第三章 究極の秘密/The information weapon(4)
▼ Day3 16:00 EST ▼
正面入り口のガラス戸を押し開ける。
広いエントランスホールに、扉の蝶番が軋む音が響いた。
「……」
屋内は暖房が効いているおかげで寒くはない。ただ、異様なほどに静まりかえっていた。
大理石を敷き詰めた冷たい色の床。入ってすぐに見えるのは、鉄柵の壁である。
その鉄柵の向こうに垣間見えるのは、クリスマスの飾りが付けられた受付窓口だ。
元々、一般の利用者が常用するような銀行ではないため、窓口の数は少ないようだ。鉄柵を超え、その窓口へ近づくための出入り口は、玄関を入ってすぐのセキュリティゲートだけである。金属探知機と、持ち物検査スペースが設置されているが、奇妙なことに警備員の姿が見受けられなかった。ホールには、監視カメラもあちこちに設置されているようだ。
「……?」
よく見ると、セキュリティゲートの方角を向いている監視カメラの1つに、ランプが点灯していないものが見受けられた。1台だけ、電源が落ちているのだろうか。
違和感を感じながらも、続けてカナタは周囲を観察した。
利用客も、従業員の姿もない。ただその代わりに――――黒スーツ姿の屈強そうな男達が、あちこちに黙って立っていた。全員が小銃で武装しており、その人数は多く、数え切れない。
「……あいつらは、シークレットサービスか」
見た印象では、そうとしか思えない格好の武装集団だ。
シークレットサービスが来ているということは、政府の要人が、この場を訪れていることを意味している。ベイリル大統領が入院中であることを考えると、それ以外の誰かだろう。
武装した男たちは、来訪したカナタを一斉に警戒し、注視していた。攻撃してこないことから察するに、カナタが大統領暗殺未遂犯であることは知らないのか。あるいは
『――――お越しになったんですねー、ブレイカーさん』
イヤホンマイク越しに、聞き覚えのある声が話しかけてきた。
カナタとゾーイを拉致した時、イーグルアイとの通信を遮断し、砂狼と共に車に乗り込んできた女だ。渡米する前、
『改めましてー。ルナ=ドレイクですー。お待ちしてましたよ。予定の時間通りですー』
「予定だと?」
『うふふー。すぐにわかりますよー。すぐに案内人が、そちらへ伺いますー』
間延びした口調で、ルナが告げて間もなくだった。
高級スーツを着込んだ長身の白人男が1人、受付窓口の向こうから近寄ってきた。
首から提げた自身のセキュリティパスを使い、セキュリティゲートを抜けてくる。
「これはこれは、ブレイカー様。お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」
執事のように傅くその男は、愛想良く微笑みかけてきた。
まるで、カナタの到着を待っていたと言わんばかりの口ぶりだ。
「オレのことを知っているのか」
「それはもう“大統領”から直々に聞いております。日本からお越しの来賓で、重要人物であるのだと、ご紹介をいただいてますよ。私は当行の総裁、クリフ=バーレイと申します」
「……?」
大統領はカナタに撃たれて、いまだ入院中のはずである。それなのに、連邦準備銀行の総裁に、カナタのことを紹介していた……? 撃たれる前の話しだろうか。
「当行にいらしゃったら、すぐに“最奥”へ、お連れするようにと言付かっております」
「最奥とは何だ」
「一般には、その存在を公表していませんからね。ご存じないのも無理はありません。さあ、ご案内しましょう。私に着いてきてください」
銀行総裁は、セキュリティゲートで簡単にカナタの持ち物検査をする。
貴金属類を預かった後に、カナタを行内の奥へと引き連れ、歩み始めた。
受付窓口を通り過ぎ、その奥の廊下を進む。
赤い絨毯の敷かれた格調高い廊下は、監視カメラや動体感知センサーだらけである。
