第7話 色は匂えど

首領ボスが呼んでいる。


部下からの連絡で、拠点消失による被害確認に奔走していた広津は、現場に後を任せ、首領の部屋に戻ってきた。


窓から見える壮大な空を、見るともなしに眺めながら、広津の報告を聞く首領の表情は、どこかうつろだった。肘掛け椅子にすわり、軽く足を組み、肘をついた手に頬を乗せている。


「…現状で確認できたことは以上です。追って、報告を上げます」

「うん。ありがとう」

「はい」


一礼したものの、首領はそれ以上、何も言わない。

この程度の事を聞くために、わざわざ自分を呼び出したわけではないであろう。

少しの間待つことにした広津は、首領が眺めているはずの空に、視線を投げる。

なんということのない、薄雲と青が交錯する、穏やかな空だった。


いろにおえど」


唐突に発せられたのは、和歌のようだった。


りぬるを、世誰よたれぞ、つねならむ」

「…いろは歌。ですか?」

「うん。…諸行無常、だねぇ。…死者や行方不明者に家族がいたら、それなりの手当てをしてあげてほしい」

「承知いたしました」


広津は再び一礼する。その様子を眺めながら、首領は言葉をつなげる。


「ちょっと、…昔話をしたくなってね」

それは、独り言のように静かな声だった。


「紅葉君と話したんだ。鏡花君のことについてね。

鏡花君は、…おそらく、もう戻らないと踏んでいる。私はね。

ポートマフィアから失踪、逃亡だけならまだいい。宿敵武装探偵社に駆け込み、あまつさえこちらの情報を流出させたとあれば、…その罪は死に値する。

裏切者としても、そして武装探偵社の者としても、標的として我らが狙うべき人物となりうる。」

「今までも、そうでした。例外は許されません」

「そうだね。例外を作ったらその時点で、『おきて』は効力を失う。形骸けいがい化し、秩序は乱される。それはあってはならない」


はぁ。。。

深いため息をついた首領は、そこでやっと、広津の顔を見上げた。


「だが、私は例外を作るのかもしれない」

「許す。のですか?」

「紅葉君が、連れ帰れるものならね。」

再び窓の外に視線を戻した首領は、もう一度、軽いため息を落とす。


「十四歳か。…彼女が肩入れするのも、わからないでもない。自分と同じ思いを、させたくはないんだろうね」


広津自身も、その話は知っていた。

紅葉と恋仲となった男との逃亡未遂に対し、先代が無情な制裁を科したことも。

彼女を生き長らえさせたのは、死とは違う形の「制裁」であったことも。


「同情、ですか?」

「同情か…ふふふ。うん。そうかもしれないけれどね。

秩序を守ることはすなわち組織を守ること。だが、それだけでは組織は続かない。組織というものは、すべからく『人』が作っているのだからね。人は『心』で動く。『心』は厄介だ。強い信念を持ち合わせているようでも、ある局面では移ろいも容易に見せる。だから、それだけに動かしやすい。

そりゃあ、ここまで大きな組織になったんだから、末端の人間まで、絶対の忠誠心で組織に属しているなんて、そんな夢物語は信じていないよ?

でも、今、紅葉君を手放すわけにはいかない。」


首領は笑った。


「花がね。舞っていたんだ。美しかったよ、とても。

彼女は、私の眼前に舞う花びらを切って見せた。

それは、武装探偵社とあいまみえようと鏡花君を奪取する。という意思表示でもあるし、同時に。


はばむのなら何人なんびとも容赦しない。という、彼女の殺気だったよ。


どんな理由があろうと、女性を本気で怒らせてしまうと、怖いからねぇ」


そう語る首領の笑顔は、至極穏やかだった。


「では、紅葉君は探偵社に?」

「うん。まぁ、彼女の事だから、きっと早く動くよね」

「…首領」

「ん?」


言おうとして、…しかし広津は口を開くのに躊躇した。

首領の真意は、別にある。


「言ってみてよ。広津さん。…私のことは、わかっているのだろう?

それにね。これからの展開が見えている人がいたほうが、私も面白い。」

首領の目には、その笑みとは別に冷たいものを秘めている。ごまかしは効かない。


組合ギルドが我々と探偵社を同時に挑発してきている今、このタイミングで武装探偵社に手をかける。…彼女は斥候せっこう部隊ですね?戦争の口火を切らせるおつもりですか?」

「そうだよ?」


すべては私の掌に。


「部下の懇願をしぶしぶ受け入れる温情溢れる組織のおさ。というのも悪くない。同時に、敵の出方を見ることもできる。武装探偵社に至っては、この戦争の前に一撃を加えておきたい。…今の紅葉君なら、一人や二人ぐらい、絶命させられるかもしれない」


ふふふ。

首領は両の手を組み合わせ、今度は醜悪な、マフィアの長たる笑みを浮かべた。


「戦争ってのはね。勝たなければ意味がないんだよ」


彼女の戦果を期待しよう。



広津は、無言のまま、深く一礼をした。

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