殺し、それを奪い取ろうとしたのに違いない。
リエソンが馬首を馬車にむけた。
馬車は速度を緩めない。追手をけん制するためだろう、真後ろから流星のように道に矢が降り注ぐ。
「きゃあ!」
「なんだ?」
「逃げろ!」
騒ぎを聞きつけ集まってきた人々が、また弓矢で追い払われる形になった。
女性が夕食のパンカゴを落とし、農作業着の男が悲鳴をあげる。
「だめだ、リエソン! ほっといて!」
サイラスは叫んだ。
追いたいのはやまやまだが、流れ矢で通行人に犠牲者が出かねない。
「くっ」
リエソンは手綱を引いて馬車の追跡を諦めた。代わりに「道の隅に逃げろ!」と手振りで人々を矢の届かない場所へと誘導する。
「何やってるんだい!」
ふいに上の方から声が降ってきた。
太った女性が、前方の建物の窓から身を乗り出し、通りを見降ろしている。その両手には、どこかのみやげ物らしい狐のブロンズ像が掲げられていた。
吊りあがった女性が、ちょうど自分の真下を通ろうとする馬車をにらみつけた。
「ちょ、ま……」
おばさんが次に何をしようとしているか予想がついて、サイラスは顔を青くした。
「誰彼かまわず矢を撃つなんて! この悪人が!」
おばさんは叩きつけるように思いっきりブロンズ像を投げ下ろした。
「ちょおおおお!」
サイラスは思わずつっこみ混じりの悲鳴を上げる。
あんなもの、万一通行人の頭に当たったら間違いなく死んでしまう。いや、通行人じゃなく犯人に当たっても大変だ!
ブロンズ像はおとなしく重力に従い、夕日を浴びて鈍く輝きながら、馬車の幌に墜落した。
「くそ!」
中から大きな毒づきが聞こえてくるところをみると、馬車の中にいる男には直撃をしなかったようだ。
(犯人とはいえ、死ななくてよかった)
サイラスはちょっとほっとした。
サイラスが手綱をつかんで馬をなだめた頃には、馬車は見えなくなるほど遠ざかっていた。
砂のついた服をはらい、気持ちを切り替え建て直すために大きく息を吐く。
道には慌てて逃げた誰かが落とした靴が片方転がっていた。どこかで子供の泣き声がする。茫然と馬車が去った場所を見る者、連れが無事か確認するもの、建物から道に出てくるもの。
現場はひどく混乱していた。すぐに追って行ける状態ではないし、追ったとしてもまた矢を射かけられたら今度こそ死人が出るかも知れない。
「あーもう! これ以上追っかけるのは無理だ!」
地団太(じだんだ)を踏んだサイラスのそばにリエソンが寄ってくる。
「サイラスさん、その傷!」
そういえば、さっき矢で腕に傷を受けた。
制服の肘の下あたりに、切れ目がある。
袖をめくると、矢じりがかすめた傷があり、結構な血が流れていた。
「いてて!」
今まで非常事態で興奮していたからか、そんなに気にならなかったが、改めて傷口を見ると腕にしびれるような痛みがあった。
「いったん、事務所に戻りましょう」
「そうだね。どっちみち塔で調べたことを報告しないといけないし」
(ううう……なんだか散々だ)
サイラスはうながされるまま馬にまたがった。
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