第20話 女教皇(ハイプリエスティス)の塔

ハイプリエスティスの塔は、街の中心から少し離れ、港に近い所にある。

サイラスは一階組のリエソンとともにトコトコと馬を歩かせていた。

ちょうど午後のけだるい時間帯で、港から荷物を運ぶ人足の足取りも鈍い。荷馬車や幌馬車が、蹄(ひづめ)の音を響かせている。石畳に座り込んだおばさんが、野良犬に昼食の残りらしい何かの骨をあげていた。

殺されたジェロイの亡骸が頭から離れない。ほとんど知り合いともいえない、顔を合わせただけの相手でも、死んだとなるといい気はしない。

それにフレアリングから運ばれて来たという謎の荷物。いったい、予告状を出してきた奴は、何をたくらんでいるのだろう? そんなことがずっと心に引っかかっている。

でも、のんびりとした家々の間を進んでいるうちに、少し元気になった。

そうだ。あれこれ悩んでいても仕方ない。できることをやっていこう。結局、それしかないんだから。

塔をぐるりと囲む柵が見えてきた。「女教皇の名前を冠する以上、柵も上品でなくては」というように、深緑色のツタの飾りがあるデザインで、優美な印象だ。門を挟むように二人、男装した女性が槍を持って立っていた。

塔内部に保管された資料は、一般人には公開されていない。サイラスがストレングス部隊のメダリオンを見せると、二人は頭を下げて門を開けた。

塔の横にある控えの小屋から、灰色の修道服を思わせるハイプリエスティスの制服を着た女性が現れ、馬を預かってくれた。

白い石で造られた円筒形の塔表面は、ツタと花、開いた本にペン、名前は知らないけれどよくしおりにされる葉、など本にかかわりのあるモチーフが彫り込まれている。

短い道をたどり、戸を開ける。

中はひんやりして薄暗い。資料を日差しから守るため、窓が最小限にしか作られていないからだ。古い羊皮紙やニカワ、布の匂いが体を包む。

少し奥にぼんやりと丸くオレンジ色の明かりが灯っているのが見えた。

目が慣れるのを待って歩きだすと、灰色の猫が一匹、鳴きながらサイラスに近づいてきた。

「やあローズ、お仕事ごくろうさま」

ローズはこれでも列記(れっき)としたハイプリエスティスの一員だ。資料をかじるネズミを退治するという、重要な任務に就いている。

「にゃ~」

「ラタリアさんはいる?」

「にゃ~」

「すごい、本当に会話してるみたいだ」

感心したようなリエソンに、サイラスは少し笑った。

「本当に言葉がわかるのかも知れないよ」

「まさか!」

「知らない? 猫がハイプリエスティスの塔に長く住んでると、しまってある聖書や魔法書のせいで不思議な力を持つようになるんだって」

「ハハハ、それは迷信ですよ」

そんなことを話しながら、二人は明かりのもとにたどりついた。

カウンターの上にランプが置かれ、柔らかな光を投げかけている。その傍(かたわ)らに、ハイプリエスティスの制服を着た女性が頬杖をついていた。ふわふわと波打つ枯葉色の髪を肘のところまでたらした、丸顔の女性だ。

