第四章 米国内戦/The Civil War(4)
▼ Day3 21:30 EST ▼
各所にサブマシンガンで武装したシークレットサービスが配置され、ホワイトハウス内は物々しい雰囲気になっていた。今日だけで30人近くの味方が犠牲になったのだから、警備が厳しくなるのは当然のことだろう。顔見知りのスタッフであっても、今日は廊下を通行するだけで、誰もが険しい視線を向けられてしまう。いたる場所で疑心暗鬼が満ちていた。
カナタとロベリアが大統領執務室前に向かう途中、通路の中央に、1人の少女が立っているのが見えた。その金髪の少女からは、すでに銀行で見せた凶悪な素顔は消え失せている。普段通りの、内気で恥ずかしがり屋な性格に戻っていた。
カナタの顔を見てすぐに、ボマーは視線を床に向け、顔を赤らめながら狼狽し始める。
「はわわわ! はわわわわわわわわわわわ!」
目をグルグルと回し、ボマーは困った顔でモジモジした。
「お、お兄さん。その、今朝のことは、あの……」
懸命に弁解をしようとしているようである。
向かい合うボマーとカナタを交互に見て、ロベリアがいたずらっぽくニヤけた。
「あー。先輩が今朝、ベッドに縛られて、レイプされそうになったことを言ってるのかしら」
羞恥極まり、ボマーはギュッと服の裾を掴みながら目を閉じる。
「そ、そう。その件についてです……!」
『はあぁぁあああ?!』
ロベリアのトンデモ発言と、肯定するボマー。それを無線越しに聞いていたイーグルアイが、唐突に素っ頓狂な声を上げた。現地にいないイーグルアイからすれば、そんな事情は知らなかったのだろう。耳に響くキンキンとした大声で、カナタを問い詰めてきた。
『ちょっとブレイカー、何どういうことなのよ?! どういうつもり! まさかボマーとあんた、もしかしてその、あの、ええぇぇっ! ウソでしょ!? そういう子が好きなの!』
「……イヤホンのスピーカー越しに大声を上げるのはやめてくれ。見が痛い」
堪らず、カナタは呻いてしまう。
イーグルアイは無視して、カナタはボマーに言ってやった。
「あれは“クリス”が勝手にやったことなんだろう?」
「……」
クリス。雰囲気が変わったボマーは、自分のことをそう名乗っていた。
ボマーは苦々しい口調で、白状するように告げた。
「……私の中には“お姉ちゃん”がいるです」
それは奇妙な言い回しだったが、カナタは黙って、ボマーの話を聞いた。
「いつも私のことを守ってくれて、私のことを愛してくれている。私の代わりに傷つき、私のために行動してくれる。私にとっては、かけがえのない、たった1人のお姉ちゃんです」
「それが、クリスなのか」
「はい、です」
内気な妹と、残忍な姉。複数の人格を有する少女。それがボマーなのだろう。目の前の少女を感慨深く見下ろしているカナタに、ロベリアが肩をすくめて言った。
「まあ。さすがの先輩も、二重人格の女の子の凶行は、予測不能だったってことかしらね」
「……?」
ロベリアの皮肉。それに苛立ったわけではない。だが……胸中で何かが引っかかった。
何なのか。思い当たりそうで思い当たらない。奇妙な違和感。その正体はわからなかった。
カナタは気を取り直し、ボマーの頭を撫でてやった。
「気にしてない」
それだけ告げて、ボマーの隣を通り過ぎる。
相変わらずの無愛想な態度で、そのまま大統領執務室へ向かって進んでいこうとした。その背とボマーを交互に見やりながら、ロベリアは「あーらら」と呟き、カナタの後に続いた。
ボマーは拗ねたように唇を尖らせ、カナタの背を睨んだ。
「……それはそれで、複雑な気分、です」
カナタに聞こえないように呟き、ボマーもカナタの後を追いかける。
3人で向かった先に、シークレットサービスが警護を固めている扉に行き着いた。
警護している1人は、見知った黒人の男、ボブである。
「……お前らか。よくもまあ無事だったもんだな」
「そう言う、あんたもな」
ボブは肩をすくめて自慢げに言った。
「まあ、俺は早々に自首して警察に守られていたんだから、当然だろ。お互い、募る話はあるだろうが、今は後にしようや。中で大統領がお待ちだからな」
背後の扉を一瞥しながら、ボブは視線で、カナタたちに入室を促した。
ノックをする。
短く「どうぞ」と返事があり、カナタは執務室の扉を押し開ける。
