第3話 慧と一緒にいたい 〈莉理視点〉
朝になり、ようやく慧からメッセージが届いた。
すぐに既読にするなんてしゃくに障るけれど、慧と会話したい気持ちのほうが勝り、結局開いてしまう。
<おはよう。昨日はごめんね。寝落ちたまま起きなかった>
<おはよう、疲れてるの?>
<例のPTでちょっとね>
最近、会社はデジタルトランスフォーメーションを推進するための社内横断PT(プロジェクトチーム)を立ち上げ、慧はその核となるデータベースを操る技術を身につけていることから、実行リーダーに選ばれていた。
まだ異動してきて半年が経ったばかりだし、年上だらけのメンバーの中でいろいろと気を遣いながら頭を悩ませているらしい。各部署のリーダーをまず育成し、彼らを中心にそれぞれの部署内の水平展開を今年度中に行わねばならず、育成計画やマニュアル作成まで慧が担っているという。
慧はどちらかというと一人で黙々と作業をするタイプなので、リーダーとしてメンバーを引っ張っていったり、大勢とコミュニケーションを取っていくのはプレッシャーも大きく、ストレスで最近疲れた顔を見せていた。
それが分かるから、あまり怒ることもできない。
慧だって頑張っているんだから応援したい。
──慧の足手まといになりたくない。
<お疲れさま。今日はランチ一緒出来る?>
<んー、ごめん、午後イチから打ち合わせあるからちょっと無理そう>
そのメッセージを見て、前向きになろうとした気持ちがまた波にさらわれる砂のように崩れていく。今週は一度もランチを一緒に食べていない。
涙が出そうになり、<寂しい>とつい入力してしまう。
<ごめんね。どっかで埋め合わせするからね>
その後は通勤準備に忙しくなったのか、慧からの連絡は途絶えた。
慧とのランチはよく、会社の通りから一本入ったところのビル地下にあるカフェに行く。
毎日のように通ううちに、カフェのマスターは私たちを「バドミントン選手のペアに似てる」なんて言っていつも決まった席を取っておいてくれるので、一人の時もついつい通ってしまう。
ランチメニューが日替わりパスタとサンドイッチしかないからあまり会社の人たちは来ないし、席の間取りが個室っぽくなっていて人目につかずに話せて落ち着く。まあ、誰に見られたところで仲良しの同期としか思われないのだけれど。
女同士はその点は気楽だけれど、面白おかしく詮索されたくないし、元彼も同じ部にいる以上、慧との関係は周囲に悟られないよう、お互いに気を付けてきた。
あの日、突然慧に告白された後、自分が彼の単なる浮気相手だった事実にすっかり自信を失っていた私は、自分のどこがいいのか慧に尋ねた。
慧はいつもサバサバとしていて恋の噂もなかったし、恋愛なんて興味もないと思っていたから、まさか私のことを思ってくれているなんて想像もしなかったのだ。
階段に並んで座ると、慧は視線を合わせずに、落ち着かなく指を交差させながらぽつぽつと話した。
「莉理の感情が豊かなところ。表情がくるくる変わって、こんなに表情がわかりやすい人いるんだな~って、最初は面白い子だと思ったんだけれど、この人は嘘とか隠し事ができないんだろうなって思えてきて。
私はよく、何考えているか分からないって言われるから、そういうところいいなって思って」
そして、ふーっとため息をついてまた続けた。
「でも、最近は元気なかったから、心配だったけれど、どう聞いたらいいのかわからなくて。
そしたら、佐々木先輩が実は東京に本命がいるって噂を聞いて、そういうことかって思って……。
別に私がしゃしゃりでることじゃないと思ったんだけれど、でもあんな可愛い莉理がそんな男のせいで苦しんでるなら、私が幸せにしてやるって思ったの……」
言いながらみるみる慧の顔は赤くなっていった。
「わ、私、根拠もなく何を言ってるんだろう、恥ずかしい」
その時、直感が告げた、
──私、この人と一緒にいたい。
慧は真っ赤になったまま涙目になり、「急に変なこと言い出してごめんね」と言った。
いつも冷静な慧が初めて見せる慌てた表情が、彼女の言葉が本物だと私に伝えている。
一番しんどかったこの日、慧がどれほど私を救ってくれたか彼女は分からないだろう。
「ありがとう。また別の日にゆっくり話をさせてね」と言うと、まだ業務があるという慧は何度も振り返りながら階段を下りていった。
私はトイレに寄って涙で崩れたメイクを直すとフロアに戻り、残務を処理して会社を後にした。
長い寒さからようやく解放された5月。
春の終わりの大通公園はニセアカシアの甘い香りが夜でも漂い、どこまでも歩いていきたくなる。
歩きながら私は考え続けた。
そう、ずっと心のどこかで彼を信じられなくなっていったのに、「この人と結婚さえすれば勝ち組になれる」という打算が働いて、彼が私に隠す部分を見ず、彼が見せる部分だけ好きで信じようとしてきた。
両親も賛成してくれていたし、彼と結婚するのが親孝行にもなると思ってきた。
でも、慧の言う通り、このまま彼といても、万が一結婚できたとしても、ずっとあの女性の存在が頭から離れないだろうし、彼を疑い続けるだろう。
そしてそれは幸せとは言えないだろう。
どうしようもなく辛かった今日、私の異変を察知して来てくれた慧。
すごい勢いで私を抱きしめ、私を幸せにしたいと言ってくれた慧。
私の表情がわかりやすいところが好きなんて、今までの恋人達は誰も言ったことはなかったけれど、幼い頃、祖母にそこが莉理の長所と言われていたから、思い出してすごく懐かしく嬉しい気持ちになった。
慧と一緒にいたいと思ったのは、今は本当に直感的な思いでしかない。
でも、慧となら、私は笑って楽しくいられると思う。
たった一ヶ月ほどの仲だけれど、慧の前ではカッコつけたり、女性らしくなんて気を遣わずに素でいられたし、慧も楽しそうにしていた。
冷静な理性が内側から囁く。
──女性と付き合うってこと? 夢だった結婚もできないのに?
