◇1-1:明け方の空に瞬く星


 遡ること二月前、国際留学していた第一王子エリアス殿下の帰国を祝う場である王国主催の祝賀会に、私は出席していた。


 階上のバルコニーから声高らかに挨拶をする殿下は遠目から見ても見目の良い顔立ちと光沢のあるプラチナブロンドの髪がふわりと揺れる美青年で、その微笑みは女性を甘く蕩けさせると評判である。

 そんな殿下がにこやかに会場全域を見渡しながら手を振っていたが、ある一点で驚いたように動きを止めた。


 それはほんの一瞬の出来事で、瞬きしていたら気づけなかっただろう。


 周囲にいる女性達が「私と目が合ったわ」と一斉に色めき立つ。殿下が目を止めた方角には丁度私も居て、例外なくこの場にいたことを心から喜んだ。


 貴族令嬢であっても高位の家紋でない限りは王族のご尊顔を至近距離で拝見できる機会は滅多にない。

 女性ならデビュタントの挨拶か王国主催の催しだが、私がデビュタントの時は殿下が国際留学に行った後だった。残るは王国主催の催しのみだが、王国主催となると会場がかなり広く、王族との距離もあるため豆粒程度にしか見えないことも多い。

 年齢の近い令嬢との間で話題と憧れの的だった殿下を一度は見てみたいと思っていたが、こんなにもすぐに叶うとは思っていなかった。もしかしたら、数年分の幸運を使い果たしたのではないだろうか。


 殿下がホールへと降り、舞踏の音楽が流れ始めると年若い公爵令嬢とのファーストダンスが始まった。

 お相手は今年デビューしたばかりの華恋なご令嬢で、殿下の婚約者最有力候補と囁かれている。薄桃色で光沢のあるドレスに大小様々な白いバラの刺繍が散らばっており、まだ幼さの残る可愛らしい顔立ちにとてもよく似合っている。スカート部分はふんわりとしたシフォンレースを幾重にも重ねていて、クルクルと踊るたびにふんわりと膨らむさまはお伽噺にでてくる花の精霊のようだ。

 拍手喝采のあと大人数で踊る曲目が流れ始めると、一斉にホールの中央へと人が流れていく。


 私はどうしようかと、取り敢えず飲み物を受けとる。

 少し離れた位置にいた父にもなにか飲むかと声をかけようとして、ようやく異変に気づいた。

「お父様、顔色が悪いけれど大丈夫?」

 よく見ると額や首筋が若干汗ばんでいる。

 会場に着く前から普段より緊張した面持ちだったが、体調が悪いのを我慢していたのかもしれない。


「いや、大丈夫だ。それよりカイルはどうした」

「カイルなら知り合いに挨拶してくると言っていなくなったわ。王立学院で仲良くしてもらっている方々も来ているようだから」

「それなら、お前も挨拶してきたらどうだ。せっかくだからダンスの相手もしてもらったらいいだろう」

「エリアス殿下がいらっしゃるから人で溢れてるのよ。誰かの足を踏んでしまいそう。それよりも、お食事を頂きながら休憩したいところね」


 ダンスは貴族として最低限のラインは身につけてはいるが、人ごみの中で上手く立ち回れるほど得意ではないし、場慣れもしていない。それに、王国主催なだけあって並んでいるデザートや軽食はどれも美味しそうだし、会場に到着してからの待ち時間は立ちっぱなしだったので若干疲れている。

 休憩するのに適した席はないかと辺りを見回していると、背後から声がかかった。



「休憩するのはまだ早いのでは? 宴は始まったばかりですよ」


 遠くから聞くだけだった声色が間近から届いたことに驚いて振り向くと、先ほどまで目で追っていた殿下がそこにいた。遠目で見ても美しいご尊顔が手を伸ばせば届く距離にある。

 見惚れてしまうのと同時に、緊張で背筋が凍った。

(今夜の主役が、どうしてこんなところへ?)


 すかさず父が一歩前へと歩み寄り、腰を折る。


「お会いできて光栄です、殿下。しかしながら、このような場所にいてはご令嬢方が寂しがっているのではないですかな」

「今夜は珍しくオルコット侯爵令息も参加してくれているからね。私がいなくとも盛り上がるんじゃないかな。それに、クロズリー伯爵には是非とも挨拶をしたいと思っていたんだ。私が不在の二年間、魔獣の被害が少なかったのは、伯爵が手広く活躍してくれた功績だと聞いているよ」


(父に挨拶するため? そんなことなら、今じゃなくていいはずよね。殿下が帰国したのは数週間は前だし、その間に父は何度も王宮に出向いていたもの。幾らでも挨拶するタイミングはあったわ)


「そんな、恐れ多いことです。私はただ領地を安全にしようと策を練っただけですので」


(となると、私かカイル? クロズリー伯爵家との関係を更に強固にするなら、娘との婚姻を騎士団関係者と結ばせるか、次期当主との親睦を深めるかだと思うけれど)


