◇7-3:隠された真実
「ぅ、んん……」
閉じていた瞼がピクリと震えて、蜂蜜色の瞳が姿を現す。
ランタンの仄かな灯りの下で開いていた本を静かに閉じてサイドテーブルへ置いた。
「起きたか」
「ここ、は? ……みんなは?」
「ここは警備塔の君の部屋で、君以外は全員無事だ。今まで何をしていたか覚えているか」
声量を抑えて、静かに問う。
キョロキョロとした瞳の動きから、ぼんやりとした思考が忙しなく回っているのがよくわかる。
「ええと、宵の森へ行ったら魔獣が現れて、それで……? ごめんなさい、もしかして気を失ってしまったのかしら」
「そうだ。君が気を失ったあとすぐに引き返してきた。君の髪と頬に淀みがこびりついていたが、それはどうだ」
一つ目の確認事項はさっさと切り上げて、次に入る。
額に手の甲をあてて記憶を思い出そうとしているリディアに、音のない溜息を吐いた。
「リオが上からくるって叫んだ後に、貴方がフードを被せてくれたでしょう。けど、運悪く髪についてしまったの」
こちらから聞いておいて頷きも返事もしないことをリディアは気に留めなかったらしい。「何かと思って触れてしまったけれど、やっぱり淀みだったのね」とうわ言のように続ける。
今度の溜め息は押し殺すことが出来なかった。
眉間によった皺を押し戻しながら、苛立ちを全て吐き出す。流石にこちらの苛立ちに気づいたようで、リディアはびくりと肩を揺らした。
「なぜすぐに言わなかった」
疑問系で投げかけたつもりだが、語尾が少々キツくなったらしい。
被さっていた布団を皺が寄るまで握りしめながらも、リディアはしっかり目線を合わせてくる。
「詠唱の邪魔になると思って。皆に迷惑はかけたくなかったから」
口に出されなかった、「貴方の」という言葉に吐き出したはずの苛立ちがまた増していく。
「淀みに触れたらどうなるか、私が説明したことを忘れたのか」
魔獣の淀みは人間の精神を狂わせる。
思考が邪心に侵されて、自殺するほど追い込まれる者や善悪の区別が付かなくなり犯罪を起こす者もいる。
そのことは祈祷師となった当初に重要事項として説明していたし、宵の森に踏み入る前にも覚えているか確認した。そしてリディアははっきりと頷いていた。だから、言葉通りに尋ねたのではなくて、不愉快な思考のその先をリディア自身の口から言わせたかった。
「覚えてるわ。忘れてない。でも、ほんの僅かだったから、気を強く持てば大丈夫かと……」
「君のその行為が、選択が、私達をかき乱すとは思わないのか」
記憶のない彼女は、戦闘の真っ只中に割り入ったことなど覚えていないのだろう。忘れてしまったのなら、その方がいい。
だから、言い過ぎだとわかってはいても口から滑り出した言葉は止まらなかった。
魔導騎士がどれ程神経をすり減らして祈祷師の護衛をしているか考えた事はあるのかと、甘い考えでいたリディアを罵ってやりたい気分だ。
見開いた蜂蜜色の瞳と視線がぶつかる。
布団を握りしめている手は青白く、小刻みに体が震えている。
渇いた瞳が、悲壮感を全面的に訴えてくる。
「……言い過ぎた。そばにいたのに君を守れなかった私の落ち度だ」
ハッと目を見開いて「違う」と返そうとするリディアを手で制す。
否定の言葉を聞きたいわけではないのだ。
二人の間に重苦しい沈黙が訪れる。今までは気にならなかった雨が窓を叩く音が妙に耳につく。
「君は、私達のために声を殺して、君自身を犠牲にするんだな」
思考が雨に紛れて落ちる。
それが分かっただけ良しとしよう。
所詮、魔導騎士に祈祷師の行動を制限する権限はない。リディアの人となりが分かれば、後はこちらで対処するしかないのだ。
サイドテーブルに置いていたランタンと本を片手で持って立ち上がる。
セシルの目的は既に果たしていた。
だからこれ以上、女性の寝床に居座る理由もない。
なにも言わずに立ち去ってもよかったが、自分から重くした空気を明日以降に引きずられても困りものだった。「ゆっくり休め」と捨て台詞のように一声かけて、俯く頭に手をのせる。
離そうとした手の袖を摘ままれて、そのまま見上げられた瞳とぶつかった。
「ねえ、待って。お願い」
聞いてよ、と震えた呟きが耳を通る。
震える声に似合わない、強い意思が籠った眼差しが流れる髪の隙間から覗いている。
「今回は私が悪かったわ。ごめんなさい。けどね、貴方達が私の身を案じるように、私も貴方達が大事なの。だから、私は自分のことを最優先に考えることなんてできないし、したくない。それで自分が犠牲になってるとも思わない」
そう言った彼女の思想は我が国が讃える『聖女』そのものだ。
だからこそ、彼女には聖霊の加護が与えられているのだろう。
心底、反吐がでる。
「君の謝罪は受け取ろう。君の考えもわかったし、変えろと言うつもりもない」
袖を捕まれた状態のまま、頭にのせていた手を軽く叩く。
そうすることで幾分か安心したようで袖から手を離される。
最後にもう一度、別れの挨拶の代わりに軽く撫でてから背を向けて歩き出す。
ドアノブに手をかけたところで、慌てた声で二度目の待ったがかけられた。
「なんだ?」
長居する気はないと伝えるためにも、ドアを開けながら顔だけ振り返る。
「その……服、着替えられてるの……。だ、誰が……」
窓から射し込むはずの月明りも突然の雨で隠されてしまったため、赤くなっているのか青くなっているのかは判別できなかったが、大層焦っていることが見て取れた。
そんなことか、と鼻で笑いながら答える。
「気絶していた君が悪い。泥だらけだったしな」
「あ、貴方が……!?」
「そんな訳があるか。村の女性に頼んだ」
非難の声を無視して勘違いさせたままでも良かったし、その方が反省するのではないかとも思う。しかし、相手はクロズリー家の令嬢だ。リディアがするとも思えなかったが、万が一、泣きつく先が誰かを考えると後々面倒だった。
「よかったわ、本当に」
心底安心しきったリディアを横目に扉を閉じる。
知らなくていいことは、そこら中に溢れている。
意識のない祈祷師と村人を二人きりにするわけがないことは、思考が追い付いていないリディアには気づかれなかったようだ。見ないように気を付けても、視界に入れておかなければならないことは心のうちに留めることにした。
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