やがて行き先に、鋼鉄製の頑強そうな壁が現れる。壁だと思ったそれは、近づいてよく見れば「扉」になっているようだった。廊下脇にある認証装置前に立ち、銀行総裁は網膜と顔認証を行った。最後にセキュリティカードを読み取らせ、端末に暗証番号を打ち込むと、ようやく扉が解錠された音がする。
重々しく分厚い金属の扉が、自動でゆっくりと開いていく。
「ここから先は当行の秘匿エリア。シークレットサービスの皆さんには立ち入りをご遠慮いただいています。この先のエレベータを下りた先が、当行地下の大金庫になっております」
銀行総裁は、カナタを奥へ案内した。予告通り、扉の向こうに見えたのはエレベータホールである。銀行総裁はポケットから金色の鍵を取り出し、それを呼び出し端末に挿入してから、ボタンを押す。程なくしてエレベータが到着し、2人はそれに乗り込んだ。
エレベータが降下している間、銀行総裁は少し語り始めた。
「当行は連邦準備銀行。守秘義務がありますので詳しい名前は申し上げられませんが、各国の金融機関関係者のお金や、特に米国政府のお金を預かっている特殊な銀行でございます。少々誇張して言えば“国家予算を預かっている金庫”そのものと考えていただければ良いかと」
「米国の財産が、ここに眠っているのか」
「はい。当行は地下24メートルに、国内最大の金塊保管庫を有しております。米国は世界最多の金の保有国であり、国内に10000トンあるという金塊の内の、2000トンを貯蔵しています。最奥と呼ばれる場所は文字通り、その最も奥の“特殊金庫室”のことです」
エレベータが止まる。
扉が開くと、その向こうには、壮大な黄金の景色が広がっていた。
「ご覧ください。これが2000億ドル相当の金の山でございます」
一見して、広大な倉庫のような空間だった。置かれているのは、整然と並べられた、数え切れない無数の棚。そこに山積みにされているのは、膨大な量の“金の延べ棒”である。ただ、今は全ての棚が満杯なわけではなく、空の棚が目立つようなレイアウトになっているようだ。
シャワーのように、天井から降り注ぐ眩い照明を浴びて、輝く黄金の数々。
それを満載した棚は、それぞれが鉄柵によって囲まれており、人が近づけないようにされていた。監視カメラによって死角なく、24時間の監視体制によって守られている様子である。
カナタのイヤホンマイクに、男の声が届いた。
『――――見たかね。この国の富を象徴する輝きだ。さぞ壮観な眺めだろう、ブレイカー君』
「
『電波の届かない地下にも、声を届かせる手段はある。うちのハッカーは優秀だよ』
カナタが無線で通話を始めたというのに、銀行総裁は気にしている様子がない。
その態度からして、おそらく銀行総裁も
「いったいこれはどういう状況だ。なぜオレは、特殊金庫室とやらに案内されてる」
『その保管庫の中で、最も価値のあるものは何だと思う?』
『私もかつて、その場所へ誘われた。大統領就任直後のことさ。そこには金塊よりも重要で、価値のあるものが保管されている。歴代の大統領は皆、就任したらすぐにそこを訪れた。それが代々、この国の指導者になるための“手順”になっているのだよ』
「……特殊金庫室の中に、お前が“真に狙っていたもの”があるのか?」
その問いには、応答がない。
山積みにされた金塊の渦中を進むと、地下空間の中央付近に、奇妙なものが見えてきた。
大きな漆黒の箱。そうとしか表現できない、正方形の鋼鉄の塊が鎮座している。その大きさは人の背丈を遙かに超えており、ちょっとした一軒家ほどの大きさがあった。装飾の類いは一切なく、ツヤのない冷血な素肌が、電灯の光で照らし出されていた。カナタは問いかける。
「あれが、特殊金庫室か?」
「はい。その通りでございます」
巨大な箱の前に、佇む3つの人影が見えた。
男が2人。女が1人。その内の女は、見覚えのある容姿をしている。
「やっほー。いらっしゃいませー、ブレイカーさーん」
銀行に足を踏み入れた時、無線で話しかけてきた敵側のハッカー。ルナである。どこか離れた場所から、遠隔でカナタに話しかけていたのかと思いきや、本人がこの場にいることは意外だった。自前のモバイルPCを脇に抱え、パタパタと手を振って、カナタに呼びかけてくる。