光に反射した空気中のほこりが、キラキラと周りできらめき、彼女を飾っているようだった。

「あら、ひさしぶりねサイラス。それからリエソンさん」

「ひさしぶり! ラタリアさん」

サイラスに続いてリエソンも「お久しぶりです」とあいさつした。

「ちょっと調べたいことがあるんだ。これなんだけど……」

預かっていた予告状をラタリアにみせる。

「ケブダーさんっていう金持ちの所の玄関先に置かれていたんですけど……」

「ずいぶん変わったタイトルね。双頭の竜に『小鳥』?」

 ラタリアはおもしろそうにほほ笑んだ。

「そうなんだよ。だから、これをどんな人たちが使っている紋章なのか知りたいんだ」

彼女は書類や本の補修や整理を行っている。なのでどこにどんな本があるか、だいたい頭の中に入っているそうだ。

だからこの膨大な資料がある塔の中で、欲しい情報を最短で見つけ出すには、彼女に聞くのが一番てっとりばやい。

「ケラス・オルニスの紋章に似ているけれど、少し違うわね」

ラタリアは、まつ毛の長いまぶたをぱちぱちする。

「紋章について書かれた本は、二階の八五の棚にあるわ。そこにいけば何かみつかるでしょう」

「八五だね」

サイラスはぼんやりと返事をした。

ラタリアの口調はいつもけだるげで、サイラスはいつも聞いているうちに眠くなってしまう。

「それに、ケブダーについても調べておいた方がいいかも知れないわね。話を聞くと、あなたの隊長はケラス・オルニスに似た紋章から強盗がおきると予想しているみたいだけど、ケブダーに恨みを持った人間が、個人的な報復をするつもりで予告状を書いた可能性もあるでしょう」

「ああ、うん」

「紋章だけでなくて、教会の名簿の写しや税金の徴収記録も調べてみたら? 急に儲(もう)けが増減していたり、引っ越していたりしたらわかるから。そう言った類(たぐい)の書類も二階にあるはずよ」

そう言うとラタリアはカウンターの下からランプを二つ取り出した。カウンターのランプから火を移し始める。

上階は灯りがなく、調べ物をするにはこのカウンターからランプを借りなければならない。

「前々から気になっていたんですが」

今まで黙っていたリエソンが言った。

「壁に燭台をついているのに、なんでそこに火を灯さないで、わざわざランプを持っていくんですか?」

それは、この塔を訪れた者が必ず感じる疑問だろう。

ラタリアがわずかにうんざりとした様子で答える。

「あのね、こんなに燃えやすいものがあるところで、火を使ったら危ないでしょ? 私はカウンターにいるから、他の階は目が届かないし。それに、そんなシステムになったら、誰が毎日毎日最上階まで上がって、無数にある燭台に火をつけるハメになる思っているの?」

「なるほど。納得です」

「じゃあ、行こうか」

サイラスはランプを受け取ると、カウンターを離れた。リエソンが後に続く。

塔の壁に沿って、螺旋(らせん)状に続く階段が伸びている。二階に行くには、この階段を登るしかない。

足音が意外なほど大きく響く。ちらちらとランプがゆれ、白い石壁に影を踊らせる。

階段の右手側には壁があるが、反対側には手すりすらなく、上がるにつれ遠くなる一階カウンターの光がよく見える。

うっかりすると落ちて死んでしまいそうだ。というか、絶対何人か落ちて死んでる人がいるはずだ、とサイラスは考えていた。

「サイラスさん、もっと速く登ってくれませんか」

 後ろからリエソンに急かされる。

「だって、怖いんだもの……」

ようやく二階にたどり着いた。サイラスの背丈の倍はある本棚が、等間隔に並んでいる。所々、座って資料を読むためのイスが置かれていた。

棚の横、イスの下。ランプの光が届かない場所は闇に沈み、得体の知れない生き物が息をひそめていてもわからないだろう。

「じゃあ、私は紋章の方を探してみます。サイラスさんは、ケブダーさんの身辺調査をお願いします」

「え? 別々に調べるの?」

 思わずリエソンの顔を見つめる。

こういう暗くてお化けが出そうな所は大嫌いだ。二人なら心強いと思っていたのに。

でも、さすがに部下にそんなかっこう悪い事は言えない。

 リエソンは「なんでそんなことを聞くのか」と言った顔をした。

「そっちの方が効率いいでしょう?」

「う、うん。そうだね」

「大丈夫ですよ。もしお化けがでたら、宗教や迷信の棚までいけば除霊の方法くらい載ってますから」

「それ、本探している間にとり殺されると思うの……」

(というか、怖がってるのバレてたな……)

