◇2-1:ふくまれた慾
リディアが父であるクロズリー伯爵に相談と称した報告をしたのは翌日のことだったが、王太子からの唐突なダンスの誘いやその後のリディアの様子でおおよその事は察していたらしい。
しかし、魔導騎士団副団長から真偽が不明な忠告をされたことを伝えると、さすがにそんな話をしていたとは思ってもいなかったようで、普段は見ることのない驚きを通り越した珍しい表情をしていた。
何か知っているかと尋ねてみるが、なにも話すことはないようで。進むべき道は決まっているのだろうと、周囲の意見に惑わされることなく自分の意志で決めるようにと面と向かって返ってきた言葉に、リディアの中に残っていた一抹の不安は消え去った。
予想はしていたが、実際に思うがままに行動してよいと父から背中を押されたことがリディアには何よりも嬉しくて、自分の選択は間違いではないと信じることができたのだ。
祈祷師になるかならないか、その返答をする機会が訪れたのはそれから三週間後のことだ。
リディアは父を通してエリアスと話をする場を設けてもらえるよう頼んだのだが、表立って動くと他の貴族がさまざまな憶測を立てるのは目に見えている。
それに、祈祷師になると同時に伯爵令嬢リディア・クロズリーは社交界に現れなくなるのだ。同時期に見たことのない容姿の祈祷師が目撃されると、直前に王族と関わったリディアだと特定されてしまう可能性は高い。
そういったことから、念には念を、普段通りの生活の中にある限られたタイミングを見計らって連絡を取り合うため、日時が決まるだけでもかなりの日数を要していた。
その間は普段通り小規模な茶会や晩餐会へ足を運びつつ、祈祷師になった後の生活に困ることがないよう、着々と準備を進めていた。
祈祷師が住む場所は王宮と連なる魔導騎士団棟だ。使用人はいても祈祷師専属の侍女や従者はいないため、身の回りのことはすべて自分で行う必要がある。
貴族が祈祷師になることを断る原因の一つであるが、リディアは舞踏会用のドレスなど複雑なつくりのものを着る必要のない日には侍女の手を借りずに身支度をすることも多々あったため、然程問題はなかった。
そのため、夜着や休日用の私服、そして使い慣れた生活用品を大荷物にならないよう厳選し、適当な理由をつけて侍女が行っている掃除やちょっとした衣類の汚れ落とし、紅茶の淹れ方等を教わったりと日常生活をする上での知恵を学んでいた。
(こういう準備期間が一番せわしなかったりするのよね)
場所は王都の貴族向け高級レストランの一室。
夕食には少し早い時間で、暮れ始めた夕陽が少し高い位置にある窓から射し込み、室内を橙に染め上げていた。
気持ちを落ち着かせてのんびりとお茶を嗜む時間をとれたのは久しぶりだ。出された紅茶も菓子も、味だけではなく香りや飾りつけまでもが洗練された芸術のように美しくて、手を出すのが勿体ない。
「こんなに素敵な場所で大丈夫なのかしら……」
この一室へ案内された時から感じていた疑問が口からポツリと漏れる。
「心配ないよ。ここのオーナーは元魔導騎士だから融通が利くんだ」
後ろから聞こえた声とともに伸びてきた手が、テーブルの上にあったクッキーを一枚掴んだ。
その手が視界から消えていくと、次いでカリッと頬張る音が鳴る。
「殿下……」
思わず唖然としてしまったが、近衛騎士の諫める声にハッとして一拍遅れて立ち上がり礼をする。
視界の端にある扉が開いた様子はなかったのに、一体どこから入ってきたのだろうか。
驚きを隠しきれないリディアに、エリアスがいたずらに成功した少年のように笑いながら密会用の隠し通路があるんだと教えてくれた。
「では、改めて聞かせてもらおうか」
席に着くなり先ほどのいたずら好きから一転し、国の責務を負った王族のオーラを纏う。
「リディア・クロズリー伯爵令嬢、祈祷師としてラティラーク王国の信仰の象徴となってくれないか」
そのたった一言の言葉に国の重みを感じて背筋が伸びた。
エリアスの瞳にはダンスをともにした時から何一つ変わらず、キラキラと光の粒が瞬いている。その瞳を見れば自分に聖霊の加護があることを実感できて、安堵と自信、そして期待が込み上げた。
