第10話 帰還
この香り…。
その人は、いつもいい香りがした。
男の俺がそんな香りを持つわけもなく、だからと言ってどの女性にも共通するものではない。
香水なのかと思ったが、他に似た香りに出会ったことがない。
その正体を聞くことも考えたが、それではいつもそのにおいを感じていたことを、本人に知られてしまう…。
だから、未だになんの香りなのか、知らない。
―――
かすかに揺らされている身体から、車中にいることと、仰向けに寝かされていることぐらいは、わかった。
瞼の向こう側で、時折ほのかな明かりが通り過ぎるのも感じていた。
このまま、目を開けずに再び眠りについていいはずなのに、
自分を包む柔らかなぬくもりと、かすかに鼻をくすぐる香りの正体が見たくて、無理矢理に目を開ける。
「…起きたのかえ?」
頭上から降り注ぐ声の主は、その香りの人で。
帰ってきたときには、すぐにでも聞きたいことが山ほどあったのに。
仕事が終わったら…と
今やっと、…この人の顔をゆっくり見られるはずなのに。
俺の口からは全く違う言葉が出てくる。
「…だ、ざい。…は?」
思ったほどの声が出ない。
…あいつに「てめぇが拠点まで連れていけ」と言っておいたはず。
「アレが律儀にお前をおぶって帰ってくるわけがなかろう?見事に地面に放り出されておったわ」
んぁ????
あんの腐れ
…と叫びたいのに、声帯が追い付かない。
無駄な怒りの形相と、手足を少々ばたつかせる程度になってしまう。
「これ。
額を押さえつけてくる手は少しひんやりとしていて、なのに柔らかく心地いい。
薄暗がりで、その表情は良く追えないけれど。その声は、俺の耳に優しく響く。
「…
その、猫にするように、髪をなでるのをやめてくれ。
と言いたかったが。…おそらく、この人は自分がそんなことをしていることにも気づいていない。
「留守にし過ぎて、悪かった」
対向車のライトが一瞬だけ照らしたのは、見たことのない悲しげな顔。
「あねさん」
「ん?」
まだ、言えてなかった。
「おかえりなさい」
姐さんは、空いてる手で俺の左手を握って、答えた。
「ただいま」
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