◇8:思わぬ弊害
宵の森から帰還して二週間が経った。
その間、リディアは警備塔の塀を越えることも宵の森へ行くこともできずに、大人しく謹慎していた。
とはいっても、強制的なものではない。
気絶した時に相当派手に倒れたらしく、切り傷はないものの打ち身による痛みが長引いたことが原因である。
魔導騎士達は遠回しに安静にするよう伝えてくるし、リディアも自分の判断ミスが招いた結果であることから彼らの意を汲み、自主的にそうしていた。
祈祷師の『祈りの力』は聖霊に祈りを届けることで怪我の治癒や悪運を退けられると言い伝えられているし、実際に効果が目に見えてわかることも多いのだが、自分自身には使えない。
数少ない祈祷師を呼び寄せる程の緊急事態でもないため、薬を塗って自然に治癒するのを待つしかなかった。体中の痛みを感じるたびに自分の落ち度を認めてどうすることが最善だったかを考え直すことができるため、リディアにはかえって良かったのかもしれない。
塀で囲われた閉鎖的な警備塔でも、過ごす日々はそこそこ充実している。
魔獣に襲われる前に手折った蔦と花は運良く綺麗な状態のままだったため、リディアが気を失っている間に蔦を挿し木にし、蔦とは別に摘み取った花は水に浸けてくれていた。
挿し木は育つかどうかの実験になるため、風通しの良い外の日陰と室内の窓際に一つずつ置いて様子を見ることにしている。毎日水をあげに行っているが今のところ枯れる気配はなく、水分をしっかりと吸い込んで変わらない姿を保っていた。
花は半分をドライフラワーにして、残りはそのまま水に浸して観賞用にした。形も見た目も良いドライフラワーが出来たので、王都に戻ったら職人の手でアクセサリーにしてもらえないかと模索中だ。
そのほかの時間は、大半を書斎で過ごした。
ここの書斎は魔導騎士が教養を高める場としてあるらしい。
王宮の魔導騎士団棟にも実用書で溢れた広い書斎があった。そこと比べると量では負けても質は同等で、最新の本ばかりが取り揃えられている。
本の種類は体術、剣術、魔術に関する本棚が真っ先に目につく場所にあり、魔導騎士が本を持ち出していく姿も度々目にした。
リディアは壁際の本棚に並べられた植物の図鑑を手に取っている。
薬草に特化した本から目を通し、特徴が描かれた図案と宵の森で自生していた植物を比べていた。
(宵の森の植物はどれとも特徴が違う気がするのよね……。貴重な植物かもしれないけれど、枯れてしまうのも問題だし)
ぱらぱらと
椅子に腰かけて開こうとしたところでチリンと小さなベルの音が鳴った。
人が出入りしたことを知らせる合図だ。
扉へと顔を向けると、セシルが紙束と筆記具、そして一通の封書を手にしていた。どうやら書斎で調べ物をするらしい。
開いたばかりの本を閉じてテーブルの隅に置き、立ち上がる。
「コーヒーでいい? 丁度取りに行こうと思っていたところなの」
「悪いな」
「大丈夫よ」
そのまま空いた扉から出て壁に沿った螺旋階段を降りると、水道が繋がっている四階だ。
このフロアは中央に通路があり、通路で隔てた左右の空間に男女で分けたパウダールーム兼バスルームがある。
警備塔に住む女性は祈祷師しかいない。
必然的に今はリディア専用となっていて、通路を挟んだ反対側を何人もの魔導騎士が時間を区切って共有してる現状に申し訳なく思うが、こればかりはどうしようもない。
ここへやってきた当初にセシルから有難くない方法で忠告をされたばかりだ。
幅の広い洗面台の脇に置いてあるアルコールランプに火をつけ、その上に水をなみなみと注いだ小振りのケトルをのせる。お湯が沸くのを待つ間に引き出しの中から二人分のカップとコーヒー粉、そしてフィルターを取り出して、取っ手の付いた深めのトレーに載せていった。
