第2話

 ◆


 約束の日になった。そう、飲み会の日だ。

 集合時刻は夜の7時。それまで特にする事もなかったので、僕は博則のアパートに上がり込んで一緒に時間を潰していた。

「なぁ、ヒロ。今回はどんな奴が来ることになってるんだ?」

「奴って言い方は無いだろ。安心しろよ。お前でも馴染み易そうな人を、俺なりに厳選してきたつもりだ」

 博則は僕に何枚かの写真を見せてきた。どうやら、その写真に写っている人が今回の参加者らしい。写真で見る限りは雰囲気は良さそうだが、小夜子さん以外は初めて会う人ばかりだ。

「それもこれも、全ては小夜子ちゃんに来てもらう為だ。人選、結構大変だったんだぞ?感謝しろよ」

 そう言って博則は僕の背中を叩いた。結構いい感じに痛い。

「正直不安だよ。これまで他人と関わる事を避けて来たんだ。それが、いきなり飲み会だなんてハードルが高すぎる」

「そうだろうな。まぁ、精神的に辛くなったら俺に任せろよ。酒で辛くなったときは知らんけどな」

 僕と博則は笑い合った。心なしか緊張の糸が少しだけ緩んだ気がした。


 時間は過ぎ、僕達は夜の繁華街の中を歩いていた。

 蛍光色に輝くネオンの看板が眩しく路面を照らし、外に設置されているスピーカーから流行りのJ-POPが流れる。ここはとても騒がしい。

 予約している居酒屋に歩みを進める度、僕の足取りはどんどん重くなっていった。先程まで在ったはずの余裕が、今は嘘のように感じる。

「ヒロ。やっぱり帰りたくなってきた…」

「おいおい!ここまで来て帰るは無しだぜ」

「で、でも無理だ…。こんな事、僕には無理だ」

 身体が震え始め、冷や汗が出てきた。それに吐き気と頭痛。典型的な緊張状態の症状だ。

「落ち着け、浩太。深呼吸して、大丈夫だ何ともないって言いな」

 博則の指示に従い、僕は小声で「大丈夫だ、何ともない」と呟き続けた。

 博則は「俺が付いてる」と言わんばかりに、俺の肩を組み歩き始めた。


 遂に、居酒屋に着いてしまった。

 博則がガラリを開け、のれんを潜る。そして後ろで固まっている僕の手首を掴み、中に引きずり込んだ。

「おっす。お待たせ」

 座敷の席には既に7人程の人が集まっていた。

「あ、ヒロ君だ」

「こんばんは、ヒロ」

「遅かったじゃねーの?」

 皆それぞれが博則に挨拶をする。そして、それらは直ぐに僕の方へと向けられた。

「あぁ、紹介するよ。築嶋浩太。俺の親友だ」

 博則は僕の肩を軽く叩きながら紹介してくれた。僕は軽く頭を下げた。

「あっ、この子が話してた子?」

「こんばんは、初めまして」

「よろしくなぁ」

 一遍に言葉が降りかかってきたので、僕は少し困惑しながら、「はは…」と薄ら笑いを浮かべた。やはり、こういう環境は苦手だ。

 僕は一番端に座ることにした。明るい雰囲気の女性が「何か飲みます?」と聞いてきたので、博則と一緒にビールを注文することにした。

「あれ?小夜子ちゃんは?」

 席に座りながら博則は周りの人達に問いかける。僕の向かいの席が空いていた。

「小夜子ちゃん、まだ来てないよ?」

「そっかぁ。そのうち来るかな?」

 博則はスマホを確認するも、彼女からの連絡は入っていないようだ。

「仕方がないから、先に始めちゃおうか!乾杯!!」

 幾つものグラスのぶつかる音が鳴る。これが、僕にとっての地獄の時間が始まるゴングのように思えた。


 ◇


 先ずは脂を細かく切り刻んでいく。大体5~7mm位の大きさを目安に。

 玉ねぎとニンニクも同じようにみじん切りにして、バターで炒めていく。

 しんなりしてきたら、粗熱を取ってから加熱処理をした血液を加える。

 ホワイトペッパーにキャトルエピス、塩を加えて混ぜる。更に生クリームと溶き卵を加えて煮詰めていく。

 そしてこれらを腸管に詰めていく。私は大体8cm程の大きさに合わせて捩じる。

 血管を使って捩じった部分を結んで、自家製ブータンノワールの完成。


「小夜子様。お料理中の所失礼いたします」

 エマがキッチンに入って来た。料理が完成した時の微少な高揚感を害されてしまった。余程急ぎの用事なのだろうか?

