第5話 ひとつになりたい 〈慧視点〉

 明け方、気づくと目の前に莉理が眠っていた。

 部屋はまだ薄暗いけれど、莉理のまつげの一本一本まで見える。

 聞こえるのは莉理の寝息と私の呼吸だけ。

 莉理はどうにか見つけたのか私のグレーのスウェットを着て、化粧も落としている。こんな無防備な姿を久しぶりに見た。

 ──なんて可愛いのだろう。


 自分の姿を確認すると、シャツのボタンがいくつか外され、パンツのベルトが抜かれていた。莉理が少しでも私が寝やすいようにしてくれたのだろう。

 莉理を起こさないようにそっとベッドを抜けると、シャワーを浴びて全身洗い、すっきりした。体調もだいぶ良くなっている。


 莉理がまだ眠っているので、ドライヤーはせずにTシャツと短パンを身につけ、首回りにタオルを巻いたままベッドの端に腰掛けた。

 手を伸ばして莉理の前髪の間に指を差し入れ、丸い額をそっと撫でる。

「ごめんね、莉理」

 知らず知らずのうちに呟いていた。

「愛してるよ……」

 その瞬間、莉理がふわりとまぶたを開けたので、思わず手を引っ込める。

「起こしちゃった?」

「……」

 ただ私を見つめる莉理の瞳が潤んで、雫となって頬を流れた。

「久しぶりに言ってくれたね、ほんとの<愛してる>」

 胸の奥がぎゅっとした。莉理はみんな分かっていたのだ、私の気持ちを。

「私は本当に伝えたい時に言いたいの。──愛してる莉理」

 ベッドに横たわり、腕を伸ばして莉理の細い体を抱き寄せる。

「ずっと聞きたかった。なかなか言ってくれないんだもん」

 私の腕の中で泣きじゃくりながら莉理が言う。

「ごめんね、莉理ごめんね。寂しくさせたね」

 莉理の涙が私の胸元を濡らして、じんわり温かくなっていく。

「莉理は? ──私をまだ好き?」

「大好きだよ。私も意地張ってごめんなさい」


 莉理が体を起こして私の顔を覗き込んだ。

「昨日のプレゼン、すごく立派だった。慧が本気で頑張ってきたのがわかって、私、誇らしいのと、怒りすぎて悪かったなって気持ちで。ごめんね」

「それで泣いてたの?」

「そうだよ」

「じゃあもう怒ってない?」

 莉理の涙を指で拭うと、莉理はにっこりと微笑んだ。──私の大好きな笑顔。

「怒ってない。多分、PTの人たちにやきもち妬いたのもあったと思う。私には入れない難しい世界だから。

 でも、昨日具合悪くなったのに連絡くれなかったのは怒ってる」

 つい苦笑いが漏れる。

「何それ。連絡出来ないくらい具合悪かったんだって」

 莉理も笑いながら私の額に手のひらを置いた。

「もう熱はなさそうだね。大丈夫?」

「うん、もうすっかり大丈夫。何だったんだろう、昨日の吐き気」

 莉理がいたずらっぽく笑って言った。

「多分、莉理成分が不足していたんじゃない?」

「──そうかも」

と言うと、私は莉理の唇を自らのそれでふさいだ。

 口づけしながら莉理の背中をきつく抱き締めると、驚いたように体を震えさせた莉理の目が閉じ、吐息が大きくなっていく。


 しばらく夢中でキスをした。莉理の唇がマシュマロのように柔らかく、私の唇に吸い付いてくる。

 ──ああ、キスってこんなにも気持ちいいものだったか。

 角度を変えつつ唇を重ねながら、片方の手を握り合い、もう片方の手のひらで体中を撫で合う。莉理が触れる場所が微細な電気を放つように感じる。

「莉理……莉理」

「──ん……慧、大好き」

 息継ぎの合間に名前を呼び合い、また強く唇を吸うたび、愛情がダイレクトに行き交った。

 いつしかお互いの舌を絡め合ううちに体の奥から熱いものが吹き出してきて体中を満たし、指先までビリビリと痺れていく。

 このまま莉理が欲しい──。


 ──でも。


 反射的に私は莉理から唇を離していた。

 至近距離で見つめ合う二人の息が乱れている。

「莉理、私は……」

 なんと言おうかと言葉を選んでいるうちに、莉理が私の頬を優しく両手で包み、囁いた。

「私は、慧が好き。慧とひとつになりたい。もう、好きって言うだけじゃ足りない。

 ──そう思うのは私だけなの?」


 顔にかーっと血の気が昇る。

 莉理が愛おしくて爆発しそうだった。


「わ、私も……でも、私は……」

「それなら、もう何も考えないで」

 莉理が上体を起こして私にまたがり、上から被さるように私にキスをした。

「でも、私髪がまだ濡れて……」

 自分でも今更何を言っているんだろうと思いつつ呟くと、莉理は細い指で私の唇を塞ぎ、蠱惑的に微笑んでこう言った。


「これからセックスするのに、そんなの関係ない」


 莉理の目が青っぽく光っていた。

 ──莉理が私を欲しがっている。