ロビーと繋がっている調理室に行けば使用人が用意してくれるのだが、塔なだけあってどの階も天井が高く、五階の書斎から一階までの昇り降りだけで一苦労なのだ。そのため、一人で使うには広すぎる洗面台の半分は、簡素な調理場のようになっていた。
どれも使い込んでいる跡があり、収納のされ方も無駄がない。歴年の祈祷師と使用人がより便利になるよう模索してくれたおかげで、リディアでも慣れてしまえば不便なく使いこなせた。
調理室で使用人が用意してくれるコーヒーは豆から淹れる本格的なものだが、ここでは便利さを優先してコーヒー粉を置いているので当然味は落ちる。それでも、頻繁に新しいものと入れ替えてくれているので新鮮な香りが漂う。
とはいっても、リディアは手慣れているわけではないので特別旨くも不味くもない、これといって感想の浮かばない普通のコーヒーにしかならない。
侯爵家で生まれ育ち肥えた舌をもつセシルに淹れる出来ではないのだが、どうやらあまり気にしないらしかった。リディアだけであれば紅茶を飲むことが多いが、警備塔に来てからは常に食事を共にするようになり、セシルが紅茶よりもコーヒー派だということに気づいた。
それ以降セシルがいる時はこうしてコーヒーを淹れるようにしている。
別の引出しを開けると、色とりどりの容器が並ぶ。
その中から二つ選び個包装された飴玉とチョコレートを小皿に並べていく。
そうしているうちにお湯が沸騰した。
火を留めてケトルをトレーに載せ、ゆっくりと階段を上って書斎へと戻る。
カウンターにトレーを置いてコーヒーを淹れている間、横目で僅かに見えるセシルの後姿に唖然とした。
(なぜ私が座っていた場所にいるの……?)
いつもなら別々の席に座っているのに。
この書斎は塔の外壁に沿った円形に並ぶ本棚と、間仕切りとしてT字に設置された本棚があり、二つの半個室がつくられている。入口から入ってすぐの現在リディアがいる広々としたスペースには中央に大きなテーブルがあり、少人数であれば打ち合わせが可能だ。
本棚の奥にある半個室の片方を普段リディアが使用しており、本棚を挟んだ反対側をセシルが利用するのがここ最近のパターンだった。
二人掛けの大きめなテーブルなので一人から二人になったところで狭くはないし、セシル以外の魔導騎士が書斎に来た時にはちょっとした雑談を楽しむこともある。
そもそも、一人で読書をしたいのであればリディアは自室に戻ればいいだけの話だ。
だから迷惑でもなんでもないのだが、相手がセシルというだけでその行動に必ず理由があるはずだと深読みをしてしまう。
(お説教の雰囲気ではなかったし、雑談はないわよね)
コーヒーの抽出を待ちながら首を捻る。
普段と今日で違ったことは、と考えてピンときた。
(手紙だわ。あの手紙の封蝋は……だめ、そこまで気にしてなかった)
予測ができればそれに合わせた心構えで臨めたが、なにも憶測が出てこない。
悪い話ではないことは確かだと、淹れたばかりのコーヒーカップを再びトレーに載せてセシルのもとへと急いだ。
◇◇◇
「どうぞ」
セシルが広げる書類と本の邪魔にならない位置にコーヒーカップと菓子を置く。その横の空いているスペースにも自分用のカップを置いて、トレーをテーブル下の収納スペースに片づけた。
セシルの左隣に腰かけながら、テーブルに広げられた書類をチラリと見る。
中央に広げた書類はラティラーク王国の広域地図だった。
赤と緑の線が書き込まれたほかに、青いインクで点々と丸が付けられている。セシルの右手には便箋があり、左手は開いた本をページが捲れないように抑えていた。
わざわざ椅子を移動してまでリディアが座っていた席の隣で広げているということは目を通せということだろうと、一番間近にある開かれた本の内容を覗き込む。
(これは……イグレス領の特色?)