──どうしてここでまた苦労するような道を選ぶの?
──親に紹介までした彼氏と別れて、まだよく知りもしない女の子と付き合いますって報告するの?
──慧は本社の人だから、あと2年したら本社に戻る。私は札幌に残ったまま。遠距離になっても続くと思う?
考えたらいくつも出てくる、慧へ向かう心を歯止めする理由たち。
でも、ずっと聞かないようにしていた直感の声に、今度は耳を傾けたい。
──まだ恋ですらないけれど、慧と一緒にいたいというこの気持ちを信じたい。
その週末、私は彼に別れを告げた。
彼は全く予想していなかったようで、面食らったような顔をしながら、ちょっと時間を置いてお互いに考えようと言ったけれど、その翌週末も私の気持ちは変わらず、私たちは別れた。
それから慧に連絡を取り、慧の気持ちを確かめ、自分の気持ちを告げた時にはもう私は彼女のことをはっきりと好きになっていた。
──私たちが付き合ってまだ5ヶ月。
私は同性と付き合うのが初めてだし、慧はほとんど恋愛初心者だったので、私たちは恋人となった相手の勝手がつかめず、よく喧嘩する。
大抵が、すっかり恋愛以前のようにドライで冷静な慧に戻ったことにより、慧の言動に私が勝手に傷ついたり、寂しくなったり甘えたくてわがままを言って慧が呆れたりすることが原因だった。
だから喧嘩を少しでも減らしたくて、私はルールを作っていった。それさえ守ってくれたら私は満足できたから。
でも慧はもうルールも、もしかして私のことも面倒だと思っているんだろうか?
それとも、今の忙しさが一段落すれば、また元通りになれるのだろうか?
「最近一人だねえ。ペアの子はどうしたの?」
と言いながらマスターがペペロンチーノとスープを持ってきてくれた。
「忙しいみたいでフラれちゃうんです」
悲しげに答え、いただきますと手を合わせて食べ始めた。お行儀が悪いけれど、スマホをいじって慧とのトーク画面を開く。やはり私が昼前のトイレ休憩の時に書いた、残業について尋ねるメッセージもまだ既読になってない。
ふと思いついて社内用のトークアプリを立ち上げた。自分が参加しているもののほか、PT用のルームもあり、慧の参加PTもあった。経営企画担当社員は社内PTの管理も業務の一つなので、申請なしでそれぞれのグループトークに入室する権限がある。PT用のグループトークは大体が閑散としているか技術的な話が続くので最近は全く見ていなかったけれど、見る気になったのはカンが働いたのだろう。
慧のPTグループに入室すると、そこには積極的に会話する慧のアイコンが並んでいた。
今はまさにこれからのプロジェクトの内容と、役員への説明タイミングについて会話が続いていた。
お昼なのにお疲れさま……と思いつつ、慧の積極さを意外に思いながらスクロールし遡っていくと、昨夜まで行き着き、私の指が止まった。
昨晩の私とのLINE画面も開いて確かめる。
──やはりそうだった。
私との会話の途中、慧が反応しなくなり、私が<また寝ちゃったの?><今日もおやすみなかったね>など書いても朝まで既読にならなかったまさにその時間、慧はPTトークで説明会後の打ち上げについて楽しそうに話していたのだ。
指が震える。
『私絶対モスコがおいしいとこがいい!』とか、『早く飲みた~い』とか『疲れすぎて目が冴えてなかなか眠れません』とか。
ずいぶん楽しそうじゃん。
私には寝落ちちゃったって朝言ったくせに。
『眠れないなら、ソシャゲでもするか』とメンバーの一人が言い出し、慧も賛成して会話は途切れた。きっとゲームに移っていったのだろう。
──ひどいよ、慧。
PTで疲れているっていうから我慢してきたのに。
私との会話よりみんなとゲームするほうを選んだんだね。
「おやすみ、愛してる」さえ言ってくれたら私は安心して眠れるのに。
その言葉を入力するのすら、面倒だったの?
パスタを食べるどころではなく、私はフォークを置いて顔を手で覆った。
涙があとからあとからあふれた。
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