◇3-2:与えられた使命


 翌日、リディアは副団長の執務室へと向かっていた。

 ノックをするとすぐさま返事があり、中へ足を踏み入れる。そこには真正面にある窓を背にした幅の広い執務机があり、サンドイッチを片手に書類を眺めるセシルがいた。

「少し早かったようですね。……時間を置いてまた伺うわ」

 そうは言いながらも、予定通りの時間に来たはずだと壁掛けの時計へと視線を動かし確認する。前日に決めていた時間の五分前で早すぎた訳ではないことに安堵しつつ下がろうとすると、「すぐ食べ終わるから座って待っているように」と声がかかった。

 言われた通りに応接ソファへと腰掛けるが、食事をしながら仕事をするほど忙しい人を急かしているようで、いたたまれない気持ちになる。


 加えて、リディアには居心地悪く感じる原因がもう一つある。

 実は棟内を案内してもらっていた最中、祈祷師は魔導騎士に丁寧な言葉遣いをしないようにと注意をされたのだ。魔導騎士の指示の下で祈祷師が動いていると国民に勘違いされないようにとのことである。

 理由には納得できるのだが、真っ先に会話をする相手が侯爵家の者だと思うと、同等の立場で話すことに慣れるまでははらはらと落ち着かない。


「待たせて悪かった。早急に目を通さなければならない書類が回ってきてしまってね」

「もうよろしいの?」

「ああ。君は少しは休めたか」

「ええ、実はあの後すぐ眠ってしまって。そのおかげで疲れも取れました」


 昨日は案内が終わって自室で一人になった途端、まだ昼前だというのにソファでひと眠りしてしまったのだ。

 起きた頃にはすっかり真っ暗になっていて慌てて飛び起きた。

 まだ間に合うだろうかと急いで部屋の扉を開けると、通路に置かれたカートが待ってましたと言わんばかりにリディアを迎えてくれていた。


 魔導騎士団はそもそもの人数が少なく、加えて出払っている者が大半なため、食堂には朝昼晩の決まった時間しか使用人がいない。その時間を逃すと作り置きの料理を食べるか余っている食材で自炊するかのどちらかになるのだ。自炊なんてしたことがないし、王宮使用人の技量は一流なので楽しみにしていたのだが、既に手遅れだったらしい。

 どうやら、初日から気遣いをさせてしまったようだ。

 明日は必ず礼を言おうと心に決めて軽食の盛り付けられた皿を持ちあげると小さなカードが現れて。皿を重石にして置かれたそれにはたった一言、「ようこそ」と書かれていて、目頭がじんわりと温まるのを感じた。

 場所を自室に移して食べた軽食は、とっくに熱が冷めているというのにどれも絶品だった。寝過ごしているリディアを気遣って用意してくれたメニューなのだろう。つい先ほどまで寝ていたというのに、お腹を満たしたらまた眠気が襲って、気づけば朝になっていた。


 すっかりと疲れが取れたリディアは朝食とともに食堂で働く使用人に礼をした後、午前中いっぱい荷解きに取り掛かった。


 そうこうして、今日はこれから祈祷師としての任務や付随する細々とした説明をしてもらう予定になっていた。

 手元に紙とペンを置き、重要なことは書き残そうとするリディアに向かいから待ったがかかる。


「書き記すことはしないでくれ。祈祷師に関連する情報は門外不出だから、公文書以外は残さない決まりだ」

「そうだったのね。そうとは知らずに、ごめんなさい」


 口外を禁ずる魔術が施されていると先日レナードから聞いたばかりだったが、メモも認められていないとは思わなかった。

 よくよく考えてみれば紛失もあり得るし、メモがいいのなら誰がどんなものを残しているかわからなくなるため情報は少なからず拡散されるはずだ。高い確率で祈祷師について何かしらの噂が広まっていたことだろう。

 徹底した情報管理に納得しつつ、紙とペンを懐に仕舞う。


「祈祷師と魔導騎士団に与えられている仕事は三つ。一つ目は王都の警備。基本は王宮騎士団の管轄だが、有事の際に魔導騎士は強力な戦力になるし、王宮騎士とは物事を捉える視点も違うから数人配置している。今の配置は日勤と夜勤で四名ずつ。これは数少ない祈祷師が当たることはまずない」


