第4話 めんどくさい、何もかも 〈慧視点〉
莉理から<どうしても話したいことがあるから、何時まででも待ってる>というLINEが来た時、これはヤバイやつだとピンと来た。
でも、最近莉理を寂しくさせてしまっているという以外に心当たりはない。莉理も私が忙しいのは分かってくれている。
でもとにかく莉理が怒っているのは経験上わかった。
最近は3時間は残業するのが当たり前になっていたけれど、なんとか2時間で切り上げて、莉理が待つ大通公園へ急いだ。
莉理がベンチにぽつんと座っているのが見えた。一点を見つめたうつろな表情が怖くて、ちょっと引き返してコンビニに寄り、ホットコーヒーを二つ買って向かった。
「待たせてごめんね! はい、コーヒー」
できるだけ明るく言ってカップを渡すと、莉理は私を見上げ、小さくありがとうと言って受け取った。
私も横に座る。
「えっと……最近、寂しくさせていてごめんね」
「うん。おやすみも言ってくれなくなった」
「それは、疲れて寝落ちちゃうからで……」
莉理は、はーっとため息をつき、スマホを操作して私に画面を見せた。
瞬間、背筋が凍る思いがする。
それは、昨夜盛り上がったPTグループトーク画面のスクリーンショットだった。
寝落ちたふりがバレた……!
──謝れ! すぐに! と脳が指令を出す。
でもその指令が届くより先に私に溢れたのは怒りだった。
──なんでわざわざ内輪のトークを見に行くかな。
「ああ、グループトーク。メンバーじゃないのに勝手に見たの?」
我ながら冷たい声が出てしまったと思ったが、莉理は全く動じていなかった。
「経企社員は各PTのトークの管理も業務なの。
ずいぶん楽しそうだったね、昨夜。
ううん、昨夜だけじゃない。最近寝落ちたとか言ってLINEに反応しなくなった時はだいたいこっちでおしゃべりしていたんだね。おとといも週末も」
莉理の言葉を封じ込むように強い口調で私はかぶせた。
「PTを成功させるためだよ。莉理だって言ってたじゃん、慧はうまくコミュニケーション取っていくのが課題だって。田村課長からもそう言われたし、それで頑張ってトークでも盛り上げてるの。下から2番目の若手なのにリーダーだからほんと気を遣うんだよ」
「それは分かってる。頑張ってると思う。だからずっと我慢してきた!」
見開いた莉理の目から涙が零れる。
「でも、せめてそれなら、PTのほうでまだやり取りするから先に寝ててね、おやすみって言って欲しい! 私は、今日も寝落ちかな、疲れているのかな、大変だなって心配ばっかりしているのに、それすら書いてくれないの? これじゃまるで、私なんてどうでもいいって言ってるみたい」
「そうやって書いたって、莉理はすねたり私よりPTが大事なんだとか言い出すじゃない!」
「ちゃんと説明してくれたら私はそんなこと言わないよ」
「莉理はすぐ傷つくから、寝落ちしたふりが一番平和的な方法かなと思ったの!
PTは夜中に盛り上がるし、そしたらほっとけないし」
「じゃあ、これからもそうなの? 寝落ちたふりして私を無視するの?
