彼女に拾われた猫は、彼女の為になにを願う

小野

#1


 私は猫だ。

 何処にでもいる普通の白猫。


 そこらの猫と違う所と言ったら、それは彼女に拾われたことだろう。


 彼女は産まれたばかりで捨てられた私を、長い間見て見ぬふりをされ続けて、今までどうにか生きながらえた、この薄汚れた私を、この広く残酷な世界からたった1人、見つけて、拾ってくれた。


 彼女はただの気紛れだったのかもしれない。

 私じゃなくても良かったのかも知れない。

 けれど私は彼女で良かった。とても嬉しかった。


 その時、彼女はまだ子どもだった。


 親に相談も無しに拾ってきた私を、親はひどく反対していた。

 彼女もひどく親に反発していた。


 それは果たして私の為か、はたまた彼女自身の為なのか。


 私はただ、時の流れに身を任せるしか無かった。


 もはや口喧嘩と化した会話を聞いていると、ふと意識が遠のくのを感じた。


 自分で自分の身体を自由に動かすことの出来ない私は、ここずっと水も食べ物も口にしていなかったのだ。


 それに気付いた彼女とその親が焦るなか、私は、彼女の抱えた段ボールの中でひっそりと眠ってしまったのだった。



 気付くと、既に私は家の中にいた。

 彼女家だ。


 私の下には、良い匂いのする柔らかなタオルが敷かれていた。


 起きた私を見て、彼女の母親は頬に手を当て、「困った子ね」と苦笑した。

 それは彼女のことか、私のことか。


 彼女はスキップで私に近寄って来ると、「あした、おふとん作ろうね!」と私に微笑み掛けてくれた。


 私は彼女に小さく返事をした。



 ────これが私と彼女の出会いだった。



 それからは彼女とずっと共に、片時も離れずに時間を過ごした。


 もわっと暑い日も、凍えるように寒い日も、ふと眠くなるような暖かい日も、元気になれる晴れの日も、なんだか落ち込む雨の日も。


 元気に笑う彼女。

 悔しそうに泣く彼女。

 嬉しそうにはしゃぐ彼女。

 むくれて拗ねる彼女。

 恥ずかしそうに照れる彼女。



 私と彼女はいつも一緒だった。




 そして彼女はすくすくと元気に育っていった。


 好奇心旺盛で、脳天気で、元気で明るい、笑顔を絶やさない彼女。




 ある時から、段々とその笑顔を曇らせていった。



 何が彼女に起きたのか。

 彼女は涙を流し、嗚咽を漏らしながら、私を胸に抱いて、弱々しく語ってくれた。


 どうやら高校という場所で、彼女に1人の男が告白をしてきたようだった。


 その男は高校で誰もが憧れるような、そんなすごい男だったそうだ。


 しかし、その男にそれほど心を許していなかった彼女は、嬉しく思いながらも、その男の告白を断った。断ってしまった。


 すると、数日後から急に周りの態度が変わった。


 自分と仲良くしていた友達が1人、また1人と彼女から離れていく。


 そして彼女自身も酷い罵倒に、醜い嫌がらせを受けるようになった。


 彼女は嫌がらせの内容を語らなかったが、彼女には酷く辛いことだったのだと思う。



 そして私は無力のまま、ただ彼女に寄り添うことしか出来ぬまま、1年が過ぎた。



 彼女の母親は、仕事の都合でしばらく遠くへと行っていた為、幼い頃に既に父親を亡くしていた彼女は、家に私と彼女の2人きり。


 振り込まれるお金をやりくりして、生活をしていた。


 そして、学校を休みがちになった彼女がどうにか耐え、高校2年生となる頃、既に私は16歳を迎えていた。


 私はもう、おばあちゃんだ。

 もう生きていられる時間も長く無い。


 それでもこのまま彼女を1人にできない。

 優しくて可愛い彼女を、笑顔の似合う彼女を、私すら居なくなった、そんな寂しい家へと返すわけにはいかない。



 私は自分の身体を叱咤しったして、彼女にまだまだ元気なように振る舞った。




 彼女は、学校では親と住んでいると認識されていたらしい。

 どうにか彼女が誤魔化していたのだ。


 しかしその日、いつもより彼女は帰りが遅かった。


 どうしたのかな、なんて思っていた矢先、扉が乱暴に開け放たれた。

 彼女じゃない、彼女ならこんなに乱暴に扉を開けない。


