◇9-3:掻き立てられた欲

 焚火に使えそうな小枝を拾い上げながら、光が集まる地点に向かって歩いていく。

 こんなに時間がかかっていても誰かがリディアを追ってくる様子が見受けられないので、心底ほっとした。前回の失態があるため信用されていないのではと思っていたが杞憂に終わったようだ。

 麻袋にはもう十分な量の小枝が詰め込まれていて、情けないことに腕がぷるぷると震える。

 少しくらい休憩してもいいだろうか。

 足元に麻袋を置いて近くの木にもたれかかる。


 動くことを止めて瞼を閉じると、心地良い自然の音を全身で感じることができて好きだ。

 さわさわと微かな風とともに揺れる葉が擦れる音。

 チチチッと頭上から聞こえる鳥の囀り。

 湿り気を帯びた草木の匂い。

 そのどれもが心地良く広がり、リディアの疲れを癒してくれる。

(このまま寝てしまいそう……)

 疲れをとるために閉じた瞼が、今では開くことを拒んでいる。

 いけない、駄目だと思うほど比例して大きくなる眠気は段々と抗う気力を削いでいく。

 二人以上での行動を常に求められるリディアの周りに今は誰もいない、という状況が眠気を更に助長しているに違いない。

 こくこくと頭を揺さぶらる。

 微睡みに浸りそう、あと一歩というところで耳の奥に透き通るさざめきが届いた。

 他の音でかき消されるほどか細いのに、何故か耳に届く不思議な音色。

 それが何かを知りたくて、あくびを噛み殺して耳に神経を集中させる。


(これって……、もしかして水音?)


 確証はない。

 けれど水音かもしれないと思い始めると、そうとしか聞こえなくなる。 


(今すぐ確かめたい、けど、まずは誰かを呼んでからだわ)

 早まる好奇心を抑えて、向かっていた目的地へとローブの模様が舞うように大きく裾をはためかせた。


◇◇◇


 ぱちぱちと瞬きを繰り返して、凄まじい速さでリディアの前まで現れた人物を見遣る。

 暑い気温の中でいつも一人だけ涼し気にしていたその人が微かに汗ばんでいて。呼吸音さえも聞き逃さない、といった様子で神経を研ぎ澄ませている。つられてリディアも呼吸を止める。何気なしに視線を下げると、セシルの右手が剣の柄を握りしめていた。

 全身から殺気を迸らせていたセシルは、右へ左へ、上へ下へと視線を動かして、次いでリディアの全身を入念に確認して、切迫した状況ではないと判断したらしい。


「で、どうした」

「えぇと、心配をかけてごめんなさい?」

「それで? 重くて持てないとか、そんなことか」

「それもあるけど、そうではなくて! 水音が聞こえるの。気にならない?」


 リディアの足元には腕が疲れて地面に置いた、枝を詰め込んだ麻袋がある。

 流石の観察眼だと感心しかけたけれど、雑用を任せる為に呼びつけたわけではない。手振りと合わせて否定をして、水音のする方角を指差す。


「水音? ……なにも聞こえないが」

「微かにだけど、耳を澄ましたらちゃんと聞こえるのよ。少しだけ近くを回ってみない? もしあったら、明日は水沿いを歩きましょうよ」

 実は朝から代わり映えのしない鬱蒼とした景色ばかりで、ほんの少しだけ飽き飽きしていたのだ。

「一人で突っ走らなかったことは誉めておくが、もう霧が深い。明日の朝にしないか」

 一応はお伺いの形式をとっているが、その瞳は頷けと言っている。

 セシルの言うことは正しいとわかっている。

 祈祷師の護衛という立場として、小隊を率いる隊長として、敢えて危険の高い選択をすべきではないということも。

「そう、よね……」


 ――でも、今、行かなきゃいけない気がする。


 頷きつつも、そんな焦燥がリディアを駆け巡る。

 自分自身なぜそう思うのかが不思議だ。

 明日になったところで大差ないとわかっているからこそ、感覚的に思ったことを言い出せない。


「それは今でないといけないことか」

「そう、なのよね」


 歯切れの悪いリディアと同じく、肯定とも否定ともとれる返事にセシルも頭を悩ませていた。

(クソッ、殿下からの余計な一言がこうも動きづらくなるとは)

 貴族の娘というだけでも厄介なのに、リディアにはセシルにとっていくつもの厄介ごとが付属されている。

 クロズリー伯爵という後ろ盾があること、レナードが護衛として付き従っていた過去があること、そして一番問題なのはエリアスが目を付けていることだ。

 ルイスを引き連れて直々に「隊長になれ」と命じられた日、エリアスはあえてその場にいる全員に聞こえるように言い放った。


 ――私が言わなくてもわかっているだろうけれど、彼女の意志を何よりも尊重してね?


 それは王族としての命令だという意思表示であって、祝賀会で早々と行動したセシルに対する牽制でもある。

 素直に従う、あるいは無知な祈祷師だったらどんなに良かっただろう。

 けれど、流石はクロズリー伯爵の娘だ。

 知識欲も好奇心も強いし、好戦的な内面も度々顔を出す。


 鼻から肺が一杯になるまで息を吸う。

 いつになったらくるんだと足踏みをし始めたところで、ようやく後方から走ってくる足音が聞こえた。


「副団長、リディアさん! ご無事ですか」

「遅い。印はつけてきたか」

「はい!」


「少しだけこの辺りを見て回るから、印をつけながらついてきてくれ」


「……? はい」

「いいの?」

 フレッドの返事とリディアの戸惑いが重なる。

「少しだけだ。いくぞ」

「ええ! ありがとう」

 リディアの肩を掴んで反転させ、指を差していた方角へと歩き出す。


 面倒な役割を引き受けてしまったものだと何度思っただろう。

 他の祈祷師とは根本が違うリディアに苛立ちが積もる時もある。


 しかし、心のどこかで期待してしまうのも確かだった。


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