ルナの傍らで腕を組んでいたのは、スーツ姿の小太りの白人だった。
老齢の男である。整えられたブラウンの髪。スーツにネクタイ姿の、長身の男である。
「フン。ずいぶんと待たせてくれたな」
苛立った態度で、白人の男は冷ややかにカナタを見やる。
ご機嫌斜めな男を宥めるべく、銀行総裁が間に入って謝罪した。
「お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした、ブキャナン副大統領」
「おい。大統領が職務不能な今、臨時就任式を経て、今は私が“大統領”だぞ。間違えるな」
「失礼しました。ブキャナン大統領」
ふんぞり返った偉そうな態度で、“新大統領”は銀行総裁の謝罪を受け入れる。
どうやらホワイトハウスは、すでにベイリル大統領を職務不能状態と見なし、副大統領を大統領に昇格させたようである。大統領権限の全ては今、目の前の男が持っているようである。
ブキャナンはカナタを見下ろし、怪訝な顔をして言った。
「しかし、お前がブレイカーとか言う奴なのか? 大統領を待たせるような男なのだから、一体どんな奴かと思っていたが……何だ、まだ子供じゃないか。そこのコンピュータ小娘と言い、どうしてこの場に子供たちが必要なんだ?」
カナタとルナを揶揄するブキャナン。その言葉が気にかかり、カナタは怪訝に尋ねた。
「どういうことだ。この場にオレを連れてくるように言ったのは、大統領のお前なんだろう。それなのに、肝心の招待者であるお前が、オレのことを知らないのか」
話し相手が新大統領だとわかっても、敬意を払わない口ぶり。
カナタの言葉遣いは、ブキャナンの機嫌を悪くする。
「口の利き方がなっていないガキだな。そこにいるクリフ総裁が、最奥を開けるために、お前が必要だと言うから待っていたんだ。鍵でも持ってるのか? お前はいったい何者なんだ」
銀行総裁は、にらみ合う2人を見ながら、愛想笑いを浮かべているだけだ。
だんだん、その笑みが不気味なものに思えてくる。
険悪な雰囲気になりつつあるカナタとブキャナン、その空気を緩和しようと、細身の黒人男が割り込んできた。口ひげを生やした、スーツ姿の男である。
「ま、まあまあ、険悪にならず、落ち着きましょうよ。こうしてブレイカー君もやって来たわけですし。手早く“引き継ぎ”を終わらせましょう」
「フン。それもそうだな。それで、これからの手順はどうするんだ、ハドソン議員」
「!」
その名を聞いて、カナタは黒人の男を見やる。
どうやら、気の弱そうな、その男こそがハドソン議員であったようだ。
元々、カナタたちはこの男に会って話を聞くつもりで、ニューヨークを目指していた。予期せず、目的の人物に出会えたようだが、
「就任後すぐに、こんなわけのわからないところに連れてきたからには理由があるんだろう」
「それはもう。クリフ総裁、頼めますか」
「かしこまりました。それでは大統領、こちらに来て“ブルーカード”をお出しください」
それを聞いたブキャナンは、驚いた顔をする。
「……おい。大統領就任と同時に、
ブキャナンはポケットから1枚のカードキーを取り出した。
ブルーメタルの、金属製のカードのようだ。それを見て、銀行総裁は頷いた。
「たしかに。それがブルーカードです。カードには、議会の承認によって発行される暗号キーが書き込まれています。その暗号キーが有効でなければ、カードは効力を持ちません。たとえば、入院中のベイリル大統領用に発行されたキーは、すでに無効化されています。なので、ベイリル大統領のカードは使用できなくなっています。お手数ですが、あなたのカードに書かれたキーが有効であるか、確認させてください」
銀行総裁は、ブキャナンから手渡されたカードを、読み取り機に通す。確認結果を示すランプが青に輝くのを確認してから「有効です」と言って、ブキャナンに返した。