「やめてよッ!!」


「え、いいじゃん! 母親今いないんだろ?」


「そういうことじゃ……」


「うっせぇ……なッ!」


「っ痛ッ!!」


 リビングに入るなり、彼女の髪を掴んで、床に転ばせる男。


 抵抗も虚しく、吹き飛ばされる彼女。



「俺の告白なんで断ったんだ?」



 倒れた彼女の側まで近寄り、睨みながら屈んで低い声で唸るように言う男。



「あ、あなたのこと、全然知らないから……」


 震える身体を抑え、それでもふるえる声で答える彼女。

 すると男は急に吠え出した。


「つかそんなどうでも良いことでフラれたの俺ッ!!」


「ど、どうでもいいことじゃ……」


「俺にはどうでもいいんだよ!!」


「ひッ!」


 彼女の身体を支えた腕のすぐ近くを思い切り踏みつける男。

 余程の力なのか、大きな衝撃音が鳴った。

 彼女は恐怖で小さくなる。


「俺さ、ずっとアピールしたよな? フラれても優しくしたよな? なんで俺に惚れないの?」


「………」


 彼女は俯いて、口を閉ざす。

 彼女は聡い子だ。気付いていたのだろう、この男の偽りの性格に、自分の身体を舐めるように這わせる視線を。


「お前の友達が全員いなくなって、嫌がらせを受けて、それでも優しく接した俺に、なんで寄ってこねぇんだよ!!」


「ッ!!」


 今、男自身が「自分が彼女を孤立させました」と自白してしまったが、そんなこと今更どうでも良いのだろう。


つまりこの後、この男の取る行動は。



「もういいや……わざわざ心も手に入れるのは諦めるわ。」


「そ、それって……」


「ああ、そうだよ、お前の身体だけで良いってこと!!」


 そう言って男は倒れていた彼女に勢いよく覆い被さった。


「お前さ、改めてさ、すんげぇエロい身体だよなぁ。男子の中でも人気あんだぜ。顔も可愛いのに、身体も最高で、そりゃ自分の奴隷にしたいってなッ!!」


「い、いやッ!! やめて!!」



 彼女は男を両手で拒むが、力で男に敵わない。



「いいじゃねぇかよ、俺のテクでぶっ壊してやっから! 俺無しじゃ生きられないようにしてやるからよ!」


「や、やだッ!! 助けて誰か!!」



 男はジタバタ暴れる彼女の腕を押さえ、改めて彼女の身体を舐めるように見渡していた。それこそ、何処から始めようか選抜をするように。



 彼女の爪が床を掻き、男の顔がひどく歪む。



 なぜ、人一倍優しい彼女がこんな目に遭うのか。なぜ、この男はこの状況でもそんなに嬉しそうな顔をするのか。なぜ、なぜ、なぜ。


 浮かぶ疑問なんか無数にある。

 それでも今すべきなのは……。



 ───彼女の流す涙を止めることだ。



 私は、何年も放置したような重い身体を必死に動かして、男の元へと走った。


 男の足にタックルする。


 しかし、自分よりも何倍も大きい男には、一欠片も意味を成さなかった。

 それこそ、男を煽っただけだ。


「しなもん……ッ!!」


 彼女は目を見開き、私の名を呼んだ。

 そして、私を求めるように手を伸ばしていた。


「は? なにこの猫」


 男は私へと振り返る。

 「良い所を邪魔すんなよ」と顔に書いてあった。


「なにお前の飼ってる猫?」


 男は余裕そうに彼女へ向き直り、質問する。


 その間もずっと私は全力のタックルをし続けていた。

 男にダメージどころか、私自身にとてつもないダメージが入っていた。


「しなもんっ……しなもんッ……」


 彼女は何度も私の名を呼び、大粒の涙を流して、手を宙に振る。

 男は自分よりも猫の私に意識の向いていることにイラついていた。


「あぁ、うぜぇ……」


 男が自分の頭を掻きむしった時、タックルじゃもう無理だと諦めた私は、大きく口を開き、男の足に噛みついた。


「ッ! いい加減にしろよ、クソ猫が!!」


「うあっ、しなもんッ!?」


 私の噛みつきも然程意味を為さず、私は男に思い切り蹴り上げられた。


 果てしなく重い衝撃が身体を襲う。

 それと同時に意識が飛びかけた。


 私は勢い良く宙を舞い、壁に激突する。

 壁に打ち付けられた身体の骨が悲鳴を上げ、そのまま床に叩き付けられた。