 体温が一気に上がるのを感じる。昨夜の熱とは違う、みなぎるものが私を突き動かそうとしていた。

 きっと私の目も莉理と同じように光っていたことだろう。

 ──莉理が欲しい。

 ──莉理のものになりたい。



 結局その日、私たちは二人揃って会社を休んだ。

 別の部署にいるのはこんな時都合がいい。

 そのまま午前中はずっとベッドの中にいた。セックスしては果てて気を失うように寝て、また目覚めては再び交わった。まるで今までを取り戻すみたいに。


 お昼近くになり、ようやく二人とも落ち着いてきて、莉理に腕枕をしながらぽつぽつと話した。

「私、こういうことってすごい恥ずかしいものだと思ってた。裸になって普段隠しているところを出しちゃって、なんだか変な体勢で。私は経験が少ししかないけど、気持ちいいものでもなかったし。なんでこんなことみんなしたがるのかわからなかった。

 でも、こうやって莉理としてみてわかったけど、セックスってコミュニケーションだったんだね。言葉で話すよりたくさん莉理と伝え合えた気がする」

 莉理は微笑んで頷いた。

「私も、彼の要望に応えるのがいい女だと思ってた。私がしたくなくても相手がその気になったら断ったらいけないと思っていたし、自分から積極的になるなんて考えもしなかった。

 でも、慧としてなんか目覚めちゃったかも」

「すっかり翻弄されたよ。気持ちよすぎて動揺した」

 莉理は満足そうにため息をついた。

「ふふ。でも慧こそすごかったよ」

「ほんと?」

「うん。何回か意識飛んだもん。こんなの初めて。今までで一番」

 ぱあっと世界が明るくなるように思えた。

 やっぱり莉理は私が欲しい言葉をちゃんと言ってくれる。


 最初は莉理にされるがままだった。なぜ莉理はこんなにも私の感じる箇所が分かるのだろうと不思議なほど、ただ莉理のもたらす快感に溺れながらも、私もこうしてみたい、莉理に返してあげたいと脳裏に必死に刻み、それをなぞるように莉理を愛した。

 私より丸みを帯びて、ふわふわとした莉理の身体中にキスをした。こんなにも好き、こんなにも愛していると肌に直接伝えるように。

 つたない私の愛撫だったけれど、莉理がさりげなく私を導いてくれて、莉理の反応から彼女の感じるポイントがわかっていき、時間をかけて莉理が私の手で初めて達した時は幸せで胸が張り裂けそうだった。

 莉理がとろけるような表情のまま眠りに落ちるのを見て、もしかして自分はなかなかセンスがあるのではと感じてはいたけれど、どうしても過去の男性達と比べたらどうなのかという不安が拭えなかったのだ。


「私、この意味でももう慧から離れられない」

 莉理が笑って私の額にキスをする。

 なぜあんなにもセックスに進むのが不安だったのかと思うほど、気持ちが晴れていた。

 と同時に、躊躇していた時間をもったいなくも感じるのだから現金なものだ。


「慧ったらするたびにどんどんうまくなるんだもん。頭の中でPDCA回してたでしょ」

「そうかも。今回はここでこんな反応だから次回は両手を使ってこうしてみようとか考えちゃった」

 莉理が吹き出した。

「もう。仕事出来る女はえっちも上手いんですね」

 ありがとうございます、とおどけて言うと、莉理は身を乗り出した。

「ねえ、私は? 慧も私から離れられない?」

「うん。セックスってこんなにいいものなんだと教えてもらったよ。一人でするのと全然違うね……」

 思わず言ってしまって、顔から火が出そうになった。

「え! 慧ったら一人でしてるんだ? 私を放置しておきながら!」

「それは本当にごめん。だってどうしても自信が持てなくて」

「あーもう、慧のそういうところ本当にめんどくさい!」

 莉理が呆れたように言ったのを聞いて、私は唖然とした。


 ──私が、めんどくさい……?

 ──ていうか、そのNGワード、莉理が言う……?


 莉理はそんな私のことなど気にせずに続けた。

「もうそういう風に一人でぐだぐだ考えて一人で勝手な結論出したりするのやめてよ?

 ……それと、一人でするくらいなら私を誘ってよね」

 起き上がった莉理が再び私にのしかかってくる。

「ねえ、一人でどうやってするの? この指でするんだよね?

 ──もう二度と一人じゃできないくらい、私が気持ちよくさせてあげる」

 そう言って私の指を口に含んだ莉理はたまらなく扇情的だった。


 彼女から目が離せない私に莉理はもう片方の手を伸ばし、足の間に指を伝わせた。

 ──そこはもうすっかり準備が出来ていた。 

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