銀行総裁は、特殊金庫室の壁面を手探りし、いくつかの感触が違う部分を押し込んでいく。すると仕掛けが作動し、機械稼働音と共に、壁面に制御盤が生え出てくる。銀行総裁は、そこにカードを差し込むよう、ブキャナンへ指示する。暗証番号をハドソン議員が入力し、銀行総裁の生体認証を終えたところで、解錠を意味する受付音がした。
今度は重々しい機械稼働音と共に、制御盤横の壁面に亀裂が入り、やがて人1人が通過できるくらいの入り口が現れる。その向こうに見えたのは、四方を白塗りにした広い部屋である。
中央には、機械仕掛けの、巨大な眼球のような端末が見えていた。
「何なんだ、これは……!」
唖然としているブキャナンに、銀行総裁は告げる。
「――――“
ブキャナンは思わず驚嘆する。
改めて、特殊金庫室の奥に鎮座する巨大なデータ端末を凝視し、冷や汗を浮かべた。
「まさかこれは……話だけは、聞いたことがあるぞ……!」
ブキャナンは後じさりながら、堪らず固い唾を飲み込んだ。
「米国が始まって以来、各情報機関の持つ最高機密情報の全てを集めた、極秘の情報保管室が存在するのだと。その内容を閲覧できる権限を持つのは、大統領のみ」
「ご推察の通りです。あれこそが
ハドソン議員が肯定し、語った。
「建国以来、この国は長い歳月を経てきました。初代大統領のジョージ=ワシントンから数えて、貴方が48代目の大統領になります。これまでの歴代大統領が運営してきた政権においては、世間に知られていることと、隠匿されて知られていないことが数多くあります。それら多くの秘密を、後世の然るべき者にだけ託す仕組みこそが、この
「全ての真実とは、いったい何のことを言っているのだ」
「さあ……。それは大統領になった者しか知ることが許されません。私も、この場所と、大統領の就任手順のみを知らされているだけで、
「ぬう……!」
ブキャナンは苦しげに呻いた。不遜な性格のようだが、米国建国以来、蓄積されてきた全ての秘密をこれから託されるとなれば、多少の畏怖と緊張は感じるのだろう。しばらく特殊金庫室の入り口を凝視してたじろいでいたが、やがて覚悟を決める。スーツの襟を正してから、真実を受け止めるべく、1歩を踏み出そうとした。それが国を担う者の責務だからである。
だが、その時だった。
「――――はい、そこまで~」
ブキャナンの前にルナが立ち塞がった。
まるでわざと意地悪する子供のような口ぶりで、微笑んでいる。
「……何の真似だ、小娘」
「ご苦労さまでしたー。貴方の役割は、大統領に就任して、この扉を開けるのに協力してもらうことだけでーす。つまりー。もう“用済み”ってことですよー?」
ハドソン議員が、無礼な態度のルナを睨んで言う。
「ふざけるのはやめたまえ。これは子供のお遊びじゃないんだ。そもそも君と言い、そこのブレイカー君と言い、なぜこの場に呼ばれたんだね。クリフ総裁が君たちを連れて――」
空気を劈く音が2発、カナタの背後から飛来し、傍を高速で過ぎ去る。
飛来した何かは突然、ハドソン議員の眉間と頬に風穴を穿った。何が起きたのか理解できぬ間に、ハドソン議員は頭部から赤い霧を飛散させ、その場に膝をついて倒れ伏した。
「なっ……!」
ブキャナンは目を見開き、唖然とする。
唐突に絶命した、ハドソン議員の死体から後退る。
バタバタと駆け寄ってくる複数の足音が聞こえた。カナタが振り向けば、ボディアーマと軍用ライフルで完全武装した、黒ずくめの男たちの姿がある。厳重なセキュリティで守られたこの場に、予告なく現れた謎の武装集団を見ても、ルナと銀行総裁だけは慌てていなかった。
その態度から、
「どうやら、本番はこれからだったようだな」
足下に流れてくるハドソン議員の血潮を見下ろし、カナタは冷徹に呟いた。
カナタとブキャナンは、武装集団に包囲され、銃口を向けて脅される。
米国の富が輝く広大な地下空間に、恐怖した新大統領の叫びだけが響いた。
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