有名は円形のオーバルオフィスに、大統領が座する執務デスクが置かれていた。室内には、スーツ姿のベイリル大統領と、ゾーイの2人きりだった。
「全員、無事だったようだね」
大統領は愛想良く微笑み、まずは日本から来た3人の無事を喜んでくれた。昨晩、撃たれて、強引に退院してきたばかりとは思えない、悠然とした態度である。だが実際には、タフなリーダーをアピールするために歯を食いしばっているのだろう。リーダー不在による国内の混乱を、これ以上、悪化させたくなくて必死なはずである。デスクの上には、処方された痛み止めの錠剤がいくつか見受けられた。額にも、僅かな汗を滲ませている。
大統領は椅子から立ち上がり、ゆっくりとカナタたちに歩み寄りながら語った。
「連邦準備銀行での大立ち回りについては、報告を受けているよ。ずいぶんと派手に暴れたようだ。FBIがメディアコントロールを上手くやってくれているおかげで、かろうじて事実は、世間へ露呈せずに済んでいる。けれど、表向きには今日だけで2度も、国内でテロが起きたことになってしまった。自動車修理場での銃撃戦に、ニューヨークでの爆弾事件だ」
「オレをその犯人に仕立て上げようとしていた、
カナタの言葉を聞いても、大統領は残念そうに首を横に振る。
「けれどこうなってみると、君たちの勝利は、大局には影響のない勝利だったみたいだ。たしかに
追い打ちを掛けるように、ゾーイは、気が滅入るような補足情報を付け足す。
「東海岸の市民たちは、ほぼパニック状態です。一部の地域では略奪も始まっているようです。これまでの
「補佐官たちからは、戒厳令の発令を進言されているが……今ここでそんなことを宣言して、これ以上、国民を抑圧すれば、社会情勢はますます
大統領は嘆息を漏らした。状況は米国政府側の圧倒的不利。それを覆す策も見当たらず、肩を落とすしかないからだ。だが不幸中の幸いもある。
「今日、多くのシークレットサービスが命を落とした。そんな中で、ゾーイやボブ、私が命を拾えたのは奇跡だろう。手法は褒められたものじゃないが、君の機転のおかげと言う他ない」
しかし喜ぶだけではなく、大統領は厳しい視線をカナタへ向けた。
「だが、君は米国合衆国大統領を撃った。それについて不問にすることはできない。私怨だからじゃない。大統領として、この国の統治システムの根幹を脅かした君の“テロ行為”を、非難せざるを得ない立場だからさ。目の前の問題が無事に対処できたなら、その時に君の処遇について考えよう。今はまだ、利害の一致する協力関係のままとする」
「良いだろう」
微塵も臆さず、カナタはただ了承した。
犯した罪を認め、受け入れるカナタの態度に、大統領は内心でだけ感心してしまう。
大統領とカナタが無言で見つめ合っている傍らで、ボマーが恐る恐る訪ねた。
「それで……これからどうするですか?」
カナタの断罪については後回しである。今は、考えなければならないことが別にあるのだ。
「
「……そうはできないだろうね」
無垢なボマーからの質問に、大統領は苦々しく微笑んで答えた。
「分断されてしまったのは国内情勢だけではなく、政府内も同じことだよ。敵側が手に入れたデータの開示を恐れ、保身のために、敵側にまわって内戦を誘発しようとする者。テロに屈しないという国家の建前に従い、要求に屈しないことが正義だと信じる人。きっといろんな人たちの正義と、大人の事情がぶつかり合って、何も決まらずに時間切れになるだろう」
「残念なことですが、私もそう思っています」
ゾーイの同意を悲しく思いながら、大統領は断定した。
「もはや政権内ですら、誰が敵で味方かもわからなくなった。しかも、まだどこかに内通者が潜んでいる状況も変わっていない。仮に何かの打開策が見つかっても、こちらが策動の気配を見せれば、それは全て敵側に筒抜けだろう。完全に、
大統領とゾーイの見解を聞いたボマーは、心配そうに尋ねた。
「じゃあ、私たちはこのまま……“時間切れ”になるのを待つですか」
「……」
「……」
2人とも言葉を失ってしまう。本当に打つ手を持たないのだろう。
ボマーは悲しくなって、絶望的な未来を口にしてしまう。
「そ、それだと、