──無視した方がいい恋人って何なの?」
泣きながら言う莉理に追い打ちを掛けるように私は言ってしまった。
「だって莉理ってめんどくさいから」
その瞬間、莉理の顔がさっと青ざめた。
ああ、禁句を言ってしまった。
佐々木を問い詰めた時に言われた、莉理にとっての最大のNGワード。
同じようなシチュエーションで言ってしまった。
──莉理を傷つけた。
「……そっか」
やがて莉理はこわばった表情のまま何度か頷き、バックからハンカチを出して涙を拭った。
「元彼にも今カノにもめんどくさいって言われるなんて、余程なんだね、私」
そう言うと、莉理は立ち上がった。
「帰るね」
追いかけた方がいい。わかってる。
そして謝るんだ。
──でも、そんなに私悪いことをした? とも思ってしまう。
PTでやり取りするから寝てね、と言われて莉理が傷つかないはずはない。
だからといって莉理を優先させてPTを放置する訳にもいかない。
最善の解が、寝落ちのふりだった。
まさか、グループトークを見られるなんて思わなかったけれど。
わざわざ見なければ莉理は気づかなかったのだから、グループトークを覗き見した莉理だって悪いのだ。
莉理の後ろ姿はあっという間に大通に向かう人混みに紛れて見えなくなった。
莉理の背中を見送り、家に戻った後、だんだんと冷静さを取り戻した私は、
<ごめんね、ちゃんと今度から会話が途切れる時は先に状況を伝えるから>
とLINEで提案したが、既読にすらならなかった。
そんな態度にまた腹が立ったが、莉理に見られたと思うと、そしてまたいつ見られるか分からないと思うと、PTのトークでも前のようには楽しめなかった。
そもそも心からトークを楽しんでいたわけではない。
でもコミュニケーションは円滑にするべきだと思ったし、正直、私はゲームが好きだからメンバーと対戦するのは一石二鳥だった(莉理はゲームに全く興味がないし)。
そして、莉理と毎日スキとかアイシテルとか繰り返すのが面倒だったことも事実だった。
莉理はそういったメッセージを見るだけで満たされるものがあるようだけれど、私は一緒にいて言いたい時に伝えたい。入力されただけの文字の並びは私に響かなかった。
ルールに象られた目に見えるもので私の愛情を推し量ろうとする莉理。
それが元彼の佐々木のひどい仕打ちだけが原因ではないことを、私は気づいている。
──私の愛情を莉理は信じられないのだ。
私たちはもう付き合って5ヶ月が経つというのに、まだキス以上の関係になっていないから。
週末、莉理が私の自宅に来て、キスをしてお互いの昂ぶりを感じることがあっても、私はその先に進むことを躊躇して、何か食べようかとか、もう帰る時間だよとか言ってはぐらかせてしまうのだ。
莉理がそのたび、ひどく傷ついた目で私を見ることに私は気づかぬふりをしていた。
私は怖かった。
26歳だというのにほとんどセックスの経験がない私が、莉理をがっかりさせるのではないかと。
莉理も同性と付き合ったことはないらしいけれど、中学時代から彼氏が途切れたことがなかったようだし、もちろん経験豊富だろう(詳しく聞いていないけれど)。
仕事の面で莉理は私のことをすごく尊敬してくれるのに、そして私から告白をしたのに、いざセックスの場面になって莉理を満足させられなかったら、どうすればいいのかわからない。
でも、深い関係にならないこと、それ自体が莉理を愛情不足にさせているのは確かだろう。
こんな喧嘩になったのも、ちゃんと莉理と向き合わない私と、莉理がその私との関係に不安を抱いていることが原因の一つだろう。
どうしたらいいんだろう。
ああ、めんどくさい、何もかも──。
翌朝の莉理からの<おはよう>というメッセージを皮切りに、またぽつぽつとLINEのやり取りは復活した。お昼を一緒に食べるルールは、莉理が誘ってこないのと私も忙しいのとで自然消滅したけれど。
私は提案した通り、LINEが途切れる前には<仕事するから先に寝ていてね>など告げるようにし、うん、とか、わかった、だけで返ってきていた莉理の返信も少しずつ増えていった。
でも、いつもの莉理の様子とは全然違うし、私も、喉を塞ぐような重苦しい気分はなかなか晴れなかった。
仕事に没頭している時は忘れても、ふとした瞬間に莉理を思い出してしまう。
喧嘩の前のように、莉理の着地点のない話をただ聞きたかった。
ううん、あんな風に莉理が話しているのを聞いていたのは、PTが始まる前だったか。
話し出す前に自分で笑い出して、話せなくてまた笑う莉理の声をただ聞きたかった。
くるくる変わる嘘のつけない表情。
もうずっと莉理をおざなりにしていたのだ。
莉理が自分に注いでくれる愛情にあぐらをかいて。
