◇9-1:迷いの森


 体の痛みが治まるなり、かなり遠回しな表現でお伺いを立てていたリディアは、ようやく二度目の宵の森の巡回に赴くこととなった。

 書斎でセシルと遠方巡回ルートを練った日から五日後のことである。


 快調したとは言えても、そろそろ宵の森に行かないかとはとてもリディアの口から言えなかった。

 そんな思いを鎮めようと警備塔内を動き回って元々ここで任務に就いていた魔導騎士とも親睦を深めたり、村人の中で体調が優れない者がいないか様子を見に行ったり、塀内の草原を馬で駆けたりと活発に動き回っていたリディアの遠回しな意思表示は当然護衛をしている魔導騎士の面々には察してもらえて、王宮に帰還する前にもう一度という運びとなった。


 朝食を食べた後、使用人から昼食と保存の効く携行食糧を受け取る。

 今回は森の奥まで足を踏み入れる可能性があるため、野宿の準備もしていた。前回のこともありセシルはギリギリまで渋っていたが、状況に応じて早々に切り上げるか奥まで踏み入れるかを決めることにしたらしい。


 宵の森に入る前には魔導騎士の無事を祈ることがしきたりだ。

 一人一人、手を握って怪我無く帰ってこられることを祈る。

 前回よりも倍の時間をかけたため、困惑した様子が繋いだ手から伝わってきたが構わなかった。魔紋が発動さえすれば祈りに時間は関係ないのだが、要は気持ちの問題だ。

 前回はなぜか断られたセシルの手も無理やり掴んで祈ったので、聖霊が見守ってくれることだろう。


 崖上へと続く石段を見上げながら掌を握りしめる。

(そういえば、誰かが私を抱えながらこの石段を降りたのよね) 

 柵は勿論ないし、足場は平坦じゃない。

 もしかしたら陽も暮れていたのではないだろうか。

 そんな中で意識のない人間を担ぎながら降りるのは一苦労だったに違いない。

 次こそは全員が無事で帰ってこれるようにと両頬をペチッと叩いて気合を入れ直した。


◇◇◇


「どこかでルートが外れてしまいましたね」

 今回も先陣を切っているのはフレッドだ。

 とりあえずは前回魔獣に遭遇した場所まで行ってみようということでひたすら歩いていたのだが、どれだけ歩いても一向に着く気配がない。木につけていた目印もほとんどが落ちてしまっている。所々に薄っすらと残っている跡を頼りに進んでいたのだが、それらしい跡も見当たらなくなってしまった。

「今回も辿り着けなかったか」

「いつもそうなの?」

 セシルの放った一言が気になって尋ねる。

「不思議なことにな。印がはっきり残っていても、地形が変ってるとしか思えない程にその先が毎回違うんだ」

「そんなことがあるの!?」

 驚きで目を見開く。

 地形が変わるだなんて、そんなことが起こりえるのだろうか。


 けれど、よくよく考えてみたら、ここは宵の森だ。


 魔獣が棲む森であり、精霊が身を潜めた森であり、聖霊王が眠っていた地だ。

 この森の中で魔獣と精霊と聖霊がどのようなバランスで成り立っているのかも、そもそもなぜこの地なのかも何一つ解明できていない。植物だって動物だって、宵の森に一歩踏み入れば生態系が全然違う。

 リディアらが思う常識はこの地での常識ではないのだ。


(有り得ないと思っても、ここではそういうものなんだって理解するしかないのね)

 未知の世界だ。冒険小説の中に入り込んだようでドキドキと足取りが弾む。

「楽しそうだな」

「そういう貴方もね?」

 セシルの目元は笑っている。それに気づいたリディアは心の奥底から微笑み返した。


 宵の森は聖霊王が眠っていた神聖な地なのだ。

 それなのに、魔獣が棲みついているだけで近づくことさえ恐ろしくもおぞましいと疎まれている宵の森に、一体何を期待しているのか。

 そんな人間が他にもいたということがリディアには自分を否定されていない気がして嬉しかった。


「私は全く楽しめないですけどね。印の先が違うってことは森から出られない可能性もあるってことですよ。この印も気休めでしかない」

 そう言うのは印を付けながら後ろを歩くウォルトだ。心底理解できないという表情で、辛辣な言葉を放つウォルトの思想は、多くの人々が思う共通認識だろう。

「帰ろうとして出られないこともあるの?」

「聞いたことはないが、そうなる可能性は否定できない」

「どちらかというと森から追い払われている感じですよね。奥深くまで入れば入るほど魔獣との遭遇率も段違いですし」


「……私たちは嫌われているのかしら」

 誰に、と聞かれたら魔獣と精霊、あるいはこの宵の森自体にだろう。


 祈りの力と魔術は根本が異なる。

 魔石で威力を増幅させるという点は変わらないが、祈祷師の祈りは聖霊の加護によって授かる力であることに対して、魔導騎士の魔術は精霊を使役して得る力なのだ。

 しかし、魔紋と言の葉、そして魔石さえ揃えば、誰でも魔術を扱えるという訳ではない。適性のある者しか発動はしないし、威力も天と地ほどの差がある。だから、使役するとは言っても、そこには少なからず精霊からの好意があると言われている。

 けれど、王族の瞳に映る聖霊とは違って、誰も精霊の存在を認知することはできない。人間から逃げるためにこの森に隠れたのに、ずかずかと踏み入る人間を拒んでいる可能性だってある。


「僕たちはともかく、リディアさんが嫌われているなんてことはまず有り得ません」

 フレッドが振り返ることもなく断言する。迷いのないその発言に思いっきり首を傾げていると、フレッドは先を続けた。

「この前、蔦を手折って苗木にしましたが……実は三つあったんです。リディアさんが気を失っている間に、村の中で植物に詳しいご老人に頼んで苗木にしてもらいました」

「そうだったの」

 突然切り替わった話についていけずにきょとんと目を瞬く。

 苗木が三つ作られていたこと自体初めて聞いたし、そのご老人には後でお礼を言いに行かなければならない。

 けれど、なぜ過去形なのだろうか。

 その疑問の答えはすぐに知ることになる。

「その内の一つはご老人に渡しました。無知の者より、知識も経験も豊富な者の元で育てたほうが良いと思ったからです。ですが、二日ともたずに枯れました」

「枯れた?」

 初めて聞く話に思考が追い付かず、オウム返しになってしまう。


(でも、待って。警備塔で育てている苗木は枯れていないどころか、生き生きとしているわ。それに、手折った花も――)

 リディアの部屋にある水を入れた器に浮かべた花々は、今朝もピンと花弁を広げて水面をゆらゆらと漂っていた。

 なぜこんなに長持ちしているのだろうかと不思議だったけれど、綺麗な花が姿を変えずに輝き続ける様を喜ばないわけがない。


(あら? ちょっと待って。私、誰かにこの話をしたかしら) 


 苗木の片方は警備塔の外で育てているため枯れる気配がないことは周知の事実だろう。

 だからフレッドがこの話題に触れたのだ。

 けれど、あの花々が今もその美しさを保っていることを誰かに伝えただろうか。

 ここ数日間の行動と会話を必死に思い出す。

 焦りは禁物だ。

 話すタイミングを見極めなければ自分の首を絞めることになる。


 熟考しながら足並みを揃えて歩を進めていると、いつの間にか視線を感じた。

 それも一つじゃない。

 首筋を一筋の汗が流れる。


「昼食を忘れていたな。言いたいことがあるならいつでも聞くが? 祈祷師様」


 穏やかでいて有無を言わせない響きに、リディアは思わず頭を抱えた。


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