◆閑話:思惑、絡まる


 足早にホールから退出し、人気のない場所へと歩を進める。廊下を何度も曲がり、ようやく使用人達もあまり通らない場所へと辿り着いたら、耐えていたものが一気に器官を這い上がってきた。すぐさま胸元のポケットからハンカチを取り出し、口元を覆う。

「うっ…………ゴホッ……カハッ」

 咳とともにベチャリと吐き出された血がハンカチを赤く染め上げる。

「ぐぅっ……」

 うめき声とともに何度も咳を繰り返しているうちに、長い時間が過ぎた。


 蠢いていた内臓が落ち着きを取り戻した頃、背後にある壁にもたれかかり終始傍観していた人物が口を開く。


「私が話すよりも先に彼女に会ってきたようだね?」

「……さて、なんのことでしょうか」

 ハンカチのまだ汚れていない面で口元の血を拭って素早く立ち上がると、声の主へと向き直る。

「しらばっくれても筒抜けだよ。それで?」

「それで、とは?」


 聞きたいことはわかるが、素直に答える気にはなれなかった。


「あのご令嬢は君の想い人なのかい」

「まさか。私の好みの範疇じゃないですよ」


 すぐさま言い切る。

 それほどに彼女個人に対してなんの感情もないし、第一初対面だ。


 先ほどの彼女との会話を思い出すなり、歯をギリッと軋むほど噛みしめる。

 そして、今度はわざとらしく口角を持ち上げた。

「ですが、殿下は気に入るかもしれませんね?」

 殿下もなにかを感じ取ったのか、同じようににやっと笑い返してくる。

「それならば君が身を削ってまでした忠告は無意味に終わったようだね。なにも心配いらないようで安心したよ」

「別に彼女のための行動ではありませんよ。面倒ごとが振りかかるのはごめんですから」


 はははっと声を響かせて笑う殿下がなにか勘違いしているようでならない。



 学友時代から何も変わらず接してくる殿下には臆することなく反論できてしまうが、言い過ぎては危険だ。

 すぐにこちらの真意を見透かされてしまうだろう。

 こういう時はさっさと離れたほうが得策だと殿下とは反対側の通路へと体を向けると、ヒュッと風を切る音が聞こえ、飛んできた何かを右手で捉えた。


「遠慮せず使うといい。そんな調子じゃ私も困るからね」

「……お言葉に甘えて、有難くいただきます」


 広げた掌には一粒の薬。


 こんなものを用意してるとは。

 最初からこちらの行動を予測されていたようで苦虫を嚙み潰した。

 もしかしたら私の行動すらもすべて殿下の計画のうちかもしれない。敵に回すと恐ろしい人だ。


 再び込み上げてくる咳を堪えながら、悟られないように歩き出す。

 殿下のいい様に振り回される今後が簡単に思い浮かんで、久しぶりに高性能の胃薬を取り寄せておかなければと思うと更に胃が痛んだ。



◇◇◇



 日付を跨いだ頃、殿下から急な呼び出しがあった。


 駆けつけてみれば、ニンマリ顔で聖霊の加護付きを見つけたとの報告だ。

 今日の祝賀会は殿下の帰国を祝うために国王が主催したもので、集まった高位の貴族以外は王宮に仕える使用人しかいなかったはずだ。王宮の下働きに聖霊の加護があることに気づいていなかった、なんてことはまず有り得ない。

 というのも、身近に祈祷師になる資格のある者がいたことに気づけない間抜けな王族であってはならないため、定期的にまとめて謁見する機会を設けているからだ。


「貴族でしたら祈祷師になるとは思えませんが。もともと護衛や侍女が常に側にいる環境で育っているでしょうし、監視がついたところで痛くも痒くもないのでは」


 この程度は祈祷師と接する者であれば誰でも考えることだ。

 殿下も勿論わかったうえで、私の反応を楽しむように答えた。


「大抵のご令嬢ならそうだろうね。だが、今回はクロズリー伯爵の愛娘だ」

「……クロズリー家の者でしたか」

「加えて、ある程度身を守る術も学ばせているようだよ。あの伯爵がどんな教育をしたのか気にならないかい?」


 クロズリー伯爵とは仕事柄頻繁に顔を合わせている。

 どちらかというと寡黙な男だが、若いころは魔導騎士団に所属していたこともあってこちらの意向も通りやすいし、持ちつ持たれつの関係を維持できている。


 ――しかし、あの男が?


 宴の席で子供の話題を振った途端、鼻の下を伸ばしてデレデレと自慢をしていたあの親バカが、子の些細な行動でさえ逐一記憶しているあの男が、娘が聖霊の加護を受けたことに微塵も気づかなかったのだろうか。

 身を守る術も学ばせたとなると疑惑は更に深まる。


  そして殿下が私を呼び出した理由を察し、思わず顔をしかめた。


「ご令嬢が祈祷師になるのはほぼ確実。だが、こちらで預かるのだから万が一のことがあってはいけないよね? けれど、魔導騎士団員に貴族は少ない。どのような令嬢なのかもわからないし、副団長に任せるのが得策だと思うんだ」

「殿下のご意見はごもっともです。しかし、副団長が付きっきりになってしまうのは……」


 任せっきりの書類の山が思い浮かぶ。あの雑務の処理を誰ができよう。

 なんとかできないものか。

 しかし私がと申し出ることもできず、だからと言って誰が適任かと問われても返す名がすぐには思い浮かばない。


「それに、彼は私に断りもなくご令嬢を脅したようだし……。その責任が彼にはあるよね?」

 さらりと付け加えられた言葉に思わず目を見開いた。

「脅し!? それなら逆によろしくないのでは。そうだ、私ともう一人が交互にご令嬢を護衛いたしましょう。人選は少し時間を頂きますがその方がご令嬢にとっても安心かと」

 あの副団長がクロズリー伯爵家の娘に対してどんな感情を向けているのかはさっぱりわからないが、これ幸いと自身に有利な提案をする。

 そんな私に気づいたようで、殿下はとどめと言わんばかりに当初に見せたニンマリ顔で言い放った。


「私が不在だった間は随分とゆっくり過ごせていたようだね。――長い休暇は楽しめたかい?」


 血の気が引いていく音が聞こえる。


 誰だ、殿下に報告したやつは。

 そして一言だけ反論させてもらおう。

 私は休暇と思えるほど仕事をしなかったわけじゃない。仕事が迅速丁寧で将来有望な部下に、手持ちの半分の書類整理をお願いした程度である。



 声を大にして言えない時点で私の負けなのだが。



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