めんどくさくても、莉理が一途に心配してくれる気持ちをもっと大切にすべきだった。
でも今更、どう謝ればいいのかわからない。
だって、もう、私は謝ったのだから。
表向き平穏な今の会話の中で、波風を立てたことでまた喧嘩になるのはごめんだったし、どうすれば以前のように戻れるのかさっぱり分からなかった。
喧嘩してからちょうど一週間。
今日は役員、組織長達の前で各PTが中間報告を行う日だった。
指定時間にメンバーと会議室に入ると、莉理は運営側で司会進行係だった。
スーツを着て髪をまとめた莉理は綺麗だった。
目が合いそうになって、つい逸らしてしまう。気まずい気持ちが膨らみかけるのを、ぐっとこらえる。
莉理はどんな気持ちで私を見ているのだろう。
私たちのチームの順番になり、莉理の紹介に合わせて私は登壇した。
普段、会議で発表する時はあまり緊張しないけれど、今日は動悸を感じ、手に汗をかいている。
──莉理、私の発表を見ていてよ。
私は深呼吸し、一礼すると口を開いた。
夢中で話しているうちに10分ほどの内容はすぐに終わり、質疑応答もほぼ問題なくこなせた。満足げに頷く役員達の表情を見て、うまくいったと思い、拍手の中礼をして莉理を見ると、──莉理は目を涙で潤ませて私を見つめていた。
「えっ」
と思わず声が漏れてしまう。
莉理もはっとしてさりげなく涙を拭うと、次のチームを紹介した。
私は降壇すると、そのままメンバー達と退室した。
「太田、すごく良かったぞ! 役員達の反応も上々だったし」
担当の田村課長が満面の笑顔で言ってくれた。
「ありがとうございます」
「まだ中間だけれど、一山越えたな。取りあえず今日はお疲れ会だ」
「あっ! じゃあ田村さんのおごりかな!」
「まるごとは無理だけど、一万は寄贈しちゃおうかな」
「シャースッ」
みんなが喜ぶ。
莉理の涙が気になり、デスクに戻ってそっとLINEで<どうして泣いちゃったの?>と送ったけれど、まだまだ発表は続いているようで、莉理からの返事はなかった。
今日は残業はせずそのままススキノでの打ち上げにみんなで向かった。
──でも、なんだか体調が悪い。
ビールを飲んでいてもなんだか味がおかしく感じたけれど、ソフトドリンクに切り替えられる雰囲気ではなく、料理を食べてごまかそうとした。が、突然吐き気を催してトイレに駆け込み、全てを吐き出してしまった。
クラクラして熱っぽい気もする。
スマホで後輩に荷物をこっそり持ってくるようにお願いし、トイレからそのまま外へ出た。歩きながらも何度か気持ち悪くなり、なんとかタクシーを拾って、会社近くの社宅へ戻り、口をゆすいでベッドに倒れ込んだ。
寝苦しくて何度か目を覚ました。
バックの中でスマホが始終震えている。勝手に消えたからメンバー達が探しているのか、それとも莉理が連絡をくれているのか。でも確かめる気力もないまま、また重苦しい睡眠へ落ちていく。
──ふと、冷たい手が頬に触れたのを感じ、目を開けた。
莉理が心配げな表情で私を見下ろしていた。
「慧、熱があるね」
莉理、と言おうとしたけれど、声がうまく出なかった。
「水を飲んで」と蓋を外したペットボトルを渡され、背中を少し起こされながら飲んだ。
「どうやって入ったの?」
と聞いておきながら、他にもっと聞くべきことはあったのに、と思う。
──どうして来てくれたの?
──どうして今日は泣いたの?
──もう怒ってない?
──まだ私のことを好き?
「カギ、空けたままだったよ」
莉理はベッドのそばのテーブルの上にエコバックから商品を次々取り出して見せた。
「飲み会に行くよってメッセージの後から反応がなくなって、そろそろ終わったかなと思っても既読にならないし、なんだかおかしいなと思って。
迷ったけれど、PTのグループトーク見てみたら、太田がいなくなったとか、太田大丈夫かとかあったから、何かあったんだと思ってここに来たの。何か欲しいものある?」
──後輩、うまいこと言ってくれたらよかったのに。
莉理が買ってきてくれた中から栄養ドリンクを飲むと、私はまたベッドに横になった。
額に莉理が冷たい熱冷ましシートを貼ってくれたのが気持ちいい。
「ゆっくり休んで。きっと今まで頑張りすぎて疲れが出たんだと思う」
「ありがとう。莉理はもう帰るの?」
莉理は優しく微笑んだ。
「大事な友達が具合悪いから泊まりがけで看病に行くからって母に言ってきたの。だから朝までいるから安心して」
──ねえ、それって。もう怒ってないってことでいいんだよね?
直接聞きたかったのに、また私の意識は深いところへ落ちていった。
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