「わからない。でも、銃を持つ権利を与えられた国民たちが、社会に蔓延する不正を許せず一斉決起。外の抗議活動の意気込みを見ても、起こり得ない状況とは言いがたいところね」
ロベリアが口を挟んだ。
「悲嘆に暮れるのは構わないけど、こっちには教えて欲しいことがあるのよね。まだ肝心な情報が抜けているのよ。私たちが、よく知らないことが残ってるわ」
「ああ。
カナタが、ロベリアの言葉に付け足した。
「敵側にまずい情報と証拠の数々が握られた。その事実はよくわかった。問題なのは、具体的なその中身だ。内容によっては、
大統領の表情は、苦しげだった。
「残念ながら……事はそう単純なことじゃないんだ」
険しい表情で、真っ直ぐなカナタの目を見つめ返す。
「たしかに
情報兵器。
その単語に、カナタは聞き覚えがある。物理的な破壊をもたらさないが、それが含む情報によって、世界の在り方を大きく変えることができてしまう危険な代物のことである。
「要求が通らなかった時、
具体的な中身を話さないという、大統領の固い意志を察し、カナタは念を押した。
「どうしても、その情報兵器の詳細は話せないんだな」
「ああ。もしも君が詳細を知ったなら、私は、君の口を封じなければならなくなるだろう」
冗談などではなかった。
普段は温厚な大統領の眼光に、確かな殺意が宿っているのを感じられる。
大統領にとっては、
カナタは、諦めることにした。
「なら、切り口を変える」
「……それは、どういう意味かな?」
大統領に応えず、カナタはその場で背を向けた。
「ゾーイとロベリア、ついてきてくれ」
「?」
急に名指しされた2人は、怪訝そうな顔をする。ボマーが不思議そうに尋ねる。
「お兄さん、どこへ行くですか?」
応えず、カナタはゾーイとロベリアを、どこかへ連れだそうとしているようだ。
ロベリアは嘆息し、皮肉を言う。
「あなたみたいに、平気で大統領を撃つ人に呼び出されると、嫌な予感しかしないんだけど」
「同感です」
「なら、何もしないと約束する」
訝しむ2人を引き連れ、カナタは大統領執務室を後にした。
廊下に出たカナタは、扉の傍に立って警備をしていたボブへ尋ねた。
「オレたちは今から、内密の話をしたい。どこか集まって、誰にも聞かれずに話ができる部屋はないか? 案内してくれ」
「何だよ、いきなり。藪から棒だな」
「急ぎの用事だ。突っかかるのは後にしろ」
「ご挨拶なことで。……まあ、お前がそういう奴だって言うのは、もう十分によくわかってるよ。ちょうど良い部屋がある、ついてくると良い」
ボブは無線で、持ち場を離れる自分の代わりを呼び出してから、カナタたちを連れて通路を進み始める。ボブに案内されてついたのは、比較的小さな会議室だった。扉を開け放ち、中身をカナタたちに見せつけながら、ボブは言った。
「壁は防音。監視カメラもないし、扉は内側から鍵もかかる。ご要望通りの場所だろう?」
「なるほど」
ゾーイとロベリア、それにボブが室内に入ったところで、カナタは扉の鍵を閉めた。
「……っておい、何で閉じ込める」
カナタを警戒しているのだろう。ボブはスーツの懐に手を差し入れ、ハンドガンに手をかけている。ゾーイも同じように、銃を取り出そうと、ヒップホルスターに手を伸ばしていた。
「信用ないわよね、先輩。普段の行いが悪いせいよ?」
「どうでも良い。内密の話をすると言っただろう。邪魔が入らないようにしただけだ」
カナタは冷ややかな眼差しを、ゾーイへ向けて送った。
「
唐突にそれを切り出され、ゾーイは困惑した。
「どうして……その話が今、必要なのですか」
「
「……」
「
ゾーイは黙り込んでしまう。カナタの意見に、一理あることを認めたからである。
ボブとゾーイは、手に掛けていた銃を放し、警戒を緩める。
少しの間、誰も何も語らず、沈黙の時間が過ぎた。
やがて観念したのだろう。ゾーイは僅かに自嘲してから、語り始めた。
「……
「……」
「戦っても勝てる見込みがないほどの人数差で、私たちは死を覚悟しました。そこを助けてくれたのが、エリック=カーターが率いるブラックバード小隊です」
ゾーイは、カナタの目を真っ向から見つめ返し、言った。
「私と彼が知り合ったのは、銃弾の飛び交う中東でした」
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