「まあ、何かあったら悲鳴でもあげてください。かけつけますから」

そう言い残して、リエソンは去っていった。ランプが一つ減った分、少し辺りが暗くなる。

サイラスは、背表紙を眺めながらゆっくりと目的の棚にむかった。

各国王家の歴史、民族衣装の画集、政治形態がどうのこうの。

 この辺りではない。

 アスターの町近辺に生息する草花、魚にかんする本。

 ここも違う。

日々の天気やその年の取れ高、過去の港の記録などが詰まった棚が並ぶ中で、サイラスはようやく教会名簿の写しが保管されている場所を見つけ出した。

「ああ、これ地区別に分かれてるんだな。ええっと十七番地区、十七番地区……」

苦労して、該当の巻を見つけ出す。

棚につけられたとフックにランプをひっかけ両手を自由にすると、名簿をめくりだす。

そしてケブダーの名を探し出した。そこには生まれた年と家族、納税額や住所が記載されていた。

「へー、ケブダーさんってウォルトルトの町から引っ越してきたんだ」

そこで、サイラスは「ん?」と声をあげた。

何か、記憶にこつんと当たるものがある。

「ん……いや、確かウォルトルトの町って……」

 タンカに乗せられたとき、ジェロイの肌にはシミがあった。ウォルトルトの町に住む者だけがかかるという風土病の痕。

「確か、ジェロイさんが昔住んでいたことがある町だ」

 予告状を置かれたケブダーも、殺されたジェロイも、ウォルトルトから引っ越していた。これは偶然とは思えない。なにか二点を繋ぐ線となる出来事があるはずだ。

サイラスは、過去にウォルトルトとその近くで起きた事件を調べることにした。

ウォルトルトはサイラス達の管轄外だが、ここなら担当のストレングス部隊が書いた報告書の写しもあるはずだ。

薄い木の板を表紙に綴(と)じられているファイルは書類を追加できるように背表紙がなく、代わりにタイトルが書かれた木札が綴じヒモにくくられていた。

ウォルトルトの事件簿は、古い順に並べられていた。とりあえず最新の記録を手に取ってみる。

こういった報告書は、形式が決まっている。事件の概要、現場の見取り図、それから関係者のプロフィール。続いて捜査内容と、それで分かった犯行の全容。その他調査した者が気になったことなど自由に書き込む欄もある。

その全てを一枚一枚ていねいに読み込んでいたらいくらあっても時間が足りない。概要に目を走らせていく。

「サイラスさん」

「ひ、ひえ!」

知らないうちに集中していたらしく、近づいてくる足音にも気付けないままリエソンに話しかけられたサイラスは、もう少しで心臓が止まりそうになった。

「すみません、脅かしてしまいましたか。双頭の竜の紋章……そんな旗印を持つ盗賊団や海賊、犯罪者集団はいませんし、王侯貴族にもないですね」

「あ、ああ、そう、ありがと」

「新しくできたばっかりの犯罪者集団ってことでしょうね。アシェル隊長の言ったことが正解かもしれません。『新しく結成された強盗団が、本家をリスペクトして似たシンボルマークを使うことにしたのかも』って」

「リスペクトか~子供だったら貧しい人にお金を配る盗賊にあこがれるって分かるけど……」

 そもそも、人に配る金を手に入れるのに人を殺す、という時点でどうなのか。

サイラスは、ケブダーとジェロイにウォルトルトの町という共通点があったことをリエソンに伝えた。

「でも、ちょうどいいところに戻ってきてくれたよ。これから、ウォルトルトの町で、何か事件があったのか一緒に調べて欲しいんだ。『小鳥』とか『双頭の竜』とか、ケブダーさんにかかわるようなこと」

「じゃあ、サイラスさんは現在から遡(さかのぼ)ってファイルを見ていってください。僕は過去の方から。当然、ケブダーが生きていた間の事件でしょうから……とりあえずは大体五十年前ぐらいの事件からを調べればいいかも知れませんね」

「は~い」

 まるで主従が逆転したみたいだけれど、サイラスはそもそも細かい計画を立てるのが得意ではないし、リエソンもそれを知っている。苦手な物を代わりにやってくれるのだから、サイラスに特に不満はない。

