第三章 究極の秘密/The information weapon(1)


 日曜の昼下がり。

家族でバーベキューを楽しんだ後、ようやくその片付けを終えたところだった。

 郊外の一軒家。階段の壁に掛けられた家族写真を眺めながら、男は2階へ上る。廊下の窓からは外の陽光が注ぎ、時折、吹き込む風が、白いカーテンを揺らしていた。

 心地の良い、春の午後だった。

 男は、廊下の突き当たり、奥の部屋の戸を叩く。

「どうぞ」

 中から聞こえたのは、女性の声だ。

 入室すると、そこには妻と息子の2人が、向かい合って立っている。

 胸元に階級章を付けた、軍の正装姿の息子。勇ましい晴れ姿を見て、妻は感無量だった。

「本当に……軍服姿が、よく似合っているわ、エリック」

「ありがとう、母さん」

 息子の姿に見とれている妻に、男は、少し悪びれながらも咳払いをする。

「エレナ。悪いんだが、少し外してくれるか。エリックと話したいことがあるんだ」

「ええ。どうぞ、ゆっくり」

 夫が何か、重要な話を息子にしたがっている。そう察した妻は、即座に了承した。

 早々に部屋を出て行く、妻の理解の早さに、男は心中でだけ礼を言った。

「俺と話したいことって何、父さん?」

 息子が、男に尋ねてきた。

 自分の思いを、どう口にして出せば良いのか。男は少し悩んだ。ふと、息子の机の上に飾られた野球ボールが目にとまり、それを手に取って微笑んでしまう。

「このサインボール。憶えてるか」

「ああ。9歳の時、父さんに連れて行ってもらった、レッドソックスの試合のホームランボールだろ。運良く拾えたのは、本当にラッキーだった」

 目を細め、父親は思い出に耽る。

「カベラ選手の42号ホームランボール。拾った後に、どうしてもサインが欲しいと、お前がねだったから、試合終了後、記者たちに囲まれてるカベラを無理矢理掴まえたんだったな」

「ははは。あの時は、父さんが、カベラの護衛に不審人物だと誤解されて、大変だったっけ」

「サインを貰うだけのつもりが、撃たれそうになった。おかげで、お前は大泣きだった」

「おいおい、話を盛らないでくれよ、父さん。さすがに泣いてはいなかっただろ」

「いいや。泣いてたさ。悪いのは父さんじゃなくて、僕の方だと言って、私を必死に庇おうとしてな。私よりも遙かに小さい男の子が、あの時は頼もしく思えたものだよ」

 父親は苦笑した。

話している内に、ようやく口にすべき言葉が定まる。

「……本当に行くのか?」

それを尋ねたかった。父親の思いとは反対に、息子は肯定する。

「ああ。もう決意は変わらないよ」

「3年間。行き先は、見知らぬ中東の土地。しかも、その戦場なんだぞ」

 愛する子供を戦地へ送りたい親などいない。子供が、それを望んでいたとしてもだ。

 強制できるなら、息子の決断を否定したいとさえ思っている。だがそうしないのは、息子の気持ちを優先したいという、親心が残っているからだ。改めて、決意の程を確かめたかった。

 息子は真剣な顔で、父親の問いに答えた。

「上院議員として、父さんはこの国のために尽くしている。本当に立派で、尊敬できる父親だと思っているよ。けれど俺は、そんな父さんの、ただの息子だ」 

 息子の目に、揺るがぬ強い意志が宿っていた。

「父さんの息子として、恥ずかしくない人間でありたいんだ。だから軍に入隊した」

その思いを聞いた男父親は、少し苦しんだ。

「エリック……私はお前を恥じたことなど、ただの一度もない。もしもお前が、議員の息子だからということに重圧を感じていて、そのために普通に生きられないのだと感じているなら、それは間違っている。私はお前に、私と同じように生きろと、強制するつもりなんてないんだ。どんな形の人生だって構いはしない。ただ幸せであってくれれば良い。それが、お前の父親としての幸せでもあるんだ。無理をしているのなら、遠慮せずに言ってくれ」

 苦しげな表情の父親に、それは誤解だと伝えたくて、息子は微笑んで見せた。

「安心してよ。父さんという存在を、重荷に感じているから決断したことじゃない。俺が自分の意思で、父さんみたいな人間でありたいと願ったから。だから決めたことなんだ」 

「エリック……」

「最も尊敬できる人の息子として生まれたんだ。自分もそうなりたいと考えるのは普通だろ」

「……決意は固いようだな」

 息子の気持ちが本気であるのだと、そう悟った。

だからもう、それ以上に引き留める言葉をかけるべきではないと感じた。

 ただ心配で。だが嬉しくて。思わず目頭に涙が溢れそうになる。

 唇を引き締め、ただ息子の肩を抱き寄せた。

「……本当に、一人前の大人になったんだな」

「はは。息子の門出に、涙ぐむなよ」

「子供の成長が、嬉しくない親なんているものか。心から、お前を誇りに思っている」

 家の外から、車のクラクションの音がした。

 軍の友人たちが迎えに来たのである。息子の荷物を持ってやり、2人で玄関まで向かった。

 かつては小さな男の子だった。その頃の面影は、もうどこにもない。家から巣立とうとする子供の背中に、愛おしさと切なさを感じた。妻子は並んで、息子に別れの言葉をかけた。

「くれぐれも無理はするな。必ず、無事に帰ってくるんだぞ」

「身体には気をつけるのよ」

「ああ。約束するよ、父さん、母さん。それじゃあ、行ってくるから」

 息子は爽やかに微笑み、背を向ける。

 大きく、広くなったその背が遠ざかるのを見つめ、男と妻は手を握った。

 息子が車に乗り込み、その姿が見えなくなってからも、ずっと握り合っていた。

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