◇9-2:道に紛う
「――ということで、私も不思議だなと思っていたのよ」
木々の間隔が離れている開けた場所を見つけた後、最低限の荷物を広げて腰を落ち着かせる。
祈祷師のローブは皺にもならず汚れも着かないように特殊加工が施されているようだが、そのまま草むらの上に座るのは気が引けて、一回り大きなハンカチを敷いた。
そうして、周囲を警戒しながら使用人に作ってもらった具沢山のサンドイッチを頬張る魔導騎士達に向けて訴えたのだ。
本心から疑問は感じていた。嘘偽りないと断言出来る。
どこからどう見ても言い訳にしか聞こえないことにリディア自身も気づいていたが、その他に言いようがない。
思いの丈を話しきると、一人だけ食べ遅れないように手元のサンドイッチを頬張る。
細切りにした甘い人参のマリネとマスタードの効いたチキンが合わさってとても美味しい。
「これは他にも試す必要がありますね」
「そうだな。帰りがけに何か採っていくか」
「内密にすべきでしょうか」
「ああ。老人にはこれまで以上の事は言わないように」
またお小言があると身構えていたが、どうやら意識は全く別の方へ向いているようだった。
ホッと胸を撫で下ろしながら、いつも活発なリオが遠巻きに話を聞いている姿が不思議でそっと様子を伺うとばっちり目が合う。
目を逸らす必要も無いが声をかけていいのか戸惑っていると、へらりと苦笑いを向けられる。同じようにへらりと笑い返して、隣に来ないかと手招きをした。
「リオは好奇心旺盛なのかと思っていたのだけど、あまり興味なさそうだったから少し意外だわ」
「ああ~、やっぱりそう見えますよね」
頬をポリポリと人差し指で搔きながら空を仰いだリオは苦笑いの中にも翳りがある。同じことを以前にも言われたことがあるのかもしれない。
「実は何に驚けばいいのかがわからなくて。俺の出身って王都から大分離れたところなんですよ。それに平民の中でも貧しい方だったんで学ぶ機会も行動範囲も限られてて」
リオの言葉が途切れる。
今まで共に過ごす時間は多々あっても、たわいもない話ばかりで個人的なことは聞いたことがない。
リオが言っていいものかと口ごもりながらも、リディアにだけ聞こえる声量で呟いた。
「宵の森も魔獣も、祈祷師様も。全てが異国の物語のようで、俺の故郷ではそのくらい他人事だったんです」
申し訳なさそうに言われたその台詞に目を瞬かせた。
リディアには常に宵の森が身近にあった。
領地で過ごしていた間も、王都に訪れた時も宵の森との境界である断崖は常に風景の一部だった。
だから、この国に住む人は須らく宵の森に畏敬の念を抱いているものだと思い込んでいたのだ。
気を悪くしてしまったらすみませんと頭を下げるリオに首を振る。
相槌を打てなかったのはそういう意味じゃなくて。
「それは良いことではないかしら? 魔獣への恐怖をもたない生活ができるというのは、私たちが望んでいることだもの」
言い換えれば魔獣の脅威を微塵も感じていないということだ。リオが持つ、危険と隣り合わせで任務に就いている魔導騎士や祈祷師に対する負い目なんて無い方がいい。
「そうでしょうか」
「ええ。少なくとも私はそう思うわ」
一つ気になるとすれば、祈祷師の存在自体も希薄になっている点だ。
しかし、それをわざわざリオに尋ねるものでもない。
「私もね、大事だとは知らなくて、今回言い忘れてたの」
ふふっと小声で自嘲すると、「リディアさんでもそうなんですね」とリオも驚きながら笑ってくれる。
相手がリオだからだろう。上を目指していく新入り同士だからこうして笑い合えて、心が幾ばくか軽くなるのを感じた。
「今日は奥まで進もうと思うが、二人とも問題ないか」
リオと話している間に三人の会話は二転三転としていたようだ。これまで魔獣に一切遭遇しなかったことや体力的にも余力があることから判断したらしい。
了承の意を伝えると、広げていた荷物を一纏めにしてラバの背に括り付けた。
リオの優しく撫でる手つきが余程気持ちいいのかラバは目を細めて擦り寄っている。
リディア同様に警備塔に来たのは初めてだと聞いていたが、滞在している間、リオが頻繁に厩舎を出入りしている姿を見かけていた。随分と懐かれているようで羨ましい。
「リディアさんも撫でてみませんか。こいつは大人しいんですよ」