二人は、書類をめくってそれらしいものを探していく。

どれぐらい時間が経ったのか、「あ」とリエソンが声をあげた。

「あった? どれどれ?」

サイラスが小走りに駆けよる。

リエソンが見ているのは、ある事件の現場の見取り図。

それはどこか大きな屋敷で起きた殺人事件のようだった。

倒れたテーブルとイス、死体を表す人型(ひとがた)、開け放たれたチェスト。そういった物がシンプルな線で描かれている。

この見取り図を描いた人は凝った性格だったのか、壁に掛けられた絵まで記録していた。翼を広げる鳥のシルエット。

「「小鳥だ!」」

 二人の声がキレイに重なった。

 サイラスは思わず書類に顔を近づける。

 気を利かせたリエソンが、ファイルを渡してくれた。


『ヨモギ月二十五日 ケレト家に、ヴァスと男(氏名不明)が忍び込んだ。

賊は、物音に気付いて起きてきた主(あるじ)ケレトを殺害。その悲鳴を聞きつけ起きてきた妻チャススも殺される。

チャススを殺したのち、賊二人は仲間割れをしたものとみられる。

付近を巡回していたストレングス部隊が異変に気づき駆け付けたとき、賊の一人であるヴァスは虫の息だった。残る男は金目の物を持って逃走。

隊員はヴァスに仲間の名前を聞くが、ヴァスはそれをいう前に死亡。


追記

ヴァスの一人娘のシュディアは、他に身よりがないため教会が運営する孤児院に預けられる予定。

ちなみに、壁にかけられていた印象的な絵画から、巷(ちまた)では小鳥事件と呼ばれているらしい。』


「小鳥事件!」

叫ぶと同時に、サイラスは資料とランプを持って走りだす。

頭の中でさっき読んだ一文を繰り返す。

『ヴァスの一人娘のシュディアは、他に身よりがないため教会が運営する孤児院に預けられる予定』

 そして、アシェルが詰所で言った言葉。

『へえ、ひょっとしたらそのレリーザって孤児院で育ったのかも知れないな』

たぶん、いや、きっとレリーザはシュディアだ。犯人の一人娘。

「こんな暗いのに! 走ったら危ないですよ、サイラスさん」

後ろからのリエソンの声にかまわず、階段を駆け下りる。

カウンターにつくと、頬杖をついていたラタリアが少し驚いたように顔を持ち上げた。

「あわててどうしたの? その様子じゃ必要なものが見つかったのかしら」

「うん、手がかりが見つかったんだ。早く隊長に知らせないと!」

もどかしく貸し出しの記録に記入すると、ランプをカウンターに返してサイラスは出口に向かって走りだした。

そのとき、足元に何か白っぽい物が飛んできた。それを踏まないように片足を上げたせいで、サイラスはよろめいた。

「うわ!」

灰色の猫が、サイラスのすねにまとわりついてくる。

「危な! もう少しで踏んじゃうところだった。だめだよローズ、気をつけなきゃ」

サイラスの説教にもめげず、ローズはサイラスにすり寄っている。

「にゃ~」

「なんだ~? ローズはサイラスさんがお気に入りなのか?」

声のトーンを少し高くしてリエソンがローズの首元をなでる。

 ローズは「ふみゅう」と小さく鳴いた。

「ごめん、急いでるから、またあとでね」

サイラスは、足に絡みつくローズを両手で引き離す。

するとまた、ローズは、前足でサイラスの足にしがみついた。まるで抱きつこうとしていえるように。

「なんだか、ずいぶん甘えてきますね」

 リエソンが言った。

「だから、ダメだって」

 サイラスはまたローズを引き離す。

「にゃ~」

 ローズはもうじゃれついたりはしなかったが、ぐるぐると落ち着かなく床を回っている。

「じゃあね!」

手を振って出て行くサイラス達を見送りながら、ラタリアはつぶやいた。

「珍しいわね、ローズがこんなことをするのって。なんか、必死で引き止めているような……」

ローズはぺたりと床に座ると外へと続く閉じた扉をじっと見つめていた。

ラタリアも、同じ方向に目を向ける。

(何が悪い予兆じゃなければいいけど)

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