イグレス領は子爵家が治めている、王都から大分離れた領地だ。
広げられている地図へと再度視線を移す。ちょうどイグレス領のある辺りに青い丸が付けられていた。
セシルは淹れたばかりのコーヒーを飲みながら、リディアの様子を観察している。
(自分で考えて当ててみろということね)
目が合っていないことをいいことに半目で睨む。
いつもこうして人を試すような真似をしてくるが、面白がっているようにも見えるし、値踏みされているようで不愉快である。
(けれど、今回の答えは簡単だわ)
地図に記された赤い線と緑の線。
どちらも王都が起点となっており、赤い線は赤い丸を繋げて最後はまた王都に辿り着いている。一方、緑の線は途中の緑の丸までで途切れているが、繋がっていない残りの丸を辿っていくと徐々に王都に近づく。
そして青い丸は点々と不規則についているように見えるが、赤と緑の線とは交わらない位置にしかない。
テーブルの隅に無造作に置かれた封筒。
その封蝋はリディアの席からもよく見えた。
クレマチスの花と剣をモチーフとした印章は魔導騎士団の証だ。
「私たちが次に行く遠方巡回のルートを考えてるのね」
「ご名答。君の意見も聞きたいと思ってね」
届いた魔導騎士団からの手紙は、遠方の巡回に出向いたカロリナの護衛隊長からだったらしい。巡回の進度と近況報告、そして王都に戻るまでの見込みの日数が記されていた。
(一週間後には次の任務か。私、まだここで何もできてないわ)
唐突にリディアの中に焦りが生まれた。
宵の森に行きたいと願った。それは既に叶っているのに、消化不良で燻っている。
望んでいるものはもっと別にあるのだ。こうして足止めを食らうこととなったあの時の未熟な選択が、とてつもなく悔しい。
「半年以上寄ってない領地の中で候補を出したんだが、この中で君が懇意にしていた貴族はいるか」
セシルの問いによって脱線していた思考が呼び戻される。
もう一度地図を眺めて、領地とそこを治めている家名を記憶と照らし合わせた。
「モラレス伯爵夫人とご令嬢とは何度かお茶を共にしたわ。声だけなら気づかれないかもしれないけれど少し心配かしら。ディオル子爵はここ数年父に度々会いに来てて、私も何度か挨拶してる。この辺りの令息やご令嬢とは夜会で会ったら少し話すけれど、社交辞令程度よ。それから……」
地図上の青い印を指で差しながら、誰とどのくらい面識があるのかを伝えていく。
話し終えた時にはリディアが指さした領地には全てバツが付けられていた。いつの間にか、青い印は元々ついていた数の半分ほどにまで減っている。
「まさかとは思ったけれど、全部駄目なの?」
社交界では参加する貴族と挨拶を交わすのは当然のことだし、舞踏会ではダンスも必然的に踊る。
数多くいる参加者の中、シーズンごとに何度も開催される催しの中での、たったの数回。
それだけでバツを付けられてしまうと、貴族として過ごしてきたリディアが巡回できる地はかなり限定されてしまう。
「君が覚えているということは当然向こうも覚えているということだ。君が超人的な記憶力があるのなら話は別だが」
セシルの言い分にムッと口を曲げる。
リディアの記憶力はそこそこだ。
セシルの基準がどの程度かはわからないが、貴族の顔と名前は一度で覚えるようにと父から言われ続けたリディアは、挨拶のたびに必死に頭に叩き込んでいる。
大きな催しではその分会う人も増えるためリディアが出席を控えていたことは決して父には言えない話だが。
けれど、それは容姿と服装、場所と周囲の人々の様子によって相手の名がわかるのであって、その中の一つだけでは、よっぽど記憶に残る出会いでない限り、たった一、二回会っただけの相手を思い出すことは難しい。
そして祈祷師となったリディアは貴族令嬢リディア・クロズリーとはそのどれもが異なる。
身長や体形、髪色だけは変わらないが、どれもありふれた目立たないものだ。
(あとは声質だけど、耳に残る美声でもなければ耳障りな声でもないと思うわ)
女性がしのぎを削って美しく着飾る社交界の中では、クロズリー伯爵家という後ろ盾があっても記憶が薄れて埋没してしまうような存在だろう。
納得がいかない不満が顔に出ていたようで、ふっとセシルが鼻で笑った。
「君、自己評価が低いんじゃないか? 男が二度ダンスに誘うってことは少しは気があるってことだ」
「そうかしら……」
思い返しても相手が顔を赤らめたり、こちらに好意を寄せている素振りは微塵も感じなかった。しかし、リディアには男心がわからないので、セシルからそう言われてしまえばとりあえずは納得するしかない。
「あとは、そうだな。印は関係なく君が遠目から見ただけでわかる、もしくは声を聞けばわかる付き合いの者は誰だ?」
「そのくらい付き合いの長い方は……」
そうして、また広げた地図上に色違いのバツ印が増えていくのを心苦しくも見送るのだった。
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