「どうしました?」

「本日は、その、浩太様という方とお会いされる日と伺っておりましたが…」

 私は、はっとして時計を見る。時間は夜の9時を回っている。

 いけない。料理に夢中になってしまった。

「直ぐに出ますわ。エマ、車をお願いします」

「畏まりました」

 私は手に着いた血の匂いを嗅いでみる。良かった、ゴム手袋をしていたおかげで臭いが全くしない。これは不幸中の幸いだ。

「待っていてくださいね、浩太さん」

 私は屋敷の玄関を開けた。


 ◆


 2時間が経った。しかし一向に小夜子はこの会場には現れなかった。

 飲み会は文字通り地獄の様相を呈した。ビールに始まり、焼酎、ワイン、挙句の果てには二合徳利の日本酒を一気飲みする人まで現れた。それぞれの場所で男女が絡み合い、中にはキスをしている二人組まで出てきた。

 僕は相変わらず端に座り込み沈黙を貫いている。飲み物はビールからウーロン茶に切り替えたが、不慣れな状況というのもあって、最初の方で呑みすぎてしまったようだ。頭がくらくらする。

「あと少しでラストオーダーになっちゃうけどぉ。小夜子さん来ないねぇ」

「あぁ、なんだよチクショウ。会えるっていうから来たのによぉ」

 みんな呂律が回らないほど酔っ払っている。

 隅で皆の様子をちらちら伺っていた僕だが、不意に1人の女子が僕の傍に這い寄って来た。姫カットの髪、黒のフリルブラウス、濃いめのアイシャドウ。これは、いわゆる地雷系女子ヤンデレってやつか?ネット記事で見かけたことがある。

「あれ、こーた君?げんき?たのし?」

 女子はグラスを持っていない方の腕を、僕の腕に巻き付けてきた。

 一瞬心臓が飛び出そうになる程びっくりしたが、せっかく博則が用意してくれた場だ、雰囲気を壊すわけにはいかない。僕は耐える事にした。

「ねぇ。小夜子ちゃん、来なかったね」

「…そうだね」

「あっは!タンパクぅ!ね、ね。君って誰に対してもそんな感じなの?」

「初めて会う人にはね。僕は回数を重ねないと人に心を開けない人間なんだ」

 僕は手にしたウーロン茶を飲み干す。質問されている間も、彼女は僕の体をぺたぺた触り続けている。正直、ウザったい。

「そっかぁ。私ね、今さっきこーた君に会ったばっかりだけど。君は凄くいい人だと思うよ」

「どうしてそう思う?」

「だって、ヒロ君と仲いいんだもん。いい人に決まってる」

 なんというめちゃくちゃな推論。お酒のせいとはいえど、少しおかしくて笑いが込み上げてきた。

「あ、笑った笑った!」

「…少し酔っているのかもしれない」

 空のグラスをテーブルに置き、顔を手拭いで拭いた。

「…うわ。眼鏡取ったらイケメンじゃん」

「そうかな?自信ないや」

 僕がそう言ったかと思うと、女子はいきなり僕の顔を両手で挟み、女子の目の前に近付けた。地雷系女子ヤンデレといえど、顔立ちは良い方だと思うし、メイクもしているせいで余計に可愛く見える。

 心臓の鼓動が早くなり、頭に血が上る感覚がする。元から酒を飲んでるせいで顔は赤くなってはいるが。

「やっぱイケメンだよ」

 彼女がそう呟くと、僕の口元にゆっくりと彼女の唇を近づけてくる。


 そこで意識がはっとした。僕は今何をやっているんだ?


「やめろ!」

 僕は女子を突き飛ばした。近くにあった酒入りのグラスが倒れ、中身が零れ出る。

 突然の僕の叫び声に、周りの皆は一斉にこちらに振り返った。

「浩太?大丈夫か?」

 博則がぽかんとした顔で問いかけてきた。

 もうこんな所に居てもどうしようもない。

「…帰る」

 僕はそう言うと、テーブルに千円札2枚を叩きつけ、壁に掛けてあった上着を取り急ぎ足でその場を離れた。途中、先程の女子が顔を覆って座り込んでいるのが目に入った。泣いているのか分からなかったが、そんな事、僕にとってはどうでもよかった。