「この上ない光栄です、殿下。クロズリー伯爵家の名に懸けて、祈祷師として最善を尽くすことを誓いますわ」
リディアの迷いのない返答に、エリアスは浮かべる笑みを深める。
「貴女の決断に国を代表して心から感謝する。魔導騎士団からは脅迫まがいな忠告があったと聞くけれど、迷いはないのかい?」
(あの日の出来事は殿下の耳にまで入っていたのね。もしかして父から流れてしまったのかしら)
誰が聞いてもセシルは国の意志に楯突いたと思われるだろう。
リディアが父に話したことで王太子であるエリアスの耳にまで届いてしまったのかもしれないと思うと、セシルに対する気まずさが積もっていく。
「本心を言えば戸惑いはありましたが、クロズリー家の名に恥じない生き方をしたいのです。それに……、私欲も少々混じっていますので」
本来ならば殿下に話すべきではない内容だと口籠る。
けれど、私欲の混じった決断を伯爵家として当然と言い張るには後ろめたくて、偽ることはできなかった。
「では、貴族としてではない貴女自身のメリットは何かな?」
私欲で決めるだなんて到底褒められるものではないのに、エリアスが軽蔑することはなかった。それどころか好奇心が含まれているようにも見える。
「それは……」
「うん?」
言葉に詰まるリディアを急かすでもなく、打ち切るわけでもない。
穏やかに待っていてくれるエリアスに、この方になら話してもいいのかもしれないと思えた。
「宵の森に行きたいのです。魔獣の被害を防ぐために祈祷師様と魔導騎士団が私達を守ってくださっているのですから、こんな事を考えてはいけないと分かってはいるのですが……」
決心さえしてしまえば、留まることを知らない口は次々と言葉を紡いていく。
「建国聖話を語る挿絵はどれも楽園のように美しいものばかりで、実際に見てみたいと、幼い頃何度もそう言っては大人達を困らせていました。物語と現実は違うと、魔導騎士団の殉職や怪我の話を耳にするたびに期待は薄れてすっかり忘れていたのですが、この間ふと頭をよぎりまして。思い出したら、叶えられる機会を手放すことは出来なくなりました」
大人となり教養を身につけた今、こうして声に出すとあらゆる人に対する申し訳なさで、俯いて手元を見てしまう。
こんな馬鹿げた話を聞いてどう思っただろうか。
国民のために命の危険も伴う任務をしている祈祷師にも魔導騎士団に対しても、不謹慎極まりない。携わっている者からしたら怒って当然の内容だ。
束の間の静寂による気まずさと、吐き出すように耐えきれなくなった軽快な笑い声への驚きと。
エリアスの思いもよらない反応に戸惑って、そののすぐ後ろに控えている近衛騎士へ思わず目線を向けてしまうと、昔を懐かしんだもの柔らかな笑みに更に気恥ずかしくなり、居たたまれない気分に陥った。
エリアスの笑いが治るまでどのくらい経っただろうか。
きっと数十秒程度だが、体感時間としては一曲踊り終わるくらいに長く感じた。
目尻に溜まった涙を人差し指で拭いながら、エリアスが口を開く。
「笑ってしまってすまなかった。まさか、貴女にそんな望みがあるとは思わなくてね」
「……呆れましたよね?」
「いや? 貴女と同じことを願っている変わり者を私は知っている。世間一般には受け入れられないだろうが、もし騎士団員に聞かれた時には遠慮することはないよ。彼らの実力はもちろんだが、自分から志願する変わり者ばかりだからね」
(私以外にも?)
知っているということは、今も変わらずに憧れを抱き続けている人が魔導騎士団にいるということだろうか。
(もしそうなら会ってみたい。また楽しみがひとつ増えたわ)
どんな形であれ、周りから避難されたことはあるだろう。
それでも憧れ続けて、実力を身につけることで願いを追う資格を得たのだろう。
一度は忘れることで諦めてしまったリディアは、姿も名前も知らないその人物の想いの強さを垣間見た気がした。
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