 以前、王都の中央広場で何度か見かけた二人組の魔導騎士を思い出す。王宮騎士団は団服の上衣が青みがかったグレーだが、魔導騎士団は黒に限りなく近い深紫を基調としているので一目でわかるのだ。

「前に街中で見かけたのだけれど、騎士は二人組で行動しているのかしら」

「そうだ。問題が起きれば一人がその場に残り、もう一人は伝令役になる」

 先ほどセシルは日勤と夜勤でそれぞれ四名と言っていた。

 王都の広さと二組の配置を思い浮かべ、人員が圧倒的に足りないのではないだろうかと頭を捻らせたが、そもそもは王宮騎士団の仕事だ。辺りを見渡せて往来のしやすい要所の配置で充分なのだろう。



「二つ目は聖堂や治療院の巡回。これは祈祷師の最も重要な任務で、魔導騎士はただの護衛だ。遠方と近隣に分けて巡回しているが、遠方の場合は短くて一月、二月以上行ったきりになることも度々ある」

「そんなに長い間王都を離れるの?」

「期間は長くとも各地の視察を兼ねているし、移動日が圧倒的に多いんだ。それに天候や巡回先の希望日程も考慮するから予定が入らない日も稀にある。その分ゆっくり過ごせると好む者の方が多い。祈祷師は必ず貴賓室に通されるし、宿泊費は全て経費だからな。領主への挨拶もあるから、君の場合は身元がバレないように十分注意してくれ」


 セシルの言う身元にはリディア・クロズリーということとだけでなく、貴族の出だということも含んでいるのだろう。

 成長と共に染み付いた貴族らしい立ち居振る舞いを、遅くとも遠方巡回までには隠し通す術を身につける必要があるようだ。


「三つ目は宵の森の警備だ。君には言うまでもないだろうが、二箇所しかない出入り口のうち、一箇所はクロズリー領、もう一箇所は王都の外れにある。警備塔があるから、任務中はそこで寝泊りすることになる。こことは違って簡素だから貴族として育った君には過ごしづらいだろうが、我慢してくれ」

「問題ないわ」

 相槌とともに、こくりと頷く。


 祈祷師への扱いは王族へのそれに匹敵する。

 その上で不便があるということは、そこには必ず優先されるべき理由が存在するのだ。その点を理解しておきながら、自身の苦楽を優先して不満を言うほどリディアは愚かではない。


「祈祷師の護衛についていない魔導騎士で警備体制をつくっているから、我々は森内部の巡回を主に行う。奥深くまで踏み入る際は野営になるから心構えをしておくように」


 こちらも心得ていると首を縦に振る。


 宵の森の警備については幼い頃から良く知っていた。

 というのも、クロズリー領にある森の出入り口を警備する騎士の本拠地がクロズリー伯爵邸だからだ。

 森の出入り口から領地を守るように建つ伯爵邸は、伯爵家の誇りそのものだった。

 祈祷師をクロズリー領に常駐できない分、騎士の育成に力を注ぎ、祈祷師の穴を魔術を得意とする騎士の数とその実力で補っているのだ。


 そして、クロズリー領の騎士養成所で学んだ騎士は王都や他領で数々の功績を納めている。それ故にクロズリー家は伯爵の地位でありながら王族や高位貴族からの覚えもめでたく、騎士団上層部や国営の会議にも度々招待されるくらいに名を馳せていた。


「祈祷師はお二人いらっしゃるのよね。どのような分担なのかしら」

「一人は遠方巡回、もう一人は近隣巡回と森の警備を交互にしている。君にはまず近隣巡回で場慣れしてもらう予定だ。慣れてきたら、森の警備、その後に遠方巡回になる」

「では、遠方巡回している方が戻る度に任務が移り変わっていくということ?」

「ああ。まあ、遠方巡回が二月超える予定だったら、一、二回は残り二人の任務を交互にすることになるな。流石に警備塔で一月越えは騎士にとっても辛いんだ」


 先ほどは建物内が簡素だから過ごしづらいと言っていたが、どうやらそれだけではないようだ。昼夜問わず警戒して魔獣の侵入を防ぐ任務は、魔導騎士にとって最も心身を削る任務なのかもしれない。