 店を出て暫く歩いていると、後ろから博則の声が聞こえた。

「おい、浩太!待てって!」

 僕は歩みを止め、博則の方に振り返った。

「どうした。何があったんだ?」

 博則は走って追いかけて来た為か、肩で息をしている。

「…もう二度と、こういう場所に僕を呼ばないでくれ」

 僕は静かに、それでいて怒りが伝わるように博則にゆっくりと話しかけた。

「は?」

「分からないか?僕はもともと人付き合いが苦手で、こういった誘いを何回も断って来た。それなのにヒロは僕に無理を言って呼んだんだ」

「いや、それは分かってるつもりだった。お前の対人恐怖症は知ってるし。でも、それを俺なりに解消できないかと思ったから、こういった誘い続けていただけだ」

「いいや、違うね。今回のヒロの目的は僕の心の療養なんかじゃなく、小夜子さんだろ!お前は、心の弱い僕をダシに使ったんだ!!違うか!?」

 なんだか目頭が熱い。いつの間にか、僕の目からは涙が溢れていた。

「浩太。確かに今回の目的は小夜子ちゃんだけど、一応お前の事を思ってこの飲み会を企画したんだ。そんなに怒らないでくれ」

「だったら、何で僕が絡まれている時に仲裁に入らなかった!?ああいう事が苦手だって知ってるのに。大丈夫だ、俺が付いてるって言ったのは博則だろ!!」

 暫くの間、二人の間に沈黙が流れた。先にその沈黙を破ったのは博則の方だった。

「分かった。悪かった。お前の事を分かっているつもりだったが、出過ぎた真似をしたな。そして、自分の欲望に卒倒する余り、浩太を置いてけぼりにしちまった」

「…ごめん。僕も言い過ぎた。最終的にここに行くことを決めたのは、僕だ」

「いや、今回全面的に非があるのはこっちだ」

 僕と博則は仲直りの握手を交わした。お互い喧嘩をして、仲直りをする際は必ずする。これは中学生時代から変わらず行っているものだ。

「…少し落ち着いた。気分が軽くなったよ」

「そうか。今回来てもらった皆には、俺が謝っておくから安心しな」

「すまない。ありがとう」

 僕のその言葉に、博則は人差し指で軽く鼻頭を擦った。

「だけどよ、浩太。やっぱり人と接するのに慣れていくべきだと思う。俺はこの先のお前が心配だ」

「…忠告どうも」

 僕は繁華街の出口へ足を向けた。

「浩太。まだ、人に傷つけられるのが怖いか?」

「…」

 僕は無言のまま、繁華街を後にした。


 繁華街を出て暫く人通りのある大通りを歩いていると、ふと何処かで嗅いだことのある香りが漂ってきた。

 微かだが、華やかに香るローズマリー。

 僕は人混みの中、辺りを見渡す。するとそこには小夜子さんがいた。

「浩太さん。こんばんは」

「さ、小夜子さん?」

 小夜子さんは僕の許に駆け寄ってきた。

「すみません、本当は早めに用事を切り上げて向かうつもりだったのですが、時間が圧してしまいまして…」

「そ、そうなんだ。実は今飲み会終わって帰るところだったんだ」

「あぁ、やはり間に合いませんでしたか。申し訳ございません」

 小夜子さんは深々と頭を下げた。慌てて僕は取り繕った。

「いや、大丈夫。皆小夜子さんに会いたがっていたけど、元々用事が在ったことは伝えてあるし、本当に大丈夫だから」

「そうですか。ところで、ヒロさんは?一緒じゃないみたいですが」

「あ、あいつは他の仲間と二次会に行ったよ」

 実際の繁華街を出てからの博則達が、今どこでどうしているかは分からない。

「そうですか」

 小夜子さんは少し悩んだ表情を見せると、すっと僕の手を握りしめ、そして繁華街の方へと歩き出した。

「では、私たちは私たちで二次会に行きましょうか」

「え?」

 私たち、と言っているが、ここに居るのは僕と小夜子さんの二人だけだ。

「…二人で飲みに?」

「いけませんか?まぁ、私はこれからですけれど」

「い、いいや!大丈夫!」

 何という事だ。まさか、小夜子さんの方からお誘いが来るなんて。

 さっきの事も全部含めて、やはり夢なのではなかろうか?

 頭の整理をしていると、小夜子さんが僕の顔を覗き込みながら話しかけてきた。

「でもどうして、私が近くに居るって分かったのですか?」

「あぁ。初めて小夜子さんに出会った時と同じ香水の香りがして。いるんじゃないかって思ったんだ。ローズマリーの香水」

「まぁ、お鼻が鋭いのですね」

「小さい頃から臭いや香りに敏感でね。そのおかげで酷い頭痛に悩まされたりもしたよ。でも今は昔より感じなくなったから、だいぶ楽だけど」

 僕と小夜子さんは自身の身の上話で盛り上がっていった。

「それにしても、今回は振り払わないのですね」

「何を?」

「手。ですよ」

 小夜子さんに言われて気が付いた。僕はずっと小夜子さんの手を握りながら歩いていたのだ。

「あ、ごめん」

 指の力を抜いて、優しく手を離す用にした。しかし、彼女の柔らかく細い手の感覚が消えない。

 横目で見ると、彼女は僕の手を握って離さないのだ。

「いいんですよ。今日はこういう気分で出歩くのも、悪くないと思っていますから」

「…こういう気分って?」

 僕の問いかけに、彼女は何も答えなかった。

「この近くに、行きつけのBARがありまして。良ければそこでお話ししましょう?」

 小夜子さんは柔らかい表情で僕に微笑んだ。もちろん、その誘いを断る事なんて僕には到底出来なかった。

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