「うああッ……しなもんッ!!」


「お前もうるせぇんだよ! たかが猫だろうが!!」


「うぐッ……」


 彼女は私の名を叫び、男に怒鳴られ、お腹を殴られる。

 彼女が苦悶の声を上げ、息を思い切り吐き出すのと同時に、ますますその目に涙を浮かべた。



 彼女は霞む視界ですがるように私を見るが、当の私はピクリとも動かない。



「あああ……ああ……」



 彼女の表情が絶望の一色に染まり、私へ伸ばしていた手がパタリと床に落ちた。



「へへっ、やっと諦めたか」



 彼女が瞳から光を無くし、ピクリとも動かなくなると、男は満足そうに彼女へと手を伸ばした。


 男は彼女のブラウスに手を掛ける。

 


 ああ、どうして彼女にこれほどの愛と幸せを貰っておいて、それを返してあげられないのか。



 どうして私には彼女を包もうとする悪を消し去る、そんなチカラが無いのか。


 どうして私はこうも、彼女の側にただ居ることしか出来ないのか。


 どうして私は、彼女の傍に永遠に居続けることができないのか。






 どうして私は。








 どうして。








 どうして……。








 どうして………………。








 どうして……彼女の涙を拭ってあげられないのか。










 それは………………私が猫だからだ。








「……しな、もん……」





 絶望しながらも私の名を呼ぶ声。


 抵抗すらするチカラが残っていないのに、私を呼ぶ彼女。


 男は無慈悲にも彼女のシャツを脱がせると、自分のズボンに手を掛けた。


 男のベルトからチャリチャリと甲高い金属音がする。






「たす、けて……」






 彼女の虚空を見つめる目が私を求めた。






 ────その瞬間、私の中で何かが弾けた。



 全身が熱く燃えたぎるような、それでいて何でもできるような全能感に包まれて。


 共に在りたい、一緒に居たい、と彼女へと想いが強くなって、それと同時に男への怒りが込み上げて来た。



 私の薄くぼんやりした意識は、ひどく冷静に、そしてひどくはっきりと覚醒した。




「その手をどけろ、クズが」


「……へ?」




 男が振り返るよりも早く、その男の顔面に脚がめり込んだ。


 男が吹っ飛び、壁に顔面から衝突。


 阿呆みたいな格好で床に倒れる男の胸ぐらを掴んで、持ち上げる。


「ぐっ……が……」


 前歯が何本か折れ、鼻血を噴き出しながら呻き声を上げる男を、玄関まで引き摺って行くと、その場で宙に放り投げて、目の前に落ちて来たところで、男の股間目掛けて、思い切り蹴り付けた。


 男は身体をくの字に曲げて、玄関から外へと吹っ飛んだ。


 その後、男を全裸にして近くの公園に捨て、ゴミの服はそこら辺に捨てた。


 外が暗くて、夜はここら辺の人通りも少ないので、人に見つかる心配は無かった。



 家を出る前に、彼女は彼女の部屋のベッドに寝かせておいた。


 部屋に入ると、彼女は涙を流しながら眠っていた。たまに寝言で、弱々しく消えそうな声で「しなもん」という言葉を何度も口にする。

 その度に私の心は温かくなって、私の目にも涙が溢れ出てきた。



 これからは私がいつも一緒にいるのだ。

 どんな時も、片時も離れずずっと一緒に。

 彼女は私の全てなのだ。


 彼女を傷付けるやつは、私が許さない。


 

 私は、涙を拭き、姿見の前で自分の姿を確認する。


 白い大きめのシャツを1枚だけ来た状態の、白い猫耳と白い尻尾の生やした、それ以外は人間と大差ない少女。


 背丈と顔付きは、彼女が16歳だった頃と同じだ。


 私は何度かその場で回って確認すると、未だに涙を流し続ける彼女の元へと戻る。



「大丈夫にゃ。ずっと一緒にいるからにゃ」



 語尾になぜか「にゃ」が付いてしまう違和感を感じつつ、彼女の頭を優しく撫でて、おでこに口づけを1つ。



 私は彼女の傍に座り、身体を密着させて、共に温めるようにして意識を飛ばした。





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