有難いお誘いにいそいそと近寄るが、いざ触れるようとすると緊張が勝る。
ラバは建国神話の挿絵や聖堂の壁画で必ず描かれるほど神聖視されている動物で、聖霊や祈祷師の次に稀有な存在とされている。
クロズリー伯爵家の何棟も連なる厩舎でさえ一匹もいないのだ。
それほど稀少なラバが警備塔の厩舎では半数を占めていることを知った時には大層驚いた。
なんでも、馬とロバの優れた点を兼ね備えたラバは宵の森内の荷運び役として必要な条件を全て満たしており、古くから重宝されてきたらしい。
確かに朝から長いこと歩いてきたが、ラバが怯えて指示に従わないことも、悪路で足止めをくらうこともなかった。
こういった面からも聖霊や祈祷師と密接に繋がっていたのだなとしみじみと思いながら、リディアもリオに倣ってグレーの毛並みをそっと撫でた。
◇◇◇
「霧が大分濃くなってきましたね」
昼休憩後はフレッドに替わってウォルトが先陣を切っていた。
ウォルトは探索にかなり慣れているようで、慎重になって霧の奥を進む時とぱっぱと歩く時との緩急がある。
長いこと歩いてきたため森の奥深くまで入り込んでいると思うが、未だに何か特別な地に着くわけでも魔石を見つけるわけでもなければ、魔獣にも遭遇していない。
こんなにもなにもないと、同じところをぐるぐる回っているだけのような不安に駆られる。
「そろそろテントが張れそうな場所を探すか」
セシルの判断にウォルトが頷く。
後方にいる二人にも伝えようと体を反転させたセシルにつられてリディアも振り返ると、たった数メートルしか離れていないはずの二人の姿が霧に紛れて捉えられなかった。
話し声は微かに聞こえるし幹に付けている印とローブのラインが霧でぼやけながらも光っているから、はぐれずについてきていることはわかるのだが、それでも距離があるように感じる。
ウォルトが周囲や足元の痕跡を念入りに確認してから方角を決めて歩きだそうとしたとき、遠くからリオの叫びが響いた。
「副団長、すみませーん! ラバが全く動かなくなってしまいましたー!!」
「はぁ……」
どこからともなく落胆が零れた。
ラバが動かなくなってしまえば、そこを拠点とするしかなくなる。
非常に優れた才をもつラバであるが、ここで宵の森における唯一の欠点が存分に発揮されてしまったようだった。
◇◇◇
「周囲には魔獣のいた痕跡はありませんでしたから、テントを張っても大丈夫でしょう」
セシルとともに後方まで引き返して歩き続けた足を休めていると、ウォルトが周辺をぐるりと確認してから戻ってきた。
木々の間隔が狭く、テントを張るにはもう少し余裕がほしいところだったが許容範囲のようだ。
今度はラバに括り付けていた荷物を全て降ろすと、幹の太い木を支柱として簡易的なテントを張っていく。
私は何をしようかと思ったが、実は少し前から我慢していたことがある。
今は四人ともテントを張るために共同作業をしている。
だから、今が絶好のチャンスだ。
広げた荷物の中から大きめの麻袋を手に持って立ち上がる。
「私は薪に仕えそうな枝を拾ってくるわね」
「それなら僕も一緒に……」
「大丈夫よ! ここの近くでしか探さないし、何かあったら必ず大声で呼ぶから」
言葉を遮った説得が功を為して、リディアは単独行動が認められた。
了承か納得か判別できない「ああ」という言葉を了承だと思うことにして、すぐ戻ると伝えるなり足早に歩きだす。
近くにしか行かないと言ったがそれは嘘である。
なるべく遠くへ、霧に紛れてローブの模様でしか居場所がわからない位置まで行きたかった。
歴代の祈祷師はどのようにしていたのだろうか。常々疑問に思う。
宵の森を歩いている間は極力水分をとらないようにした。けれど、それで野営を乗り切ることは不可能だ。
(次に森に来る時までに何としてでもカロリナさんに聞いておかなきゃ)
囮としてローブを丁度いい高さの枝に引っ掛けて、そこから更に数歩だけ、あと数歩だけと離れる。
そうして何度も来た道を振り返っては、ハラハラしながらしゃがみ込んだ。
今は魔獣よりも魔導騎士達のほうが恐ろしい。
貴族令嬢として過ごしてきたリディアだ。
まさか自分が茂みに紛れて用を足す日が来るとは思ってもみなかったのである。
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