「謙遜することはないよ。私も留学先では魔術に関する多くのことを学んだんだ。今度、魔導騎士団長も交えて今後の話もしたいところだね」


(でもカイルは側にいないし、私との婚姻こそありえないわ。そんな話があるなら、もっと前から声がかかっているはずだもの)


 愛想笑いをしつつ話の流れを推測するが全く検討がつかない。

 心の中で唸っていると、明け方の空のように美しいと讃えられる、深い青紫に淡いオレンジが溶け込んだ瞳が私を映し、人当たりの良い笑顔を向けられた。


「ところで、そちらの女性を紹介してもらってもいいかな?」


 殿下がただの伯爵令嬢である私に声をかけた。

 その意図が分からず表情を伺うも、その瞳に私はいない気がしてならなかった。


◇◇◇


「あら、殿下がお連れしているご令嬢はどなたかしら」

「先ほどまでクロズリー伯爵といらっしゃったから、ご息女ではないかしら」

「まあ、あのクロズリー家の……」


 殿下のエスコートに促されるまま踊り始めるも、早々に周囲からの視線が矢のように突き刺さって冷汗が流れる。

 社交場には程々に参加しているが、積極的に動き回っているわけではないため顔は広くはない。しかし、父であるクロズリー伯爵は領地の土地柄、大抵の貴族に名が知れている。殿下の婚約者の座を狙う者やその身内にとっては気が気でないだろう。


(こんなに注目されているなかで失敗したら大恥だわ)


 幸いなことに踊る相手が殿下というだけで回りは場を空けてくれる。

 それでも一歩一歩ステップを刻む度に、殿下の足を踏まないか、ドレスの裾を踏まないか、ヒールを踏み外さないかヒヤリとする。そんな私の緊張を知ってか知らずか、殿下からは甘い美声が落ちてきた。


「弟もいると聞いたけど、この場にはいるのかな?」

「ええ。友人に挨拶をと言っていたので、後で呼んできましょうか」

「いや、また会う機会はあるだろうから気にしなくていいよ。今は王立学院に通っているんだろう? 魔術に優れていると聞いたよ」


 王立学院は将来爵位を継ぐ子息が主にマナーや外交、領地経営等の知識や実技を身につけるために通うほか、騎士団の養成所としての役割も担っている。

 そのため、貴族子息は王立学院で基礎知識を身につけた後、実践として王宮騎士団に入団して人脈を幅広く築く者も多い。中でも魔術に優れる者は魔導騎士団へ勧誘されることもあるらしい。

 クロズリー伯爵家としてはその方が良いのだが、剣術を学ぶ弟の姿を思い浮かべると苦笑いしか浮かばない。


「魔術方面は優秀な評価をもらえているようなのですが、体力はからっきしなので、魔導騎士は目指せそうにありません」

「そうなのかい。じゃあ剣の腕は君の方が強いんだ?」

「は……い?」


 てっきり「それは残念だ」と言われると思っていた。「はい、本当に残念でなりません」と答えようとしていたが、返ってきた反応は全く異なるものだった。


 なぜ殿下がそんなことを言うのだろうか。

 もしかして父はそんなことまで口走っていたのだろうか。若い女性が僅かでも剣術を学んでいるだなんて煙たがられるだけなのに。


「いえ、私は護身程度ですのでほぼ互角でしょうか。そのくらい弟は騎士には不向きということで」

 私が剣術に長けているわけではありませんと続けようとしたが、視線だけで続きを遮られたように口が回らない。

「謙遜はしなくていいよ、こうして踊っているだけでも身のこなしが他のご令嬢とは少し違うのがわかるからね。そんな貴女に提案なんだが」


 言葉を区切り、ターンに合わせて腰に回していた腕でグッと体を引き寄せられる。


 周囲には怪しまれないほどに流れに沿った、けれど、抱きしめられていると錯覚するほどのに至近距離になって耳元で囁かれたのは一瞬で、リードされるがままステップを踏み、いつの間にか適した距離へと戻される。

 止まることなく動かされる足とは裏腹に、思考は一時停止した。



(今、殿下はなんて……)



 唐突に、突然に、自分が何者なのかを知る。

 予測もなにもあったもんじゃない。わからなくて当然だ。デビュタントとして国王に謁見した際にあり得ないと結論づけたことなのだから。


 国王と殿下、すなわち、王位を受け継ぐ王族のみが有する、聖霊を映すことのできる明け方の空の瞳。


 光の当たり方によって色合いを変えるその瞳が、今は星粒が煌めいているようにみえる。

 シャンデリアの輝きが反射してそうなっているのか。それとも、私を見て、私じゃない“なにか”を映しているからなのか。



 心臓が大きく飛び跳ね、ドクドクと早鐘を打つ。


 これは高揚か不安か。

 様々な思いが交錯して自分の気持ちさえも判断がつかなかった。


 殿下の言葉が頭の中を反芻する。



『祈祷師にならないか? 貴女には聖霊の加護がある――』




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