「とりあえず、今までの説明が今後の君がやることだが、気になることはあるか?」

 気になることと言われると、昨日からずっと不思議に思っていた事がある。

「団長以外の魔導騎士団員はとてもお若いようだけれど、偶々ではないのよね」

 リディアはクロズリー伯爵家所属の騎士を長年見てきている。

 父と同年代や一回り上の者もいるくらい年代が幅広かったことに対して、護衛騎士として紹介のあった三名も、食堂で見かけた他の魔導騎士達も、ここではほとんどが二十代前後に見受けられたことがずっと気になっていた。


「ああ、家庭持ちになったら厳しい任務ばかりだろう。祈祷師の護衛に選ばれたら家庭で過ごす時間は全くと言っていいほどない。護衛でなくとも、昼夜問わない任務に加えて警備塔で離れて過ごす間は命の危険も付き纏う。それに耐えられる精神力がお互いに備わってたら別だが、まず無理だろうな」


 淀みなく発せられる言葉達に、状況を思い浮かべながら何度も頷く。


「だから、若いうちに魔導騎士として経験を積んで、家庭を持つなり年齢を重ねたら王宮騎士団の要職に就くことが決まっている。魔導騎士は手当の上乗せで給金がいいし、実力のある証明にもなって王宮騎士としても重宝されるから、平民や爵位を継がない貴族にとっては望ましい出世コースなんだ」


(クロズリー伯爵領の騎士とは同じようで違うのだわ)

 事細かに説明をされて納得する。

 確かに長期の巡回や警備塔に寝泊まりしている期間を考えると、家族と会うことも家に帰ることもままならない状態はお互いに酷だ。

(夫が魔導騎士というのは、恋愛結婚だったら尚更奥方は耐えられないでしょうね)

 リディアとて結婚を望んでいた年頃の女性だ。

 それが貴族としての政略結婚だとしても、夫の帰りを出迎え、寝食を共にする日々を思い浮かべていた。

 そんな些細な日常でさえ、相手が魔導騎士では送ることができないのだ。家で待つ妻はいつ危険に巻き込まれるかもわからない夫の無事を祈り、会えない日々を過ごすことになるのだろう。

 それに、いくら祈祷師の護衛といえども見ず知らずの女性と一時も離れず行動を共にしている現状は到底受け入れられるものではない。


 幸福の象徴である祈祷師が、不幸せを生み出す要因となってはいけない。

 そうして長年をかけて出来上がった決まりなのだろうと思うと、魔導騎士団の在り方がリディアにも少しわかった気がした。




 それから休憩を挟みつつ、巡回での細かい流れや祈祷師の身なり、休暇中の注意等諸々の話を聞き終えた頃にはすっかり日が暮れて薄暗くなっていた。

 執務室を離れる前に明日の予定を聞こうと声をかけると、長時間座っていたことで凝り固まった筋肉を動かして伸びをしていたセシルが「困ったな」と呟く。


「明日以降か。君は一度話しただけで十分過ぎるほど理解してる様だし、一般教養も必要ないとなるとどうしようか」


 まるでリディアの理解力が高いように話すが、それを言うならば、一を聞いたら十を答えてくれるセシルのおかげだろう。

 本にしたら優に一冊分は超えてしまう情報量をすんなりと理解できたのは単にセシルの教え方が上手いの一言に尽きる。魔導騎士よりも教職の方が向いているのではと思ってしまうほどだ。

 どうしようかと問われると伝えておきたい希望があった。


「もし可能なら、祈祷師様の巡回を一度見てみたいわ」


 巡回の流れを言葉で想像するのと、実際に行うのは別物だ。

 緊張して失敗しないためにも巡回の雰囲気を確認したいし、二人の祈祷師にも会ってみたい。

「そうだな。明日は無理だが、直近で都合の良い日を確認しておく。それまではここでの生活に慣れてくれたらいい」

 快く了承してもらえたことに安堵し、お礼の言葉とともに丁寧に礼をしてから部屋を後にする。



 祈祷師に会える。

 そう思うと心が躍り、明日会えるわけでもないのになかなか寝付けなかった。





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