第8話 浅き夢見じ

見舞いのついでと言って、芥川に聞いたことを思い出す。

人虎じんこはどのようなやからか?」と。


いまだベッドから起き上がれず、点滴の管につながれた芥川は、少し考えてから答えた。


阿呆あほうです」


その顔は怒りでも苛立ちでも苦し紛れでもなく、憂うような目の色で、少しずつ言葉を繋いでいった。

人虎は助けに来た探偵社の船を一度断り、芥川に命を絶たれようとしていた鏡花を救うためだけに戻ってきたのだそうだ。ポートマフィアでも最悪と言われる凶暴性を持つ芥川を相手に戦いを挑み、そして、これほどの痛手を食らわせた。


その鏡花も、人虎を船から逃がすために、密輸船を爆破させていた。


完全な。何の言い訳もできない、ポートマフィアへの裏切り行為。

幹部一人の懇願程度で、無罪放免とできるようなことではない。

だがなぜ、首領ボスは鏡花への報復を命令されないのか…


「手駒の不始末は、雇い主であるやつがれが責を負うべきもの。爆破による密輸船の損失も、僕の負債。…鏡花は人虎が略取した。事実はそれだけです。」


それだけですが…


芥川は、ゆっくりとこちらに視線を移し、さみしげな顔をして告げた。


「鏡花はもう、戻らぬのでは、ないでしょうか?」



――― 人虎も阿呆じゃが、芥川も相当じゃの。…かばうような真似をしおって。


芥川の人虎捕獲における数々の失態の要因は、鏡花にある。

その裏切り自体が、覚悟の現れ。

例え世間そこが、おのが場所でなかったとしても、もう組織ここへは戻らぬ決意。


鏡花に見ていたのは、自分自身の過去の傷。

独り相撲であったことに気づいていなかったのはわっちだけ、というわけか…。

愚かなことよ。



「ねーねー。姐さぁーん。取引ぃ~。承諾してくれるぅ~よねぇ~?」


・・・五月蠅うるさい。

少しぐらい郷愁きょうしゅうに浸らせろ。この悪巧わるだくみ小僧が。

ベッド脇に置いた椅子にだらしなく座り、先ほどまでの真面目な顔など微塵も感じさせぬ、だらけ切った表情で問いかけてくるのが苛立ちを加速させる。


鏡花の奪取に赴いたものの、結局は組合ギルドに邪魔をされ、あまつさえ武装探偵社に人質に取られ、…そして今、かつてポートマフィア幹部であった太宰に取引を迫られている。


この男は、こちらがこの取引を拒否することができないことを知っていて持ち掛けているのだ。すでに囲いは終わっているはずなのに、さらに追い込みをかけてくるこのやり方がまた…


あぁ。だからか。

どうしてあーも中也は太宰にかみつくのかと思っていたが、確かに言いたくなる。「クソ太宰」と。

ふざけているのか至極真面目なのか、あるいは醜悪な悪意を取り繕うための芝居か。


そのどれだとしても、胡散臭いこと、この上ない。


「だとしてもじゃ。鏡花の行方がつかめぬ以上、お主の計画は始まらんのじゃろう?」

「計画は計画だよ。準備はする。あとは、出方次第だね」

「誰の?」

「みんなの」

太宰は満面の笑みで答える。


腹の底の知れない男だ。昔からではあるが…

中也のほうがまだいい。あれは単純明快。よく言えば素直で真っすぐな子だ。

下に来たのがあの子でよかった。太宰などは到底、面倒は見切れなかった。…その上、首領がいいように教育していた。醜悪さに磨きがかかったのはそのせいか?


「もし、鏡花を壊すようなことがあれば、わっちは許さんぞえ?努々ゆめゆめ忘れるな。たとえ相手がお主であろうと、どんな手を使ってでもお主をくびり殺し、探偵社を壊滅させる」


最後のあがきだ。

だが、太宰は余裕でこう答えた。


「大丈夫。そうはさせませんよ。私ではなく、敦君がね」


呆れるほど、何の曇りもない笑顔をむけられ、何も言えなくなってしまった。

…なんだ。

お前は人虎を、ずいぶんと信頼しているのではないか。


そしてつい、口角が緩んでしまうのだった。

子弟そろって、阿呆よのぉ。

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